横断歩道の反対側からその場所を見て、わたしは思わず「あ」と声を上げた。
 そこに、あるはずのものがなかったからだ。
 信号が青に変わる。その場所から目を離さずに歩き始める。黒と白の縞模様の横断歩道を渡ってガードレールに囲まれた歩道に入り、電信柱の前で足を止めた。
 やっぱりなにもなかった。
 何もないことに驚く、というのは変かも知れない。けれどわたしはそこに、花があると思い込んでいたのだ。
 その電信柱には、飲み口を切り取られた透明のペットボトルが針金でくくりつけられているはずだった。ペットボトルは花瓶の代わりで、そこにはいつでも花が飾られているはずだった。
 もしかしたら花瓶の場所が変わったのかも知れない。周囲を見回してみた。けれどそれらしいものはどこにも見あたらなかった。
 この道は、前に住んでいた家から最寄りスーパーまでの途中にある。だから一年前に引っ越しをするまで、よく通っていたのだった。およそ六年間、週に数回。そのたびにわたしはここで、電信柱にくくりつけられた花を目にしていた。雪の降る日も、真夏にも。
 暑い日には花瓶の花はしんなりとしてしまっていたけれど、枯れていたことはなかった。次に通りかかるときには花は新しいものに替えられていたし、水が乾いて花瓶が空になっていることだって一度もなかった。わたしがその町に住んでいた六年間、ずっとだ。簡単な事じゃない。
 花瓶は誰かの墓標なのだろうと、わたしは思っていた。誰かがここで事故に遭って、そして亡くなってしまったのだろう、と。花を飾っているのは、その人を大切に思っている人だ、きっと。家族か、恋人か、友達か。
 それなのになぜ、花は飾られなくなったのだろう。
 飾っている人の身に何かあったのだろうか。
 想像してみる。病の床に伏したその人は花を飾る気力もなく、人にそれを頼むこともできない。ああ、きっとそれは秘められた恋だったのだ。その人は死ぬ間際、アルバイトの広告を出す。仕事は、同じ場所に花を供え続けること。期間は一生。報酬は、彼女の少ない遺産。
 そこまで考えて、自分に嫌悪する。誰かの悲しみを妄想して物語にしようとしている。職業病かも知れない、けれど、人の悲しみを自分のものにするのなら、もっと覚悟が必要だ。こんなに、簡単に妄想してしまうべきではない。
 いや、でも。ここで事故があったのかどうかだって、定かではない。調べたら分かるかも知れないけれど、わたしは調べないだろう。だから誰かが亡くなっただなんてことも、わたしの妄想でしかないのだ。
 本当にここに、花なんてあったのか?
 六年も通った道だ。なのに。
 知らない国で迷子になった気分で、わたしはしばらく突っ立っていた。



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