2001年12月14日

『MADE IN HEAVEN』の後遺症なのか、書き終えてからずっと激鬱状態だった。
 何をしていてもやたらに悲しくて、何か大切なものを失ってしまったっていう喪失感がつきまとって……。夜更けの歩道橋から、国道を高速で走り去る車の光を見てたら、なんだかその渦の中へ引っ張り込まれるような気がして、我ながら危険を感じた。
 どうも、あたし=ジュリの精神状態になりきってて、そこから抜け出せなかったみたい。元々ジュリのキャラクターは、あたしの中にある一要素に肉付けしたものだか
ら、現実とシンクロしちゃうのも当然なんだけど、それにしてもほんとに辛かった。
 うーん、春までには現実復帰できるかな?

 今日のテーマは音楽。
 これまでも何度か好きな音楽について書いてきたけど、今回はあたし自身が日常的に触れてるピアノについて、です。
 『MADE IN HEAVEN』や『デジャ・ビュ』でも、バッハやドビュッシーのピアノ曲が沢山出てくるし、『デジャ・ビュ』のno eyesはピアノの調律師だけど、これはあたし自身のピアノへの思い入れと、深く繋がってる。

 ちゃんと習ってたのは4、5年間で、あとは我流の独学だから、全然、人に聞かせる技術はないよ。レッスンをやめた理由は、単調な練習曲が嫌いだったことと、ピアノの先生が超厳しくて、弾き間違えると手の甲を思いっきり殴る(マジ)ので、それが恐かったから。つまり、怠け者だったってことです。
 自分で最初に練習したのはショパン。ノクターンや幻想即興曲の第2楽章を下手だけど毎日、毎日、飽きずに弾いてた。
 そのうち気付いた。
 ショパンの曲は美しいだけじゃなくて、どれもものすごくせつなさとかやるせなさとか、憧れとか色んな感情を呼び起こしてくれる。どんなに自分が醜い感情でいっぱいになってる時も、曲を弾き始めると、心が浄化されていくことも。
 きっと、ショパン自身が、自分の心の内部の色んなどろどろした葛藤を昇華するために、天上の調べのような美しい曲を生み出したんだと思う。だから、それを弾くことで、彼の光を求める心の強さを感じとれるんじゃないかな。
 どうしようもなく気分が落ち込んじゃった時は、「リリイ・シュシュ」で久野さんが弾いてたドビュッシーの「アラベスク」を弾いて、その流れ落ちる星屑の滝のようなメロディに癒されたり、どこにもぶつけられない怒りや悔しさが胸に溜まった時は、ショパンのスケルツォの転調部分の激しいメロディを殴りつけるように弾いたり
……。
 邪道な弾き方かもしれないけど、自分の気持ちがとげとげになった時、それをそのまま他人にぶつけるのは好きじゃないから、少しでも心を澄んだ状態に戻すのに、すごく必要な時間。
 
 ショパンが情感の美だとしたら、ドビュッシーは印象派っていう感じかな。
「月の光」「アラベスク」「亜麻色の髪の乙女」……。
 どれもこの世界の自然が生み出す最高の美を、鍵盤の華麗な動きで表現して、あたしたちをその世界に連れ去ってくれる。
 夜の海でさざめく星の光、遠くの森の梢で渦巻く風、朝まだきのうっすらとオレンジに染まった空……。彼の曲には自然のすべてがある。だから曲を弾いた後、窓の外を見ると、濁っていた景色が新鮮な感動を伴って眼に映る。

 それからバッハは静謐な天上の音楽。
 どんなに自分の人生や生きているこの世界がめちゃめちゃになっても、最後は神聖な調和のハーモニーが空から降りてきて抱きとめてくれる。そんな心の安らぎを与えてくれる。

 クラッシックだけじゃない。ロックでもジャズでもテクノでもポップスでも、ピアノじゃなくちゃ絶対にだめーっていう名曲は沢山ある。
 いつかトライしてみたいのはクラプトンとクィーン。超むずかしそうだけどね。坂本教授の曲もかなりよさげ。
 今のお気に入りは「アラベスク」とパッヘルベルの「カノン」と、エリック・サティの「ジュ・トゥ・ヴ」。
 このサティの曲はいかにもフレンチっぽくて、遊園地の賑やかなメリーゴーラウンドの上で、人生の色んな場面を思い出してるみたいな楽しい曲。次作に登場するような予感が……。
 いつか、皆に聞かせられるほどの腕前になったら、ライヴでも開こうかな……(って、言うだけ言ってみたかった)。

 来年の予告
 今、初の短編集を書いてます。色とりどりのジェリービーンズや、子供の頃の宝物、憧れや夢や、稚拙な、でもピュアな愛がぎっしり詰まったような本にしたい!!
 それから大ニュース。来年の秋頃、実花っちとのコラボレーションを再び。今回、
『MADE IN HEAVEN』でMAOちゃんと一緒に、ステキなラブシーンを演じてくれた「未来はジョ二ー・ディップを軽く超える俳優」、俊君を主役にした写真小説を出したいなー。まだはっきり決まってないけど、実花っちと二人でそう語りあってます。
 期待しててね。



2001年11月30日

 みんな、『MADE IN HEAVEN』の感想をカキコしてくれてありがとう!!ほんとにうれしいです。
 これまでどの作品にも全力投球してきたけど、この2冊を書き終えたときは、血や内臓まで全部、小説の中に注ぎ込んじゃったみたいな、ものすごい虚脱感に襲われた。今、カゼミチもジュリも、現実に生きた存在としてあたしの中にいる。これを書いたことで、自分の心の組成まで激しく変ったような気がするよ。
 実花っちが撮ってくれた大ブレークまぢかのMAOちゃんとShunくんの表紙は、胸が痛むほど「いとおしい」っていう気持をそのまま表現してくれてて、あたしの新しい宝物になった。

「いとおしい」っていえば、最近、激カンドーした「アメリ」っていうフランス映画のラブシーンもほんとに胸が震えた。
 空想好きで内気で臆病な女の子アメリが、なかなか好きな彼にストレートに気持ちを伝えられなくて、さんざん回り道したあげく最後にほんとの心を行動で表現する。その「キスして」ってせがむ仕草がメッチャ可愛くて、もう完全にうるうるきてた。もし彼女と同じようにコクる勇気が出ないっていう人がいたら、参考になるかも。

