わたしは男でも女でも、好きな人には「好きだ」とすぐに口にする人間である。
 もちろん恋愛的好き、だけでなく、友達的好き、人間的好き、にはじまり、性格が好き、考え方が好き、産み出す作品が好き、顔が好き、声が好き、耳の形が好き、二の腕の太さが好き、服のセンスが好き、話し方が好き、言葉の選び方が好き、書く文字の形が好き、などなど、なんでも、良いなあと思ったら「好きだ」と言ってしまう。
 もちろん、直接的な「好き」という言葉だけを使うわけじゃなくて、「そういうところが良いね」とか「素敵ですね」とか、なるべく言ってるほうも聞いてるほうも恥ずかしくない言葉を選んでいるつもり。
 たぶんわたしは、人の「良いところ」を見つけると、嬉しくなって口にせずにはいられないのだと思う。
 恋人には特に。
 たとえ毎日会っていようとも、「好きだなあ」と思うところがあったらその瞬間に口にする。恋人の場合は結構意図的に。わたしはあなたのこういうところが良いと思う、ということを、なるたけたくさん伝えたいと思うのだ。
 「好き」
 という言葉を使いすぎると、どれが本当なのか分からなくなって信用できない、という人もいる。
 でもそういう人は多分、好きではない場合も「好き」という言葉を使うのだろう。
 わたしは本当に好きだと思ったときにしか「好き」と言わない。人間にはテンションや体調があるから、とてつもなく愛している人の「好き」が見つからない日だってある。そういうときは、言わなければいいのだ。本当の「好き」しか口にしなければ、すべての「好き」が信用に足る気持ちだってことになる。
 自信のないとき、疲れているとき、もう駄目だって思ってるとき。ふとした瞬間に誰かがくれた「好き」という言葉が、どれだけ自分を助けてくれるか。それをわたしは知っているから、みんなに「好き」を伝えたくなる。逆に言えば、それだけわたしには自信のないときが多いということになるのだが。
 人に言うのが恥ずかしいなら、まずは本でも映画でも、空でも植物でも動物でもいい。
 「好き」を口にする。
 「好き」をたくさん抱えて生きる。
 それは、自分にとっても自分以外の人々にとっても、豊かで優しいことだと思う。




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