パリごはん 雨宮塔子の食事日記
1月29日
 毎月エッセイを連載している『ドマーニ』の撮影で、久しぶりに会ったカメラマンの篠さん、ヘアメイクのマナさんと共に、撮影後、現場近くのカフェでパナシェを飲む。パナシェをオーダーする時、いつもさるフランス語のテキストのことを思い出してしまう。渡仏前、独学で勉強していたそのテキストに、日本人の女の子がパリで出会った男の子と一緒にカフェに入るシーンがある。メニューを見て、ギャルソンにパナシェを注文する彼に、その女の子は“Qu’est-ce que c’est?”(それ、なあに?)と尋ねるのだ。
ジャンキーな組み合わせ
 たしかテキストの終わりの方で、その二人は入籍したのだった。パリを舞台にしているからか、思い返すと、やけに色っぽいテキストだったなぁ。篠さん、マナさんと向き合いつつ、自分の世界に入りかけた時、ビールをレモネードで割ったその飲みもの、パナシェが届く。つまみはポテトフリット。こんなジャンキーな組み合わせを前に、気のおけない友人たちとしゃべっている夕ぐれの時間は、パリで見つけた、幸せな一時のひとつだ。

手羽先
 カフェで篠さんから手羽先のレシピを聞く。パリの周りの友人たちは、みんな料理が上手で、中でも味覚の好みや、食い意地の張り方が似ている篠さんとは、よく食べたものや作った料理の話で盛り上がるのだけれど、今回のは、篠さんにしてみたら一見濃い目のレシピだ。にんにくの香りを移したごま油で、手羽先の両面をきつね色になるまで炒めたら、コーラと八角とお醤油で煮るというもの。豚肉をオレンジジュースと白ワイン、あるいは赤ワインやビールで煮たことはあるけど、鶏肉をコーラで煮るというのが斬新に感じた。八角の風味をつける台湾風の煮込みは好みの味なので、さっそく試してみることにした。
 出来上がったものは、思ったよりさっぱりしていて、お酒のつまみにもよさそう。手羽先というと塩、こしょうして、オーブンに入れ、焼き上がったらレモン汁をかけてかぶりつく、というワンパターンだったから、新たな定番ができて嬉しい。
2月4日
 彼の秘書であるサンちゃんこと、サンドラに、娘の幼稚園の書類を見てもらいにいく。フランスはとにかく紙社会。学校を休ませるのに手紙を書くのはまだいいけれど、託児所や、はたまたスキー教室の申し込みまで、膨大な枚数の書き込み用紙が回ってくるのだ。
 商業フランス語、じゃないけれど、手紙の文体は厳密な決まり事が多いので、滞在歴も間もなく10年を迎えるというのに、未だに自信がない。それでも、昔の、語学学校に通っていた頃のテキストを広げてなんとか下書きを仕上げ、サンちゃんに見せると、彼女は仕事外のことなのに、気持ちよく目を通してくれたのだった。
ベトナムサンドイッチ
 サンちゃんのいる彼の事務所は5区にある。帰りにふと思い立って、ベトナムサンドイッチを買おうと、隣りの13区まで車を飛ばす。二ヵ月ほどのご無沙汰だっただろうか? しばらく食べないと禁断症状の出る、私の大好物。バゲットにチャーシューと、見た目は錦松梅のような鶏のそぼろに、キュウリとにんじんのなますを挟んだベトナムの定番サンドなのだけれど、以前出した本に、このサンドイッチのことを書いたら、在住日本人の方から問い合わせがあったという伝説を誇る。
 昼時をはずすと売り切れていることが多い。車を運転しながら、焦ってきた私は、一旦車を路肩に乗り入れ、取り置きしておこうと店に携帯をかける。この食い意地、時に我ながら恐い。何本いるかなー? そうだ、さとちゃん(彼の仕事のパートナー。10月から同居し続けて四ヵ月を越えた男性)の夜食用にも、一本買っておこう。
 10分後、見事にサンドイッチをゲット。うーん、この味よ、この味。バゲットの食感、チャーシューのジューシーさが毎回微妙に違うのだけれど、今日のは特に「当たり」だった。
 夜、日本に帰国中の彼と数日ぶりに取れた連絡で、サンちゃんに頼み事をしてしまったことを事後報告する。一応、自分で下書きしたものを渡し、サンちゃんにも誉めてもらったと告げると、
「サンちゃんにはそれが大事なんだよ。丸投げされると、あいつ、キレるから」
 …………。おっさんの毒舌は止まらない。
2月8日
「あぁ、“microbe”(細菌)ね」