 BBSについてあっちに書こうと思ったけど、とりあえずタイムリーだからここに書く。
 レスや詩を書くBBSと、一般のBBSを分けた方がいいっていう意見は、これまでも何回か出てたよね。確かにその方が、初めての人には抵抗なく入りやすくて見やすいかもしれない。改善案を書いてくれた人たち、ありがとう。
 でも、あたし自身は分ける必要はないと思ってる。
 理由はもし自分に関心のない書き込みは読みたくないと思うのなら、興味のある部分だけをスクロールして読めばいいんだし、それはそんなに大変なことじゃないから。みんなやあたしに向けたメッセージなら、どんな表現方法でもその人らしい個性なんだって考えてる。

 街でもネットでも、人が同じ場所に集まれば、必ず色々な考えや希望を持った人が出てくるのは当たり前。ある人は路上で歌いたい。別の人はものを売りたい。パフォーマンスをしたい。たださっさと歩けるだけの何もない静かな空間がいい。色んなものを見て楽しみたい……。
 それぞれ目的別に空間を区分けしちゃえば、確かに効率的で見やすいかもしれない。でもあたしは街の面白さって、どこで何に出会うか分からないことだと思う。TPOにあってて、他人に迷惑をかけず、破壊的なことをしないっていう前提さえ守ってれば。
 渋谷は最近、きれいな整然とした街になったよね。でもあたし的な意見では、以前のごみごみしてて、ちょっと危険もあるけど驚きや発見もたくさんある渋谷の方が好きだった。
 何より「自分の街」って思えたし。
 ここのBBSもそんな風に思ってもらえるとうれしいな。


「black & white」

あたしが歩く街は いつも深い闇の中
風の唸り 地の轟き 星の狂気
毒々しい喧騒から生産される紛い物の地獄グッズ

崩れ落ちそうになりながら
下りのエレベーターを必死で登る
極度の貧血で脳細胞は空っぽ
胃の中には腐食したマグネシウムを詰め込まれ
人間の皮を被った蝙蝠と化して
黒い退屈の海を切り裂いて飛ぶ

生れる前に胎内で一度だけ見た白い閃光
それは一瞬の夢
移植された偽りの記憶
それでも
月の夜は虚しい憧れが翼を広げ
窒息病棟から抜け出そうともがく
夜空を映す硝子の壁にぶつかり
落下して死ぬ日がくるまで



2001年11月15日

 最近、大好きな映画監督二人に、久しぶりに会えて凄くうれしかった。一人は「リリイ・シュシュのすべて」の岩井俊二監督。もう一人は、「エヴァンゲリオン」や岩井監督主演の「式日」を撮った庵野秀明監督。
 二人とも素晴らしい作品をあたしたちに見せてくれる日本では最高の映画監督で、しかも人間的魅力もメチャメチャある。
 ひと言で言えば、岩井監督は深い深い海のようなひと。庵野監督は雲の上に聳え立つ山のようなひと。うーん、うまくいえないけど、二人の眼に映っているものが、そんな風に思えるんだ。
 自分の内面から人を感動させる作品を生み出すクリエーターは、とても大きな宇宙を身体の中に持っている。
 その宇宙はある時はこの現実よりずっと大きかったり、重かったりするから、それを映画や芸術にして外に出さなければいられなくなる。
 だから彼らの瞳を覗き込むと、広い宇宙に引き込まれそうな不思議な感じがするのかもしれない。

 現実の世界がどんなにあなたを傷つけても酷くても、そんなふうに創造された別の色彩の宇宙へ飛び込めば、限りない力や勇気をもらえる。
 例えばあたしが小さい頃に読んだたくさんの物語は、みんなファンタジーや夢の世界のものだけど、周囲にうまく馴染めなかったあたしの、たった一つの隠れ家だった。ぼろぼろになるまで繰り返し読み、細胞に吸収される作品は、大人になってもどんな勉強より希望とエネルギーを生み出してくれた。
 身体の中に海や空や山のある一つの宇宙を持つことは、物語の命を手に入れることなのかもしれない。

 岩井監督の言葉には『MADE IN HEAVEN』で、庵野監督とのお話には『デ・ジャヴュ』のあとがきで出会えるよ。お楽しみに。

 最近、レオナルド・ディカプリオとトビ―・マグワイア主演の「あの頃ぼくらは」という映画を見た。彼らが十代の一番澄んだ眼をしてた頃に作られた映画で、カフェに集まった仲間たちが一晩中お互いの心の傷やセックスについて語り合い、ぶつかりあうという、青春の光と影を描いたもの。
 これはレオとトビーの許可なく映画化してしまったので、アメリカでは公開できなかった「幻」の映画です。大好きなレオとトビ―がまるでバーガーショップで隣りに座った男の子みたいに身近に感じられ、時々「映画なのか、彼らの素顔なのか?」と思ってしまうほどのリアルさがドキッとする。

 最近の亜美的ヘビーローテーションはRADIOHEAD「OK COMPUTER」と、ミスチルの「youthfuldays」。



2001年10月31日

 星をつくるもの

 あたしの心臓が皮膚を切り裂いて
 小さな宇宙船となって身体を離れ
 暗く果てのない命の海に着水すると
 青白く燃えあがる惑星を探査して
 光のコトバで教えてくれる

 すべての喜びの谷
 すべての悲しみの砂漠は
 絡み合う二つの魂の影絵
 高く、恐ろしいほど無窮の空が
 紅の、突き刺さるほど血の色をした雲は
 二つの肉体の裏側に通じていると

 どこまで走っても
 きっと逃げられない
 星をつくっているのは
 あなたがあたしを抱く時の
 死にも似た永遠の音色


 今夜は詩の気分だったから、ちょっとエロティックなのを書いてみた。
『MADE IN HEAVEN』がようやくあたしの手を離れ、本になるための最後の旅に出ました。
 今度戻ってくるときは、本屋に並ぶ時だと思うと、胸がどきどきしてくる。
 BBSにも書いたけど、11月末までちょっと待っててね。

 最近、愛についての映画を見た。
 二コール・キッドマンとユアン・マクレガーのミュージカル「ムーラン・ルージュ」。
 ユアンは「トレイン・スポッティング」で大好きになったけど、二コール主演の映画はこれがはじめて。色白で足が長くてバービーちゃんみたいな彼女は、ムーラン・ルージュの踊り子にぴったりはまってた。
 その中で、ふたりがエルトン・ジョンの名曲「ユア・ソング」を何度も歌う。ユアンも二コールも歌がうまくてびっくりしたけど、この歌がこんなにせつなくて美しいラブソングだっていうことにも驚いた。
 スポンサーをゲットするために、金持ち男に口説かれる二コール。彼女をピュアに愛するユアンは心が引き裂かれて、絶望の底に沈む……。何の見返りも期待せず、計算も捨てて、ただ純粋に誰かを愛するってことは、ラブストーリーの基本ではあるけど、この映画でば「ユア・ソング」でユアンの深い想いをストレートにぶつけられて、心が締め付けられた。

