「九月十一日、なにしていた?」
 と映画を撮っている男の子が言った。
 もちろん、あの九月十一日だ。
「俺は、あ、インデペンデンスデイだ、と思った」
 わたしはその映画を観ていなかったので、ふうん、としか答えられなかった。
「ちょうど車に乗っていて、映像はリアルタイムに見ていないんだ。カーラジオからだったから、あとで映像を見てすごく驚いた」
 彼とわたしはほぼ同い年だ。彼はその後、九月十一日についての映画を撮ることになるのだけれど、その出来事が起きたとき、彼がいったい何歳で何をしていたのかが、きっとその後の彼の表現者としての人生に大きく関わっているだろう。
 その頃わたしもまだ二十代の真ん中ぐらいだった。男友達と電話で話をしていたからテレビの音声をミュートにしていた。だから最初の記憶は、ビルがゆっくりと崩れていく画像だけだ。静かで、東京の夜の秋の音が窓の外から聞こえてきていた。静かに音を立てずに、ビルは崩れ灰色の煙を上げていた。そのとき一緒に暮らしていた男の子とは、もう何年も前に別れてしまって、会っていない。電話で話していた男友達とだって、もう随分ご無沙汰だ。でも、九月十一日の事を思い出すとき、わたしはいつも隣の部屋で眠っていた元・恋人と、電話の向こうの彼の「今、テレビついてる? 観た?」という冷静な声を思い出す。
 仲の良い友人がドイツ人の男性と結婚をした。
 今まであまり身近にドイツの人がいなかったので、興味深くてつい聞いてみた。
「ベルリンの壁が壊れたとき、どう思ったって言ってた?」
 信じられなかったって言ってたよ、と彼女は答えた。
「もう彼は中学生くらいだったし、西側に住んでいたからそんなに生活が急変することはなかったけどね。でも壁がなくなる日が来ることなんか想像もしなかったって」
 ベルリンの壁が壊れたとき、わたしも中学生くらいだったような気がする。歴史の教科書に書かれている「歴史的事実」が、その前の年と変わったのだ。なんだか不思議な気分だった。
「壁がなくなったことで平和になったのかは、よく分からなかったらしいけど。彼はベルリンから随分離れた田舎町に住んでいたから。外国の出来事みたいだったって」
 彼女はそう答えた。彼女のお腹には今、赤ん坊がいる。
 平和を語ることは難しくて、罪を許すことも難しくて。たとえば原爆が落とされた日、わたしはまだ生まれていなかった。わたしは八月六日と九日に、「歴史的事実」としての悲しみを感じる。
 あの九月十一日、わたしはもう生きていた。生きて、人を愛したり憎んだりする感情をすでに知っていた。
 アメリカで、コーランを焼いた人たちがいたそうだ。そんなことをしたって仕方がない。ただのパフォーマンスでしかない。頭の悪いわたしにだってそれくらいは分かる。でもその悲しみを「歴史的事実」ではなく「現実に目の前で観た」人たちの気持ちは、計り知れない。
 わたしには罪や罰を語ることはできない。
 それでも、起こることすべてをきちんと受け止めて生きていきたい。それが今生きている人間のつとめなのだと、思う。



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