リンスを流すのを忘れたままお風呂から出てきてしまったことに、ドライヤーをかけようとして気がついた。
 頭がべたべただった。
 そのままでもいいかなとかちょっと思ったが髪がべったりと束になっていて、仕方なくもう一度お風呂場に戻って洗い流した。
 はじめてのことじゃなかった。なので、そのまますぐにドライヤーをかけて髪を乾かした。
 その一部始終を見ていた恋人が、「君は頭を洗っているときに何か考えごとしているでしょう?」と、言った。
 「うん」
 と、わたしは答える。だって頭を洗っているとき、両手はふさがっているけれど脳みそはあいている。いろんなこと、大抵は取るに足らないような小さな事々を、わたしは髪を洗いながら考えている。考えているってことすら忘れてしまうような些細なことだけれど。
 「普通はね、頭を洗うときは頭を洗うことを考えているんだよ」
 と、彼は少し呆れて言った。
 そういえば、昔山登りに行ったときにも、友人に同じようなことを言われた。
 みんな一列でゆっくりと山を登っていた。履きなれたスニーカーでそのあとをついて歩いている途中、なんだかものすごく悲しい気分になり、ぼろぼろぼろぼろ泣いてしまったことがあったのだ。山道は足元が心もとないので気をつけてずっと下を向いていたら、悲しいことばかりたくさん頭の中に浮かんできたのだった。
 泣き出したわたしを怪訝な目で見ていた友達に、
 「下を向いていると、悲しいことばっかり考えちゃわない?」
 と言ったら、友人は、
 「考えないよ。山を登るときは、山を登るってこと以外は考えない」
 と、答えた。みんな、際限なく考えごとをしているわけじゃあないんだ、と、すごく驚いたのを覚えている。そのあとは、「山を登ること以外考えないようにしよう」と考えたが、でもやっぱり無理だった。下を向いて歩く間中、悲しいことが際限なく頭に浮かんだ。
 考えごと(過去に経験したこと、経験できなかったことなどの記憶の反芻が多い。わたしの場合)をするのは、いいことだと思う。個人的には。
 でも、せめてリンスを洗い流すのを忘れるほど考えごとに集中しないように気をつけよう、と、次の日、髪を洗いながら考えた。


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