煙草のポイ捨てをする人が、憎い。
 どんなに見た目が美しくてもどんなに性格が良くてもどんなに頭が良くても、煙草のポイ捨てをする人のことは絶対に好きになれない。男も女も。若者も老人も。
 煙草を吸う人が嫌いなわけではない。わたしの友人や歴代の恋人には、煙草を吸う人がたくさんいる。
 煙草を吸うのは構わない。ただ、それをぽいと無造作に捨ててしまえる人のことが、どうしても許せないのだ。
 それは倫理的問題から、というわけでもなさそうで、いやもちろん倫理的にだって許せないのだけれど、たとえばジュースの空き缶だったり噛んだガムだったりを車の窓から道路に投げたり知らない誰かの自転車の籠だのに入れてしまう人たちを目撃しても、憤懣やるかたない、というほどの怒りを感じるわけではない。まったくもう、と思いながらゴミを拾い捨てる、程度である。
 しかし、こと煙草のポイ捨てを目撃した瞬間には、その知らない相手が憎くて憎くてたまらなくなるのである。
 わたしは、前世火事で死んだのだと強く信じ込んでいるので(この話は長くなるのでまたにする)、もしかしたら煙草の火が許せないのかも知れない。人を殺す可能性のあるものを、無造作に投げ捨ててしまえる想像力の無さに絶望するのかも知れない。実際、煙草の火が原因で火事になることはあるのだし。
 煙草をポイ捨てするような人はいつか、大切な人にポイ捨てをされるがいい、と呪詛の言葉を頭の中で呟いてみた。しかし自分で人を呪うのは嫌な気分なので、すでにそういう呪いが存在すればいいのに、と思った。
 そして、いやもしかしたら、逆かも知れない、と思い直した。
 あの人たちは、大切な人にポイ捨てされたことがあるから、煙草のポイ捨てをしてしまうのではないだろうか。
 そういう呪いにかかってしまっているんじゃなかろうか。
 そういえば、わたしが今まで見た煙草のポイ捨てをする人たちは皆、暗い目をしていた。悲しい過去があったとしたって、不思議じゃない。
 だとしたら、彼らは、とても可哀想ではないか。
 わたしが煙草のポイ捨てをしないのは、あの人たちのように悲しい捨てられ方をしたことがないからなのだ。わたしは煙草を吸わないけれど。
 そう思えば、あの悲しい人たちを憎むだなんてとてもできなくなる。
 これからは、煙草のポイ捨てする人を見ても、睨みつけるのをやめよう。
 代わりに慈愛の微笑みを浮かべ、彼らの捨てた煙草を拾って捨ててあげるのだ。
 彼らの呪いがいつかとけますように。そう願いながら。



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