① 中学生の頃、わたしのことを「きょうすけさん」と呼ぶ女の子がいた。
 隣のクラスの女の子だった。小学校の時に一度同じクラスになったことはあったけれど、そのとき彼女は別にわたしのことをそんなふうに呼んでいなかった。「きょうすけさん」、そう呼びはじめたのは、中学二年のときだ。
 彼女とわたしは特に仲が良かった訳じゃあなく、放課後に一緒に帰ったり一緒に遊んだりしたことはなかった。けれど彼女の好きな男の子がわたしと同じクラスだったから、休み時間のたびに彼女はわたしの教室にやって来た。そうして前の入り口のところで、わたしのほうを見て、「きょうすけさん」と呼んだ。だからわたしは、彼女の所へとことこと歩いていった。
 「今日、××くん来ている?」
 「うん」
 「どう?」
 「いつもどおり」
 彼女と交わしたのはいつも、そんな、他愛もない会話だったと思う。
 何故きょうすけさん、なのか。わたしの名前が恭子だからなのだけれど、なぜそれをわざわざ男の名前に変えて呼ぶのだろうか。理由があったのかも知れないが、わたしには思い出せない。
 だいたい、彼女はどうしてそんなに仲がよいわけではなかったわたしに、好きな男の子の名前を教えてくれたのだろう。あんなに毎日、彼女はわたしを「きょうすけさん」と呼んだのに、他のクラスメイトにその理由を問われたことすらなかったのは、どうしてなんだろう。どうしてわたしは、それに深く疑問を持たず、呼ばれるままに返事をしていたのだろう。
 三年生になって、彼女とも、彼女の好きな男の子とも違うクラスになった。彼女がわたしの教室に現れることはなくなった。
 彼女とは高校進学で別れて、それ以来会っていない。

② 十代後半の頃、アルバイト先に、わたしを「きょう吉くん」と呼ぶ女の子がいた。
 このときも、わたしは特に何も疑問を持たず、普通に返事をしていた。二年弱でバイトをやめるまで、彼女はわたしをきょう吉くん、と呼び続けた。

③ いま、わたしを男の名前で呼ぶ人はいない。
 他の女たちも、男の名前で呼ばれたことがあるものなのだろうか。あるいは他の男たちも、女の名前で呼ばれたことが。あるいはこれは、わたしだけの不思議な体験なんだろうか。
 またいつかわたしを男の名前で呼ぶ人が現れたら、そのときこそ聞いてみたい。
 どうして男の名をわたしに付けるのか、その理由を。



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