 あたしはいつも、小説の中で「愛」を描いてきた。
 形もなく捕まえることもできず、ただ胸の中に溢れる海のような想い。
 自分を変えてしまうほど、烈しくて大きな力。
 それが何なのか、いつも知りたいと思っていたけど、今はこう思ってる。
 きっとその人だけが、自分を心の底から子供のように笑わせたり、泣かせたりすることができる。生れてきた意味を教えてくれる。
 他の誰も……そんなことはできない。その人の心を通じて、世界が奇跡で成り立っていることに初めて気付く。きっと皆も、そう思ってるはずだよ。

 この星には男と女がいて、たくさんの愛し合う恋人や片思い中の人や切ない思いに悩んでいる人たちがいる。
 でも人の心のエネルギーが愛に向かっている限り、あたしたちは美を感じる感性を失うことはない。夕陽の薔薇色の残照や、夜の海に瞬く星の煌めきや、音楽やアートや、小説や映画の中に、かけがえのない大切な一瞬を見出せる。だから、そんな時間を失ってしまった人たちが、この惑星に存在することは、何よりも悲しい。
 彼らが命が自然に愛へと注がれる日々を取り戻すことが、たぶん、この星が輝く一番の方法なんだと思う。

 論理も政治も経済も宗教も……。
 すべてを超える美しいものは、絶対に存在するから。



2001年10月15日

 祝BBS10000カキコ突破!
 これからもIモードのBBSや亜美イズムと一緒に、みんなが心で繋がる海のような場でありますように。
 このサイトがスタートしたのが、去年の7月。だから1歳と3カ月になったわけだけど、なんかあたし的には、もう10年ぐらいの歴史と重みを感じている。言葉から言葉へ、心から心へ、いろんな感情や思いが伝わるのを見ていると、虹の色がさざなみになって水平線へ広がっていくみたいで、すごくうれしくなる。
 ここにカキコしてくれてる人たちはちゃんと暖かな生身の身体で息づいていて、ここで発したり受け取った言葉を心の何処かに感じながら、愛したり悩んだりしてるんだなーって思うと、言葉にならない深ーいものを感じちゃう。

 わあい、BBSに『MADE IN HEAVEN』のカバーモデル、小林俊君が初登場してくれた! みんな、読んでくれた? すごい素敵な詩を書くシャイな16歳だから、みんな彼の俳優への道を応援してあげてね。あたしはファン1号(じゃないかもしれないけど)。ミカもMAOちゃんも、みんなここに来てくれたから、ほんとにうれしい。

 空爆が始まって、戦争とか炭素菌とか、毎日のように嫌な言葉が飛び交っている。
 誤爆された一般市民やNGOの職員が死んでしまったっていうのも、ほんとにやりきれない。
 幼い頃の記憶で、一番恐かったのは、海の広さと人の怒りだった。
 海が恐かったのは、海が「無限」のものだと信じこんでて、その果てがないっていう感覚が飲み込まれてしまいそうな恐怖感に繋がってたんだと思う。
 人が怒ったり、苛立ったりする時に発するオーラは、小さなあたしにとって恐ろしく魔物の吹く炎みたいに感じられた。それは美しい花の絵に、どす黒い泥を塗りたくるみたいに、何もかもをすべて汚して醜くしてしまうと思ったから。でも今考えてみると、ほんとに恐かったのは怒りや苛立ちそのものじゃなくて、それが作り出す破壊への衝動なんだよね。子供は無力だから、大人のそういう衝動に踏みつぶされたり心に切り傷を作らないよう、本能的に身構えるんだと思う。
 破壊は破壊の連鎖しか生まない。怒りは人の感情として当たり前のものだけど、それをなぜ理性や言葉で解決できないんだろう? もう戦争やテロなんて言葉、この星から永遠に消えてほしい。ジョン・レノンが生きていたら、悲しみの歌を歌うだろうな。
 元ブランキーのベンジーが「アフガニスタンを第2のベトナムにするな」っていう願いをこめて「ベトナム」っていうアルバムを出したって読んで、すごく共感した。そんなふうに世界中のクリエーターがみんな何かの形でメッセージを発信して、憎しみの空気を変えていければいいのに。あたしも、今、自分に何ができるのか考えてる。

『MADE IN HEAVEN』いよいよあと少しで出ます。
 これまでとは一味違う近未来ミステリー風のテイストで、読み終わったらきっと「魂から誰かを愛したい」と思ってもらえるはず。あたし自身、書きながら、愛について考え込んで、胸が苦しくなった。本当の愛は苦しみや痛さを伴うもの。でもそれだけが、本当に人を救い、自分を星の輝きの一部にする。
 主人公の風道と樹里みたいに、自分の殻から出ようともがきながらも、深く相手を求め合えれば、もう他に何もいらない。



2001年9月28日

「death of a tree」

 月光の街。大気に香る秋の匂い。
 虫たちの無数の亡骸を飲み込んだ芳醇な大地や、ハリガネみたいに干からびた三日 月や
 ひっそりと実をつけた柘榴のかすかに腐敗した甘い香り。
 風がずっと遠くの山脈にぶつかって渦巻く、ごおーっという低いうなり声が
 少しずつあたしの細胞を変質させていく。

 声はこう命じる。
「靴を脱ぎ捨て、服を切り裂き、髪を振り乱して北風に立ちつくせ。一本の樹のよう に」
 あたしは風に従い、空を見上げ、両足を開いて高い丘の上に佇む。
 夜が更けるにつれ、あたしの身体の肉と地の瑞々しさは消えうせ、
 甲殻類の黒光りする鋼鉄のシェルに変わっていく。
 首もつま先も胸も、そして唇も。
 悲しみは感じない。苦痛もむなしさもない。
 夜空から白い光のナイフが降りてきて、最後に残った瞳をやさしく切り取る。
 小さなヒトデの形の、名もなき流星にするために。

 夜明け、あたしは一本のやせた桜の樹になる。
 何も見えない。何も聞かない。
 時を運ぶのは、忘却という名の血のような稲妻と、記憶を束ねた一条の陽光だけ。
 あたしは気づく。
 ほんとはこの世界に生まれたことなんか、一度もないと。
 永遠に続く死のまどろみのなかで、刹那の夢をみているだけ。
 魂はまぼろし。
 雪のような桜吹雪が、淡い月光に消えた。



