「恭子ちゃんって、結局最終的にはなんか品が良いから仲良くはなれないんだよね」
 という、乱暴な言葉を彼女は口にした。
 渋谷の安い居酒屋で、数人でお酒を飲んだときのことだ。ボトルはすでに何本も空いていた。もうぐったりと倒れているわたしを、彼女は寝ているんだと勘違いして、そう言った。
 なにそれ、とわたしは言いたかったが、起き上がって口にできるほどの気力はなく、わたしは酔っ払いぐったりしたまま、その台詞について考えた。
 品が良い、というのは褒め言葉である。そのはずである。
 なのに、ちっとも嬉しくないのはなぜなのだ?
 たとえば、わたしが『最終的になんか品の良くない』人間であったとしたら、彼女はわたしと仲良くなったのか?
 『品が良い』というのは、どういうことなんだ?
 だいたい、わたしなぞ田んぼの真ん中にある町で育った中流家庭の末っ子でしかない。ザリガニだって触れる。ジャージだって履く。賞味期限の切れた納豆だって、二日前までなら食べる。品の良さなど見当たらない。
 そう考えながら、思い当たる節がちょっとだけあった。
 わたしは、どんなに仲の良い友達の前でも、家でも一人きりでも、もちろん酔っ払ったときも、汚い言葉を使わない。
 「じゃねえの?」とか、「だろ」とか、言わない。
 絶対、を、「ぜってー」などととは絶対言わない。
 これは、品の良さでもなんでもなく、ただのわたしのポリシーだ。
 わたしはただ、綺麗な言葉が好きなだけなのだ。
 綺麗な言葉を使うほうが、気分が良いのだ。言うのも書くのも。それは物心ついたころからずっとそうだ。
 でも確かに、この言葉遣いのせいで「なんか気取っている」と思われることは、ある。そういうとき、他の綺麗な言葉遣いが好きな人たちは、どうしているんだろう。意地悪を言う人に仲良くなってもらうために、わざと汚い言葉を組み込んだ話し方をしたりするのかな。
 などと、今頃考えた。
 もし、この疑問に小学生の頃出会っていたら、わたしは作家になっていなかったかもしれない。


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