携帯電話に、知らない番号から電話がかかってきた。
 普段なら知らない番号には出ないのだけれど、ちょうど打ち合わせに行くところだったので、その相手の方からかも知れないと思い通話ボタンを押した。
「もしもし?」
 わたしが言うと、電話の相手はせかせかと早口で、
「あ、もしもし××の××ですけれど、すみません、先日お持ちするのを忘れた本をお渡ししたいんですけれどいつがいいですか」
 と、言った。
 彼の言った会社名も名前も、わたしにはまったく心当たりがなかった。
「それから××(彼の上司の名前らしく、呼び捨てだった)が、お宅にピーラーを忘れたそうですので、それも取りに行きたいのですが」
 ピーラーって、あの野菜の皮をむくピーラーだろうか。そんなもの、料理以外に使うまい。それに、お宅に、ということはわたしの家に来たことがある、ということだ。彼と上司は、わたしの家で、料理をした? まったく知らない人なのに? 彼は異常に早口だったので、わたしはそこまで口を挟むことができなかった。
「あの、すみません」
 わたしはおずおずと声を出す。きっと電話の向こう側の人は痩せているだろう、と何となく思う。男の人とは思えないほど、高い声だった。少し早回しされてるみたいな、あまり抑揚のない声。人間味がないというか。
「あの、たぶん番号をお間違えだと思います。どちらへおかけですか?」
 わたしはようやくそれを伝える。彼は十一桁の番号を口にした。わたしの携帯番号だった。なぜだ? だってわたしは彼も上司も本もピーラーも、全部知らない。
「あれ、合ってます」
「イヌカイキョウコさんですよね」
「あ、そうです」
「ではあの先日の本を」
 彼はわたしの困惑を受け取らず、話をさらに進めようとする。
「あの、すみません。わたしにはまったく心当たりがないんですが」
 本当に必死なその声に、彼はようやく、わたしが困っているということに気づく。
「え、でも、イヌカイキョウコさんですよね」
「はい」
「六本木で、シェアハウスに住んでいるイヌカイさん」
「いえ、違います。イヌカイですけれど、六本木には住んでいません」
 そう言うと、彼は一瞬の沈黙ののちがらりと態度を変え、急に男らしい太い声で、
「間違えましたすみません」
 と言った。そうしてそのまま、わたしの言葉を待たずに電話は切られた。
 携帯電話を耳に当てたまま、わたしはぽかんとしている。
 なんだったんだ今のは。まったく意味が分からない。同姓同名? いや、イヌカイキョウコ、などという変な名前の人が他にいるとは思えないし、いたとしても、わたしの携帯と同じ番号を持っているはずがない。わたしのドッペルゲンガーが現れたことは一度や二度じゃないから、そんなには驚かない。でも。
 ドッペルゲンガーのやつ、ついに住居を手に入れたのか。六本木なんて浮ついた場所に。
 それとも。
 ひょっとして、「違う次元のわたし」宛の電話だったのか。
 どこかの曲がり角で違う道を選んでいたら、わたしは、六本木でシェアハウスをし、誰かに借りたピーラーで野菜の皮をむく人生を送っていたのか。
 違う次元からの電話だったから、彼の声はあんなに細く高く早口にきこえたのだろうか。まさか、でも。
 それ以来、彼からの電話は来ない。だから、答えは知らない。



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