 かなりダークな詩になっちゃった。
 冬に近づいてきたせいかな。
 それにテロ事件のずっと続きそうな後遺症が、頭の後ろに刺みたいに突き刺さってる。
 でも絶望してるわけじゃなくて、希望を持ちたいからこんな詩を書くんだ。
 希望はいつも言葉の果ての暗い地平線からやってくるから。
 この前の日記で未定って書いた小説は十月には間に合わず、十二月になりそう。タイトルは『deja vu』。
 それと『MADE IN HEAVEN』二冊同時刊行は予定より少しだけ遅れて、11月の上旬になりそうです。
 ひとつの悲しい事件を恋人同士がそれぞれの男女の視点から見て、精一杯のせつない愛を奏で、ひとつのメロディ(物語)にする、っていう初めての試みだから気合が入ってる。書きながら、自分も含めて心を防御しようとする殻を破って、相手に真実の心をさらけだすことの難しさをつくづく感じた。それは日常のなかの家族とか友達との関係でも、国と国、民族と民族でも同じだと思うけど。
 殻を壊さなければ本当の関係なんか決して生まれっこないのに、傷や失敗や拒絶にぶつかると相手を信じられなくなって、また殻の中に閉じこもり、相手を攻撃したり自己嫌悪したりの繰り返し。
 あたしもやっぱりそういう殻から完全に脱皮はできなくて、そんな自分を「ばかみたい」ってもどかしく思う。愛すること、つながることは、相手の心の光や闇をきちんと受け止めて、それがもっと美しくなるように自然に助けてあげられること……だよね。
 殻なんか邪魔だー。遠くに蹴飛ばして、生身のリアルで弱い心で行きたい。たとえ何度傷ついても。それが人間にとっていちばん難しいことだとも思う。
 最近、AJICOの「美しいこと」やミスチルの「優しい歌」は、きっとそういうことを歌ってるんだなーと、しみじみ感動してる。
 弱くて強い、風に倒されても決して折れない川原の葦みたいな心がほしい。


 亜美連の集会、楽しかったみたいで、あたしも自分が参加したみたいにすごくうれしい。写真、早く日野っちに送ってもらわなくちゃ。顔とカキコが一致したら、もっと親密感を感じられそうです。
 あたしが一万ゲットするっていう提案、うれしいけど、みんなはいいかな?
 ひそかに狙ってた人たちがたくさんいるみたいだから……。



2001年9月15日

 ニューヨークのテロ事件、ほんとにショッキングだった。二ヶ月前、あの街を歩き回って、色んな人に会って、思いっきり空気を吸い込んできたばっかりなのに。
 旅客機をハイジャックしてビルに突っ込む映像や、ビルが倒壊するシーンを何度みても、「これが現実なんて、とても信じられない」っていう気持ちが捨てきれなかった。
 みんながあの事件のことを真剣に考えて、ここの掲示板にカキコしてくれてすごくうれしかった。
 だって、世界中のどこの国に起こった事件でも、殺戮や破壊が人間に呼び起こす悲しみや怒りを、自分の細胞で感じられるのがほんとうの共感能力だと思うから。

 テロや戦争で一番、許せないのは、政治や思想や宗教を動かす所から一番遠いところで一生懸命に生きている普通の人たちを、何の罪悪感もなく「ワンノブゼム」として殺してしまうこと。
 彼らには何の選択も行動も許されないよね。
 子供たちに愛情いっぱいのパパや、会える日を指折り数えて心待ちにしてる恋人たちや、仕事で疲れていても優しさを忘れない母親や……。そんな人々の夢も愛も全部、ほんの一瞬で跡形もなく消し去ってしまう。自分たちの非情な運命に思いを馳せる時間さえなく……。
 たとえどんな思想や政治的目的のためでも、そんな権利は誰にもない。正義のため、報復のため、宗教のため……どんな理由があっても、ひとりの真剣に生きている市民や子供を虫けらみたいに踏み潰したら、それはもう正義でも世界平和のためじゃなく、プライドや力の支配競争のために変っちゃう。

 眼には眼を、歯には歯を……では永遠に殺戮と流血が終わらない。国の威信とか、自己チューな神の教えとかはもう要らない。もっとこの星全部を、一匹の壊れやすい生き物として扱って欲しい。身体のどこかがガンになればクスリを飲んだり手術をする。ストレスが溜まったり神経が病めば、カウンセリングやリハビリをする。何が自分を成長させて、何が病気にさせるのか、身体のどこをどうすれば、美しくて強い生き物になるか、考えなくちゃいけない時代なのに。

 信仰は人を救うためにあるんであって、殺戮や排他主義のためじゃない。平和や進歩の足枷になるのなら、宗教は変っていかなくちゃいかない。もしどうしても変りたくないのなら、アーミッシュみたいに自給自足の外に迷惑のかからない世界を作ればいいんだから。それに国の誇りは世界の明日のためにある。面子や支配力のためにあるんじゃない。

 あたしは昔から民族とか国境とか国の威信とかいうのが大キライだった。
 一人一人なら「ハーイ!!」って笑顔で挨拶して、フレンドリーに暖かく話せるのに、そういうマスの単位になると、いきなり自分たちとは無関係な歴史や宗教が立ちはだかる。
 ドイツに行った時、デュッセルドルフの郊外の小さな村で、その村から第二次大戦に出兵して死んだソルジャーたちの写真を飾った小さな博物館を見た。ナチスのイメージは余りに残忍でぞっとするものだけど、微笑を浮かべた若い兵士たちのスナップは、どれも優しくて少し悲しそうな普通の若者の姿を映してた。出兵する時に、恋人や家族と抱き合って、「必ず帰ってくるよ」って言う姿が眼に浮かんだ。
 結局、殺すほうも殺されるほうも、日頃はこういう殺意とはまったく無縁の生活を送ってる人たちなのに、力を持った少数の人間の間違った主義とか思想が彼らを殺戮の道具にしてしまう。

『トゥモロウズ・ソング』であたしが書きたかったのも、そういうことだった。
 感じあうこと、共感しあうことが出来ない人たちは、結局、狭い息苦しい世界でプライドや利益だけを守ってすべてを敵にしていくことしかできない。
 でも、「繋がる」ことのできる人たちは、それよりずっと豊かで美しい世界に生きることができる。みんなが世界の反対側に住む人たちの痛みや絶望に「共感」して、その心の重荷を共有できたら、はじめて殺戮も紛争もテロもない世界になるんだと思う。
 ずっと前に書いたように「image」の力がすごく必要だよね。
 キレイごとでも理想論でもいい。一人でも多くの人がそう考えるようになっていくことで、初めて歴史が変っていくんだから。


 いつもはふわふわ、雲の上を踊ってるみたいな生活だけど、たった一つだけ心に誓ってることがある。それは「あたしには誰のことも絶望させたり、死ぬほど傷つける権利はない。あたしも、そんな風に誰かから苦しめられる理由はない」ってこと。「image」は自分ひとりの場所から広げていくものだと思う。

