映画館のあるビルの一階のカフェで昼食代わりのチョコレイトブラウニーをかじりながら、突然、わたしはなんて幸せな人間なんだろうと思えて涙が出そうになった。
 それは本当に驚くべき発見で、頭の奥がじんじんするほどの幸福感だった。
 たとえばものすごく泣いて、泣ききって涙が涸れきったときにふいに感じる目の奥の熱さみたいな、そういう体の奥の奥から湧き出る熱さ、それが頭の中心と心の中心に大きく広がっていた。幸福は熱いのだ、とわたしは知った。いや、もしかしたら知っていたのかも知れないけれど、忘れていた。
 わたしは珈琲を飲み干して、立ち上がりカウンターまで行って生ビールを頼んだ。とてもじゃないけれど素面じゃこの大いなる幸福感に耐えられそうもなかった。黒ビールにしようかと思ったけれど、調子に乗りすぎている気がしたのでやめた。お席までお持ちします、と店員のお姉さんが行ったので、六〇〇円払って席に戻った。
 ビールはすぐにやってきた。
 少し暗いカフェの照明の中で、金色のビールはきらきらとしていた。黒ビールにしなくて正解だった。
 東京に出てきて、文字を書く仕事を始めて、おおよそ十八年たった。長い時間だ。
 消えちゃいたくなる夜も、あいつをころしてやりたいと思う昼も、悲しすぎてけらけら笑っちゃう朝もあった。でも良かった。消えなくて。誰もころさなくて。
 同い年のみんなが持ってるものを、わたしはなんにも持っていない。彼らが持っていないものだって、たいして持っていない。いいよね仕事があるから、なんて言われるけれど、そんなにたくさんの仕事をしてきたわけでもこれからできるわけでもないことは、自分自身が一番よく分かってる。
 特になんにもない人生。
 ああ、でも。
 良かったね、わたし。
 良かったよ、わたし。
 蝋燭の消える前みたいな多幸感、いや消えるつもりなんかまだ全然ないのだけれど。
 でもとにかく、生きてて良かったよ。
 こんなふうに思えるのは、また次十八年後なのかも知れないけれど。
 生きてて良かった。
 もっと生きるよ。生きようよ。



編集部よりお知らせ
このWebマガジンの連載をまとめたエッセイ集『愛の病』『幸福病』(幻冬舎文庫)『ロビンソン病』(幻冬舎文庫)が好評発売中です! 是非、御一読ください。




幸福熱狗飼恭子オフィシャルブログ