「オレが生きていること自体が神様の否定さ」
ゼファー(「End of Eternity」ゲームキャラクター)
僕は大学時代、宗教を勉強する学科に入っていたのだけど、そうすると人から「君は宗教を信じているの?」と聞かれることがある。残念ながら真逆で、むしろ勉強するにつれてもともと薄かった信仰心がさらに無くなっていった。それは、一言で言えば宗教というのも結局は人間が作ったものだとわかったからだ。人を救うのは神様ではなく、神様が救ってくれると信じるその人の気持ちそのものなのである。信じる対象は神じゃなくても、友達や恋人、家族、あるいは会社や国でも代替可能なのであり、だから僕は特に神様は信じていない。というような事を卒論に書いたら教授に「もっと勉強しようね」と言われて、全くその通りだなと思った。
以後、結局なにも勉強しないまま馬鹿面を引っさげて遊び暮らしているのだが、あるゲームのHPを見て衝撃を受けた。これは来年1月にSEGAから発売予定の、鉄砲でバンバン戦っていくスタイリッシュな感じのRPGらしいのだけど、その主人公が「運命に抗う少年」というコピーでこの台詞を言っていたのである。
路上詩人の人たちなどがよく「生きてるだけで意味があるんだよ」などという文言を1万円くらいで売っているけど、彼の場合は「生きてるだけで神様の否定なんだよ」なのである。すぐに屁理屈をこねてこちゃこちゃやろうとする僕などには、そんなメガトン級の視点で神様を考えたことなどなかった。ちょっと信者になりそうです。こうやってカルト宗教は生まれるんですね。
「人間やっぱりうまい物を食べてるときがいちばん幸せだよな。あとの人生はオマケみたいなもんだよ」
ルラフェンの町の男(「ドラクエ5」ゲームキャラクター)
人間様は脳みそのスペックをうんと上げることで、知能と理性を獲得して他のアニマル達を出し抜いたわけだけれど、本質としては動物と何一つ変わらないんだなということをよく思う。最近の若い人は「やりたいことが見つからない」みたいなことを言うが、そんなのは大嘘で、全ての人間は飯食ってエッチなことして寝てたいだけなのである。
これは僕の思考回路の基盤になっていて、例えば偉い学者さんとかが真面目な話をしてる時に「でもこの人たちもちんちんが硬直したりまんまんが湿ったりするのであろうな」などということを考えている。自分でもどうかと思う。こんなだから学が無いとか言われるんですね。
そういう欲望のいやしい部分は皆あまり表に出さないようにしている。でも、あるもんはあるんだからそんなに恥じなくてもいいんじゃないかなとも思うのだ。この町人の言葉は幼き日の僕にそういう姿勢を教えてくれた。
路上詩人の人たちなどがよく「人は幸せになるために生まれてくるからあなたも素直に幸せになればいいんだよ」などという文言を3万円くらいで売っているけれど、人が幸せを感じるのってやっぱり欲望が満たされた時だ。この人は欲望に正直で幸せそうでとってもいいと思う。理想の生き方の一つとも言っていい。
以前、電車で通勤途中と思われるおじさんが痴漢がバレてしょっぴかれる場面に出くわしたことがある。もちろんこの場合、同情するべきは被害者の女性である。しかし一方で、一生懸命働いて触りたいおっぱいの一つも満足に触れないおじさんも不幸だろうなと思った。
おじさんは素直に「すまないですけどおっぱい触らせてもらってもいいですか、なぜなら触りたいので」と言うべきなのだ。文字通り胸を借りる気持ちで。そうすれば相手も「嫌です、なぜなら嫌なので」とはっきり答えることが出来て、実に心の通い合った爽やかなコミュニケーションになる。おじさんも笑顔で諦めて風俗に行けることだろう。こそこそするから余計にいやらしいし粘着っぽくてキモい、となってしまうのである。
なんだか謎の熱弁になってしまいましたが、書いてて僕はものすごく幸せでした。人間やっぱり下世話なこと言ってる時が一番幸せで、あとの人生はオマケみたいなもんですね。 |