 思わず熱くなってテロ事件についてずいぶん長く書いちゃったけど、ちょっと別のお話。
 まだ未定だけど、「MADE IN HEAVEN」の前に、謎の一冊を出すかも。文庫にするか単行本にするかもわからない。でもこの事件が起こった今、みんなに読んでもらいたいなと思っている近未来の物語です。

 それから今度出る「文藝」のクリエイターズ・ファイルで、大好きな漫画家、やまだないとさんと対談してるので、ぜひ読んでみてね。あたしは「ラマン」の透明でエッジの効いたせつないエッチさが大好き。
 それから岩井俊二監督「リリィ・シュシュのすべて」のプログラムと、キネマ旬報から出る岩井さんのムックに、この映画について書きました。ほんとにいい映画でした。

追伸 しつこく映画の話。窪塚洋介くんの出る映画「GO」と、ユアン・マクレガー&二コール・キッドマンの「ムーラン・ルージュ」の試写会を見て、「ゴーストワールド」も見にいった。「GO」は窪塚のカッコよさと演技力と、シナリオの面白さに脱帽。「ムーラン・ルージュ」は後半の悲しい純愛悲劇に、マジ泣いた。
 ロック・ミュージカルで、二人でエルトン・ジョンのラブソングとかをうたっちゃうんだけど、歌がめちゃうまい! 二コール、これまで今イチだったけど、この映画で好きになった。バービー人形みたい。
「ゴーストワールド」爆笑。「アメリカン・ビューティ」のヒロイン、ソーラ・バーチが眼鏡のブスな女のこ役をやってるんだけど、超リアルで超かっこよくて超みじめーな感じの不思議な映画です。絶対笑えることうけ合い。



2001年9月1日

 日記は1ヶ月ぶりの更新です。
 実はつい昨日まで、沖縄の座間味島に行ってたので、赤く焼けた足や背中が今、ぴりぴり痛くてかゆくて大変な状態。
 みんなにひと言、報告してから行こうと思ってたんだけど……事後報告になっちゃった。ごめんね。
 で、今日はパラダイスの島、座間味のレポートと、ネットについてのあたしの考えをちょこっと書きます。

 座間味レポート
 えーと、座間味島っていうのは、那覇からフェリーで一時間ぐらいの、慶良間列島っていう三十ぐらいの島の中にある、ダイバーたちの天国です。
 海はほんとに「本物の青ってこれなんだ!!」って誰もが思っちゃう、夢の中でしか見られないような美しいパーフェクト・ブルー。
 でも島には小さなホテルとか民宿ぐらいしかなくて、海以外は何も観光施設がないから、ビーチはほとんど独占状態。眼が痛くなるほど真っ青な空に白い鱗雲が浮かんでて、陽光は強烈すぎて肌に突き刺さりそう。真っ赤なハイビスカスとブーゲンビリアが実花の写真みたいにどきっとする鮮やかさで咲き乱れてる。古い沖縄民家の白壁と赤い屋根、おどけた顔の魔よけ犬シーサー。そして夢の世界に誘い込むみたいに舞いとぶ大きなアゲハ蝶たち。そういう街並みを歩いてるだけで、頭がくらくらトランスしてくる。
 でも無人島大好きのあたしは、ボートをチャーターして、ガヒ島っていう小さな白い砂とサンゴ礁の島へ。その周りでシュノーケリングをしたんだけど、ほんとにみんなに絶対、見せたいぐらいきれいだった。まるで誰かが絵の具で塗ったみたいに、息を飲むほど紫、ピンク、赤、水色、白、黄色……極彩色の珊瑚の花畑が見渡す限り広がってる。
 その間を泳ぎまわるディーププルーの小さな魚群や、レオ・レオニの絵本から抜け出してきたみたいな虹色に輝く大きなお魚。エンゼルフィッシュに桜色のハタタテダイ……ぼうっとして、泳ぐことさえ忘れた。波のまにまに漂って、その光景を見ているうちに、自分も魚になって時のない世界に迷い込んでた。
 
 座間味って夏に宿で働いてるの人もガイドもライフセーバーもみんなダイビングのインストラクターだから、もう誰も彼も金髪に茶色く潮焼けした眼、それにマジに真っ黒でガタイのいいお兄さんやお姉さんばっかり。
 それに島の漁師のおじさんたちも子供たちも、みんな凄くいい色に焼けてて、
 なんかほんとにウミンチュー……海人って感じだった。
 ずーっと海で働いて、海の中の王国に潜って、海でとれたものを食べて……いいなあ。
 海の近くに住んでれば、みーんな海が吸い取ってくれる。
 淋しさ、虚しさ、悲しみ、醜さ……。
 みんな海から生れて海に帰っていく。だから、この夢の青だけは、永遠に変らないで美しいままでいてほしいと思った。

 ゴーヤーチャンプルーとラフティラーメンと、紫芋アイス、おいしかった。また食べたい!!
 
 頭がすっかりブルーに溶けて、まだぼうっとしてるけど、ちょっとネットについて。具体的なことはまたBBSに書くけど、ここの決まりは最初からずっと変らないよ。誰かを傷つけたり、誹謗中傷するのは、絶対NG。基本的には人と人が繋がる場所だと思ってるし、ネットだから現実空間と違うとも思ってない。
 あたしの本を読んでくれてて、誰かと繋がりたい、誰かと交わりたい、自分から何かを発信したいと思う人なら誰でも来てほしいと思う。
 だけど、ここからがちょっと難しいけど、皆がストレートに「繋がりたい」「発信したい」っていう気持を表現できるとは限らない。防御本能から人とは違った形になったり、逆の形を取る人もいるよね。
 そういうとき、表情が見えれば、心の中も察することができるけど、言葉だけだと、その人の本質がなかなか見えないこともあるから。でもあたしの願ってることは……。
 ネットには色んなサイト、色んなBBSがあって、論議をしたリ、意見の相違をぶつける場所もある。それも役に立つし、ネットのメリットの一つだよね。
 でもここはみんなが帰ってこれる、そしてまた再生できる海みたいな場所にしたいな。
 海は希望も悲しみも何でも受け入れてくれる。でも浄化できない油とか洗剤みたいなものをそのまま流してしまったら、たちまち海水が汚れて魚や珊瑚がしんじゃう。そうしたら、もう海の透明さ、青さに自分たちを受け止めてもらえなくなるよね。
 海は聖母のように限りない慈愛に満ちていて、創造主の広い懐で包んでくれるけど、同時に幼い子供の儚さ、脆さも持ってる。
 海も生き物なんだよ。
 そして人が集うネットも、やっぱり形はないけど海みたいな生き物なんだと思う。海を憎むことは自分を汚すこと。他人を汚すことは海を殺すこと。
 あたしは青い、青い海と空がなくちゃ生きて行けないし、みんなもそうだよね。