 涙の止まらない娘を抱えて、飛び込んだファーマシーで、娘の舌を覗くなり、エレンおばさんは言い切る。この断定口調が心強くて、子供たちの体に出た症状が不安な時、私はお医者さんに診せる前に、ファーマシーのエレン・プレオクールさんに意見を求めることがある。
 あれは数ヵ月前のことだ。前へつんのめって転んだ息子が、歯で唇の裏を深く切ってしまったことがあった。血が止まらない息子を抱きかかえ、洋服の肩のあたりが血まみれなのもお構いなく飛び込んだ時も、エレンおばさんは冷静に判断を下したのだった。
「病院に行って縫う必要なんかない。口の中なんだから、消毒液を浸したガーゼをふくませとけば、きれいにふさがるわよ」と。
 果たして、3日もすればウソのように息子の傷は消え失せた。このエレンおばさんの、責任回避のためにあいまいなことを言わないところが気に入って、それ以来、大いに信頼を置いている。
 今回娘の舌に出たブツブツは、口内炎の一種だと思っていた。「舌を痛がってて」と昨日、たまたま電話をかけてきてくれたノリノリ(お向かいに住む関西人マダム)に相談すると、ネットで“口内炎”について調べてくれた彼女が、さっそく折り返してくれた。
「口内炎にはね、ビタミンBと鉄分が効くらしいよ」
 ちょうど家の近くのマルシェを歩いていた時に電話を受けたこともあって、その場でほうれん草を買い込む。そうだ、レバーも食べさせよう。やっぱりレバーとほうれん草は最強の組み合わせでしょう。お肉はここ、と決めている「ボン・マルシェ」(左岸にあるパリ最古のデパート)の食品館へ向かうため、一旦車を取りに戻った。
 ここの“foie de volaille”(鶏のレバー)は新鮮だ。牛乳に30分くらい漬け込んだ後、水気を拭き取って、塩、こしょうをし、さらに小麦粉を薄くまぶす。フライパンにバターを溶かし、レバーを入れたら、両面をさっと焼き、取り出しておく。先ほどのフライパンにマデラ酒を適量注ぎ入れ、そこにレバーを戻してからめる。続けてほうれん草も投入、軽くバターモンテする。
(たしか子供たちも喜んで食べてくれてたはず……。そういえば最近は作ってなかったな)
 食卓テーブルにバーンと出すと、肉より魚派の息子はほうれん草だけつまんでいる。肝心な娘はというと、舌の痛みに食欲もないらしく、箸をつけようとしない。私は自分で言うのもなんだが、食べさせ名人だ。よく、むりやり食べさせるのはよくないという話を聞くけれど、そんな心配をする必要もなく、今まではやってこれていた。
「これ食べなきゃデザートはないなぁ」
 これで彼に似て甘い物好きの息子は、あわてて口に突っ込む。
「さやが好きだと思ってママが作ったのになぁ」
 意外に親に気を遣う娘には、このパターン。今回はさらに、「さやの舌のために」と強調するのを忘れなかった。ところが……。一口かんだなり、娘の目から大粒の涙がこぼれる。
「これ、好きじゃない……」
語尾が消え入りそうに小さい(あれ? このマデラ酒味は、好きじゃなかったっけ?)。ためしに一口、口に入れてみると、レバー臭さが抜けていない。しまった。牛乳に浸しておく30分がもどかしくて、5分程度にしたのが悪かったのかナ? しかも、なんだか固い。ふだんは表面に焼き色をつけるのに、強火で短時間で仕上げるのを、子供用だからとちょっと不安になって、だらだらと火を通しすぎたのがいけなかったのかしらん?
 ほうれん草は食べる娘に、なんとかほうれん草3、レバー1の割合で同時に口にふくませるも、目をうるませ、飲み込むたびに体を震わせるので、こっちの方が堪え難くなる。娘だけじゃなく、息子にも食べさせて、相乗効果というか、同志の気分を味あわせなければ。
 息子の口にレバーの塊を押し込むと、グウェッと喉の奥の方から嫌な音が……。とにもかくにも、レバー5切れに40分かけた食事を終えさせたのが昨夜のことだった。
“microbe”ってことは、口内炎とはまったく別物だったのだろうか? 昨夜の格闘シーンが甦る。あの泣きが入ったレバーはなんだったんだ?
 これを読んで、このレバーソテーを試してみようと思う人はいないかもしれませんが、前述した二点に気をつけさえすれば、手軽に美味しいものになるはずなのです。





雨宮塔子