犬派は猫を「愛のない生き物」だと言い、猫派は犬を「節操のない生き物」だと言う。
ときどき、「犬も猫も同じくらい好き」という人がいるけれど、それこそまさに愛も節操もない「犬も猫もブランド品も男の子も美味しいものも好き」みたいな人なんだと勝手に決めつけている。あるいは神様かムツゴロウさんだと思う。
多くの人は、「どっちかって言うと」という枕詞を頭につけ、自分は犬派か猫派かを宣言する。
わたしは、猫が好きだ。猫が猫であるというだけで愛している。野良猫を見かければテンションが上がるし、友達が猫を飼ったと言えば触りたくてうずうずする。猫みたいな女、は褒め言葉のもっともたるところだし、最終的には猫ババアと子供たちに呼ばれる猫しか友達のいない偏屈老人なりたいと思っている。とにかく猫ならすべて好きだ。
それに対して、多くの犬のことはどうでもいい。友達の家の犬のように、名前と顔を覚えている犬なら、情もあるし、会えば「よ!」と挨拶をするくらいの仲にはなる。可愛いやつもときどきいるけど、でも可愛くない犬のほうが多い。スーパーマーケットの前で繋がれている犬を見れば、一応構って触ったりしたりするが、でもまあ義理みたいなものだ。
だからわたしは、「どっちかって言うと」が必要ないくらい、完璧に猫派である。そう思っていた。
しかし、である。
前々から薄々気づいていた。犬は、どうもわたしのことが特別に好きらしいのだ。
たとえば犬を飼っている友達の家に数人で遊びに行ったときのことだ。他にたくさんの人がいるというのに、飼われ犬は真っ直ぐにわたしの膝に座る。
「その子、恭子のことが好きだからね」
と、飼い主は言う。なんで? と聞くのが怖くて、わたしはただ黙って犬を膝に載せている。まるでものすごい愛犬家のように。
あるいは、犬のいる美容院へ行ったとき。他の客やら働いている人を差し置いて、犬はわたしの足元にすっと座り込む。わたしの顔を見上げ触って欲しそうにし、わたしの靴の上に手を載せてアピールしてきたりする。
「珍しいですよ、この子がそんなことするの」
美容師のお姉さんはそう言って笑う。わたしも困って仕方なしに犬を触る。こんなものでいいだろうと思ってやめると、犬はまた足に手を載せておねだりを始めるのだ。
何故だろう。わたしは、犬なんか好きじゃないのに。
そう言えば、猫はわたしを避ける気がする。飼われ猫たちすら触らせてくれることは稀だし、野良猫なんか餌を持って行っても「餌おいてさっさと行けよ」みたいな顔をする。
かつて観た映画に、「犬は強いものに従い、猫は傷ついたものに寄り添う」という台詞があったのを思い出す。わたしは強いものなのだろうか。わたしだって傷ついてるのに。猫みたいな女とか言われたいのに。
名前がイヌカイだからだろうか。生まれながらに犬に愛される資質やら遺伝子やらを持っているのか。犬養さんのルーツは犬養守という番犬の世話をする人だった、という話を聞いたことがある。漢字が違うけれど。
わたしは猫に憧れている。それなのに寄ってくるのは犬ばかりだ。
犬猫とわたしの関係は、ちょっとばかり恋に似ていて、せつない。
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