 他人を憎みたくなったら、「サーフスプラッシュ」のヒトミみたいに海へ行こう。
 ヒトミは悲しい結末になってしまったけど、あたしたちはブルーに溺れて、ブルーに抱かれて、きっと新しい命を取り戻すから。



2001年7月31日

 あと数日で『セクシャル』発売!
 今、あたしは完成した本を部屋に飾って、毎日眺めてる。「何でミカの写真は色も構図もこんなにぐっとくるのかなー」とか「何でMAOちゃんは中2なのに、こんなにどきっとするほど色っぽい眼ができるのかなー」っとか思いながら。
 はたから見たら、かなりイっちゃってる人みたいかもしれないけど、やっぱり本が完成したときって、何よりも胸がどきどきしてうれしい。ちょうど好きでたまらなかった人との初デートみたいなものかな?
 こういう時間が、小説家としての至福なんだと思う。
 BBSに感想をばんばん書いてね。待ってるから。

 今日は最近、良く考える感情の表現について書きます。
 喜・怒・哀・楽っていうけど、このうち喜……つまりうれしさと、楽……楽しさって、結構、自然に出せるよね。笑顔とか相手に喜びを伝える言葉って、ポジティブなものだから、ストレートに表現することにためらいを感じなくて済む。
 でも怒りと悲しさっていうのは、みんなも凄く相手にどう伝えるか悩むと思う。
 一つには、それがその場の雰囲気を変えてしまったり、シラケさせたりするかもっていう不安があるし、もう一つは、相手の心の中は読めないから、自分に怒りや悲しみを起こさせた真意を知ることが出来ない。だから、それに対して怒っていいのか、別の言葉をかけた方がいいのか、よく分からないってこともある。

 人間って、ひねくれてるから、ほんとはすごく怒ってるときに顔では笑ってたり、悲しいときにすねて意地になったりするよね。あたしは以前、人の気持ちを察してあげるのが一番いいことだって思ってたから、自分の感情はさしおいて、相手の気持ちばっかり分かろうとしてた。で、結果、自分の心の解決はつかないまま……。
 でも、友達とか恋愛とかの色んな場面に出会って、それは違うんだと思った。
 相手が心の底で何を考えてようと、嘘や裏切りや侮蔑や相手自身を卑しめるようないい加減な言葉は、怒ったり悲しんで当然だし、そういう感情を隠してると自分が自分でなくなる。時々、相手にその気がなくても悪意やいい加減さが、自分が人として一番大切にしていく何かを根こそぎ粉砕しようとする。それってきっと絶対に許せないよね。
 感情を爆発させるのは昔っから好きじゃない。でも、本当に怒るべき時、悲しむべき時っていうのは、一、二年に一度ぐらいは絶対にある(人によって十年に一度とか、一生に一度かも)。そういう時は、相手が大統領だろうと教師だろうと親や友人だろうと、ちゃんと相手になぜ自分が怒ったり悲しんだりしてるかを知ってもらった方がいい。
 暴力とか、目には目を悪意には悪意を、みたいなのはすべてを破壊するだけだから、何も解決しない。本当に効くのは、相手がしたことの重さやその結果の痛みを、そのままリアルに知ってもらうことだと思う。
 あたしなら……陰口とか噂とかは大嫌いだから、いつも相手にストレートに話す。感情を捻じ曲げたり大人ぶったりしないで、ありのままの気持ちをできるだけ静かに投げかけてみる。
 それで分かってくれれば理解しあえるし、聞く耳を全然もたなかったら多分、関係はそこで切れちゃう。ちょっと悲しいけど、心を押さえつけたままよりはずっといい。関係が壊れても、時がたって自然に修復できる時もあるし。
 怒りも悲しみも避けて通れないなら、歪んだ形じゃなく、相手により心を知ってもらえるように表現した方がいいよね。何が自分には許せないのか、自分を自分にしている大切なものは何かを自覚してれば、きっと感情表現だけが一人歩きをせずにあなたの味方をしてくれるよ。

 突然ですが、ここでちょっと亜美的東京遊びガイド。
 この前、ミカと久々に代官山に行ったら、すっごくかわいいお店が増えててびっくり。二人とも大好きなヴィヴィアン・タムの夏物バーゲンが定価の7割引っていう超お買い得だったので、眼の色が変わって、試着しまくり買いまくり。3割引じゃなくて、7割引だよ(しつこいって)。代官山はいい古着屋がたっくさんあるし、カフェもおしゃれでおいしいし、町が手ごろな大きさだし、お散歩には絶対お薦めの街。

 あたしは街ネタにはちょっと自信あり。なんたって、ウィンドウショッピングしたり、かわいい家やお店を発見しながら、歩いて歩いて歩きまわるのが大好きだから。歩いてて楽しいのは、やっぱり代官山や表参道、シモキタ、広尾、恵比寿あたり……かなあ。
 この前は大阪でBBSのオフ会……っていうか花火大会があって、とっても楽しかったみたい。仕方今度は東京で関東連合総会(ちょっとこわそー)があるみたいなので、今日はちょっとあたしのお気に入りの集会スポットを紹介しちゃう。

 イチオシ
 代々木公園、明治神宮、駒沢公園、世田谷公園とかの公園に近いカフェ。
 例えば世田谷公園なら、FANGOっていうカフェがあるし、明治神宮なら表参道にデザートハウスとかいっぱい素敵なカフェがあるし。気軽に集まれて、おしゃべりできて、飽きたら公園で遊んだり花火とかゲームとかできるから。ただし虫よけスプレーや痒み止め必携。
 あたしも犬のシャインも公園が大好きだから、よく行くよ。
 青山霊園も意外な穴場。お化けの話とかで盛り上がれそう。あっ、それから二子玉川の駅の近くの多摩川の河原もいい。特に夕陽がとってもきれい。実は『FIREFLY』の撮影もワンショット、ここでやりました。
 それからもう一つ、この小説に出てくるパーティーのイメージ舞台になってるのが、飯田橋の外堀沿いにある「CANAL CAFE」。ここはおお堀に浮かぶボードウォークでお茶してボート遊びもできるよ。

 まあ、ちょっと参考までに……っていう感じです。いい企画で盛り上がってくれたらうれしーな。



2001年7月13日

 暑い!!
 7月からこれじゃ、日本は亜熱帯のジャングルになっちゃう!!
 でもその方が、真夏大好きのあたしはうれしいかも。
 前から気になってた話題の「しろくま」っていうデザートをようやくゲット。半分溶けてきたら食べるんだ !!
 最近、毎日のようにセブン ○○ブンのソフトクリームを食べてる。コンビニ系ではミニストップのソフトが一番おいしいんだけど、近くにないから……。
 あたしはソフトクリームにはちょっとうるさい。
 一番おいしいのは、舌触りはけっこうさらっとしてて、いかにも生乳っぽいさわやかな味のソフト。高級! って感じの乳脂肪分高めのやつは、真夏に食べるにはちょっとくどすぎ……。
 ついでにいえば、麺類が一番おいしいのはセブン ○○ブンみたいな気がするけど、みんなはどう思う?
 でもなんで、ミニストが実名で、セブンが伏字なんだ?

