「あ、そういえばうちの旦那が生き霊に取り憑かれたのって知ってるっけ」
 と、彼女は突然言った。
 彼女に会うのはおおよそ十年ぶりだった。彼女が結婚してから、二人だけでご飯を食べるのはたぶんはじめてのこと。旦那さんの話すらきちんとしたことがないのに、そんな話、聞いているわけがない。だいたい十年ぶりの再会の話題に、生き霊の話を選ばないだろう、普通は。
「ううん、知らない」
 わたしが言うと、彼女は季節外れの熱い珈琲をすすりながら、ああそうか、とうなずいて話し始めた。
「あるときね、何年も前なんだけれど、旦那が突然『死にたい死にたい』って言い出したときがあってね、わたしは『なに言ってんの』って笑い飛ばしてたんだけれどでもどんどん悪化してきてね。まだ幼稚園に通っている子供に『来年の今頃はパパはもういないから』とか『パパはもうすぐ死ぬんだよ』とかって言い始めたの。子供、三歳だよ? 旦那のこと怖がるようになっちゃってね。欝なのかなあって思ったけどどうしていいかわからなくって困っていたら、ある日、お義母さんから電話が来たの。お義母さんは静岡に住んでいるんだけれどね、九州に有名な占い師がいるっていうんで見て貰いに行ったら、『あなたの息子さんには生き霊が憑いてる』って言われたそうで」
「生き霊」
「そう」
「誰の?」
「それはよく分からないらしいんだけどね、どうも仕事が上手くいかなくなったのを旦那のせいだと思っている人がいるらしくて、その人が生き霊を飛ばしているんだって」
「旦那さんはその人に心当たりがあるの?」
「全くないって言ってた」
 その後、旦那さんはその占い師さんに紹介して貰った霊媒師さんに除霊の儀をして貰ったのだそうだ。
「除霊って、されたらどうなるの? ああ霊がいなくなったって分かるの?」
「分かるらしいよ。旦那の場合は、ぱあって体が軽くなって、突然世界が明るく見えたって」
 儀式の最中から涙が止まらなかったらしいよ、わたしはその儀式に参加してないから聞いただけなんだけれどね。
 まるでよくある再現フィルムみたいだ。経験者にしか分からない特別な感覚が知りたかったので少しがっかりしたけれど、でも本当にそういうものなのかも知れない。
「生き霊を飛ばした方の人はどうなったの?」
「知らない。でもね、飛ばしてる方は、自分が生き霊を出してるって気づいていないものらしいよ」
 わたしたちも知らないうちに飛ばしてるかもね、なんて言いながら、彼女は十年前と変わらぬ顔でにっこりと笑った。



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