今日、手紙が届いた。
 梅の花のちりばめられた封筒はこの季節にぴったりで、わざわざレターセットを選んでくれたのを感じる。
 切手も凝っていて、円形の白い花が描かれている。何かの記念切手なのだろう。手紙を送る日のために、きちんと取っておいたものなのだということが分かる。
 ポストの中はいつもダイレクトメールでいっぱいなのに、手紙が入っていることはほとんどない。ほとんど、というか、彼女からの手紙以外、ない。
 だから彼女からの手紙の封を切るのはいつも新鮮で、少し緊張するできごとだ。カードの明細だの水道光熱費の請求書だのなら、手でばりばりと開いてしまうけれど、彼女の手紙だけは、慎重に、はさみを使ってそろそろと切る。にわとりの飾りのついたレターオープナーを持っていたはずだけれど、いつのまにかなくしてしまった。
 彼女は、年に数回手紙をくれる。
 内容はほとんどない。彼女は舞台女優さんなので、次に出る舞台の案内だ。
 しかし文面は毎回必ず手書きで、趣と季節感のあるレターセット二枚以上に綴られている。文章は、時候の挨拶から始まり、わたしの健康を案じ、わたしの活躍を祈って、敬具で終わる。
 特別に字が上手、というわけではない。けれど、その少し神経質そうな丁寧な文字は読みやすく真面目で、彼女の性格や尖った性質を感じさせてくれるから、とても好きだ。字は、書く本人にどこか似ている。
 わたしは舞台を見るのが好きだから、他にも案内をくれる人たちはいる。
 けれど彼らはみんな、メールを使う。いや、メールであることが悪いわけではない。彼女が特別なのだ。
 子供の頃は、手紙を書くのが好きだった。小学生の頃も中学時代も高校時代も、毎日誰かに手紙を書いていた。
 最後に手紙を書いたのはいつだったろうか、と考えてみる。
 覚えているのは、もう会えないあの人に送った手紙。それだってたぶん六年以上前だ。
 好きな人へのバースデーカードは、返事を貰えないのが淋しくていつしか書かなくなった。でもなんの問題もない。メールがあれば、用事も感情も簡単に伝えられる。
 彼女からの手紙が届くたび、わたしはいつも感動する。
 舞台の案内だって分かっているけれど、でもその丁寧に書かれた宛先が自分の名前であることに、とてもとても感動する。
 携帯で一時間後の気温が調べられたり、ツイッターで精神状態の良し悪しまで瞬時にわかり合えてしまう時代に、季節の挨拶と「お元気でいらっしゃいますか」ではじまる手紙を書いたり貰ったりするのは、とてつもない贅沢なのだ。
 わたしも誰かに、手紙を書こう、と思う。思うだけで、なかなか書けないけれど。
 手紙はいつのまにか、編み物やジグゾーパズルみたいに、才能と努力の必要なものになったのだろう、きっと。



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