 今日は大感動!!
 岩井俊二さんの新作映画、「リリイ・シュシュのすべて」の試写会を見てきたんだけど、身体が震えるほどよかった。
 「打ち上げ花火〜」や「フライド ドラゴンフィッシュ」や「スワロウテイル」も大好きだけど、あたし的にはこれが岩井さんの作品の中ではダントツ1位。っていうより、あたしがこれまで見た日本映画の中でも、ぶっちぎり1位。
 ストーリーは一言では説明できないけど、リリイ・シュシュっていうちょっとCoccoを思わせるようなカリスマ的な歌手の歌が、全体を包むテーマ……なのかな。地方のある中学で起こった色んな事件を一人の男の子の目を通して描いてるんだけど、まるで自分が教室の中の一生徒になっちゃったみたいに、リアルだった。美しい色彩の映像も小林武史の音楽もシナリオも、なにもかも、すごく魅力的で新鮮で……そしてせつなかった。
 そうだ、沖縄の島が出てくるんだけど、沖縄フリークのあたしとしては、それも高ポイント。

 ここのBBSにも沖縄に行った人が結構いるけど、あたしが何より愛してるのはあの、信じられないほどのブリリアント・ブルー。特に石垣島から西表島に漁船をチャーターして渡ったとき、きらきら輝いて底まで透き通ってるコバルトの海を見て、あたしはこれまでほんとの「青」を知らなかった、と思った。
 見た人ならわかると思うけど、あの胸がぎゅっとなるほど美しい空や海を見ると、自分が幻の世界にいるのか現実にいるのかもわからなくなっちゃうぐらい。海に飛び込んだら、自分の身体まで青く染まって溶けていっちゃいそうだった。岩井さんはそれをとっても素敵に映像化してたと思う。
 あんまり書くとネタバレになっちゃうからやめるけど、とにかく、ぜひぜひ見てください。絶対、みんなの心の奥に忘れられない何かを残してくれると思う。

 尊敬するクリエーターの素晴らしい作品を見るといつも、「自分ももっともっとがんばらなくちゃ」って、背中をぐいぐい押されてるような気がする。漫画でも映画でも小説でも音楽でも……。
 ものを創ることって、自分の内面と向かい合って、どんどん掘り下げて行く孤独な作業だよね。時には自分から逃げ出したくなったり、苦しくなることがあっても、すべてを捧げないと許してくれないものだし。もしかしたら、恋愛とよく似てるのかもしれない。
 嘘をついたり裏切ったりすれば、それだけ相手はどんどん自分から遠くなる。
 恋愛を続けようと思うなら、自分のすべてを相手にぶつけて相手のすべてを抱きとめるパワーがいる。そして、ものを創り出すことも決して裏切りを許さない。
 その代わり、何ものにも変えがたい喜びと満足を与えてくれる。
 いい作品には、つくり手の「愛」がたっくさん詰まってるよね。「愛」はそれに費やした長い長い時間や、たくさんの労力や苦しみや、流した涙や汗だったりする。あたしは作品の内側にそのピュアで大きな愛と情熱が見えると、いつのまにか涙ぐんじゃうんだ。そんなにも作り手に深く思われてる作品は、幸せだし輝いてる。反対に愛を注がれなかった作品は、淋しい虚ろな顔をしてるし……。

 あたしも自分の小説たちには、どれも目一杯愛情を注いできた。
 愛する能力には、けっこう自信があるからね(笑)
 でも今日、「リリイ・シュシュ」を見て、これから書く作品たちを、もっともっともっともっと深く愛していこうと、自分に誓ったよ。

 愛を注ぐためにはいっぱい養分がいる。
 だから今年の夏もまた、あの宝石みたいに青い海を見に行こうと思う。
 大きくて生命の力が漲っていて、限りなく美しい自然の胸に抱かれると、自分も、自分のしていることも、とてもちっぽけなものに思えてくる。
 鱗雲をどんな炎より赤々としたファイヤーレッドに染める夕陽や、朝露に濡れて咲きかけた野の花のはっとするような美の躍動に勝てるものなんか、何もない。でも、そういう世界があたしたちの周りを羊水みたいに包んで、愛を与えてくれるから、苦しくても惨めでも物語を夢見ることができる。
 人間のどんなに輝かしい軌跡も眼を背ける醜さも、その景色のほんの一部で、なにがあろうとその美しさを壊すことはできないって、心のどこかで強く信じてるから。

 空や海や星や樹は、すべてを教えてくれる先生で友人で……そしてあたしにとっての「神」に一番近い存在かもしれない。


P.S. 『セクシャル』は愛を何万トンも詰め込んだ爆弾です。
   みんなの心の中でバクハツさせてください。



2001年6月29日

 いよいよ来月の頭に、新作文庫『セクシャル』が出る!
 ちょこっとだけ中身のことを教えちゃう。
 各章のタイトルは全部、あたしがリスペクトしてる女性ミュージシャンの、その場面に一番合った曲の題名を選んでます。みんなももしCDを持ってたら、そのタイトルソングを聞きながら読んで欲しいっていう願いもこめて……。

 この本の解説を書いてくれる(あたしとの対談というかたちです)真中瞳さんと、この前、幻冬舎で色々、深ーいお話をして、色んな発見があったので、今回はそれについて……。
 タイトルは「自分とトモダチになる方法」かな?

