最近、心が死んでいる気がする。
 世界中が泣いたという感動的な映画を観ても、涙一粒こぼれなかった。面白いとうわさの小説を読んでも、くすりともしなかった。すぐに笑いすぐに泣き、感動しやすい性質であるはずだというのに。
 ひょっとしてあの映画は世界中は泣くけど日本人は泣かないものなのかも、と恐る恐る友人に感想を求めたら、号泣だったと答えられた。面白いと噂の小説は、知人のブログで昨年のベスト10に入ると賞賛されていた。
 つまらない、というのでもなかった。つまらないと思うことができるならわたしの心は生きている。観ても読んでも、ふうんなるほど、という乾いた感想しか生まれなかった。
 先日は、久し振りに面白いと思える映画を観た。
 でも面白いなと思っただけだった。きっと普段だったら物語に入り込みすぎて登場人物と友達になって、映画の世界と自分の世界を混同して、あ、あいつ元気かなあ、あ、でもあの人は映画の登場人物だから本当は存在しないんだった、なんて驚いたりするのに。そんなこともなく、ああ面白かったさて夕ご飯は何を食べよう、と酷く冷静に映画館を出た。
 だからやはりこれは、わたしの心の問題なのだ。
 心。死んじゃったわたしの心。
 さて、再生させるためにはどうしたらいいのだろう。
 良い映画を観る? 良い本を読む? 良い音楽を聴く? でも触手が動かない。家を出る気力がない。誰かの作った世界に入り込むのも億劫な気がする。
 いっそ旅にでも出ようか。旅に出れば、どうしようもなく心の高まる瞬間はあるだろうし、語学が非堪能であるわたしは自分の考えや要求を外国の人に伝えるために、嫌でも感情的にならざるを得ない。じゃあどこの国に行こう。いつ行こう。エアチケットとホテルを手配しなくちゃ。仕事を調整しなくちゃ。そう思うけれど何も決められなくて、家の隅で膝を抱えてぼうっと座っているだけ。
 でも、なぜだろう。口元は微笑んでいる。
 だから他人からは、わたしの落ち込みはきっと見えない。外側からは分からない。
「落ち込んだりもするけれど、わたしは元気です」
 これは、昔観たアニメ映画のコピーだ。公開されたのはわたしが子供だった頃で、大好きだった児童文学が原作だった。
 はじめてこのコピーを見たときは、何とも思わなかった。子供は往々にして元気なものだし、落ち込み方だってその理由だって、今とはまったく違う。落ち込む期間も、その立ち直り方も。でも、見た目まで違うなんて知らなかった。
 大人になった今は、このコピーがものすごく胸に刺さる。
 笑いながら、他人からまったく気づかれない方法で、ぎりぎりの落ち込みをさまようということ。大人って大変なんだね。心の内側にいる子供のわたしがそう言うけれど、外側の大人のわたしは、やっぱり微笑みを浮かべている。
 落ち込んだりもするけれど、わたしは元気です。
 うん。元気だよ。



編集部よりお知らせ
このWebマガジンの連載をまとめたエッセイ集『愛の病』『幸福病』(幻冬舎文庫)『ロビンソン病』(幻冬舎文庫)が好評発売中です! 是非、御一読ください。




落ち込んだりもするけれど、わたしは元気です狗飼恭子オフィシャルブログ