 瞳さんは名前の通り、瞳がすごくきれいに澄んでて印象的な人だった。
 あたしは人と話す時、「これでもか」っていうほど、相手の眼をじーっと見るクセがあるんだけど、彼女もやっぱりそうらしい。それから誰かを好きになるとき、やっぱり「眼」から好きになるってところも同じだなと思った。
瞳さんはとっても自分に正直で、とっても自分の心の中身についてよく考えてて、そして「自分」をはっきりもってるけど優しくてステキな人。それからもうひとつ、すごーーーく足が長かった……。
 普通のぺったんこのスニーカーはいてたのに、あたしが二十センチのアツゾコを履いたぐらい。う、う、羨ましい(遠い目)。

 あたしが一番、共感したのは、瞳さんが「自分はなぜこれがやりたいのか?」「なぜ、こういう行動をとるのか?」って、ちゃんと自覚しながら生きてること。
 この前、日記で、みんな自分の夢を持ってるなら、ノイズに負けずに頑張れって書いたよね。そういう頑張ってる人たちの中で、一番強く自分の道を目指せるのは、きっと自分がなぜ、そういう夢を持ってるのか知っていて、自分を最後に頼れるトモダチだと思える人。
「ミュージシャンになりたい」「保母さんになりたい」「優しい彼と一緒に暮らしたい」みんな、色んな夢と希望を持ってるけど、多分、理由なんか聞かれたって「好きだから好き。理由なんか考えてない」んだと思う。
 でも、自分の心を深ーく覗くと、その奥にちっちゃな小人みたいなもう一人の「あたし」がいる。それは外からは見えない感情を、好きなようにあやつってる小人。そいつととことん会話をしてると、いつのまにか、自分の本心がよく分かってくる。
「小さい頃、母親が忙しくて淋しかったから、保母さんになって子供たちがそんな思いを味合わなくてもいいように、沢山、愛情をあげたい」とかね。そうすると子供たちの同じような淋しい気持ちに、ちゃんと気付いてあげられる、あったかいハートの保母さんになれる。

 恋だって同じ。
 好きで好きでたまらない。この人を失ったら、死んでしまうかもしれない……そんな風に熱愛している相手のことをちゃんと見つめて、「あたしはなぜこの人を好きなんだろう?」「どうして、こんなにひかれるんだろう?」って考えてみたら……
きっと冷静になんか見られなくて、「すべてが好き」「とにかくlove!!」って感じだと思う。でも、必ずきっかけになる理由があるんだよ。その人が、自分の一番欲しいもの、憧れているものをもっていたり(性格とか才能とかルックスとかね)、子供の頃からの願いを充たしてくれたり(暖かいお兄ちゃんやお父さんみたいな、包容力を持って接してくれたとか)、一番言って欲しかった言葉をくれた、とか……。
 そういうコンプレックスとか、弱い部分が自分でちゃんと自覚できたら、それは自分を知って自分とマブダチになる一歩。そして自分と親友になれたら、きっと心からのトモダチも沢山できる。

 あたしも子供の頃、数え切れないほどたっくさんコンプレックスがあった。
 すごく内気で人見知りで自閉的な超無口で(……今そういうと、日野っちその他の人々はウソー! って爆笑するけど)、トモダチ作るのも超ニガテ、っていうより、学校そのものが超ニガテだったし……。小学校なんて、仮病で一年間ぐらい休みっぱなしの時もあったぐらい。
 外側だけはめちゃ明るくて元気になっても、根っこのところは成長してもそんなに変らない。物語を作る人になりたいっていう夢は、きっと自分のそういうすっごく内向的な性格から来てるんだなーと思う。コンプレックスでもあるけど、夢を育ててくれたエネルギーの源でもあるから、今はそういう部分をあまり嫌いじゃなくなったよ。

 今はおけいこ(?)したから、普通に喋れるようになったけど、ちょっとしたことで地獄まで落ち込んじゃって、なかなか這い出てこれない時もいっぱい。
 でも、瞳さんも言ってたけど、「めっちゃ深ーい谷ぞこに落っこちるけど、最高に幸せ! っていうキモチに舞い上がることもできる。だから、いつでも安定してるより、ラッキー!」って思うことにしてる。

「自分」を奥底まで知ることは、結構、辛い。見たくないどろどろした醜さや、顔を背けてきた弱さと正面から向き合うんだから。
 自分の抱いてるイメージと現実の違いに嫌になったり、惨めになったり……でも、そうやって「自分」の一番の理解者になれれば、それは最強の味方を作ったことになる。
 夢を叶えるために努力してるのにうまくいかなかったり、大好きな人への思いが受け入れてもらえなかったり裏切られたり……。
 もう歩き続けられないっていうほど辛いことがあっても、「自分ってこんなやつ。うまくいかなくたって自分は自分だから、まっしょうがないよね」って、ゴーイングマイウェーでまた歩き出せる。
 そういう、「地平線まで吹き渡る風と一緒に、どこまでも行けるぞ」っていう気持になったとき、きっとあなたはもう夢の目標地点の途中まで来てるよ。


P.S.1  瞳さんの「女優になりたい!!」っていう熱ーい夢のエネルギーがどこから生まれてきたのか、知りたい人は『ワタシハココニイル』っていうファースト・エッセイが幻冬舎からでてるよ。
 それから、「ココニイルコト」っていう彼女が初主演の映画も上映中。ほんとの「優しさ」について考えちゃう、せつない映画です。

P.S.2 ビデオで「ガタカ」を見て、遅ればせながら感激。
 イーサン・ホークもジュード・ロウもユマ・サーマンもシナリオも映像も、ぜーんぶ大好き。特にジュードの演技よかったー。「A・I」にも出てるよね。この映画好きな人、「ガタカ」普及委員会を作ろう! 会長兼雑用係りはあたしが就任するから。普及委員募集ちゅう。
 でも、委員会が何をやるかはひ・み・つ。



2001年6月14日

 今日はニューヨークツァーの報告だよ。
 予想してたより街はずっときれいで、タクシー代わりの馬車が目抜き通りを我が物顔に走ってるのにびっくり。ここは西部劇の舞台かって感じ。
 強盗に襲われもせず無事に帰れたよ。今回はハーレムとか危険な地区には行かなかったし。ほんとはゴスペルを聞きに、行きたかったんだけどね。

 やっぱり一番印象に残ってるのは音楽のこと。
 向うは地下鉄がすごく複雑で、最初は路線図見ても反対方向行っちゃったり、通りすがりの人に聞きまくってプラットホームまで連れて行ってもらったり、殆ど迷子状態だったんだけど、だんだん慣れてきて心の余裕が出てきた。そんな時、ホームでドラムとギターのジャズセッションをしてる二人組の黒人に出会った。
 演奏も歌も物凄く上手くて、その辺のジャズクラブで演奏してるプロ並みだったから、ギターケースの中にお金を入れて、暫く聞きほれてた。そしたらだんだん回りに人が集まってきて、ちょっとしたライブのノリで手拍子とか始まったんだ。
 みんなやっぱりいい演奏には、どんな場所でも素直に反応する。
 プレーヤーたちは俺たちの音楽を気にいってくれてサンキューって感じで、うれしそうに可愛い笑顔を浮かべてた。
 でもプラットホーム・ライブは、次の電車が来たら終わり。
 走っていく電車の窓から彼らを見てたら、ドラマーが小さく手を振ってくれた。何かそれだけで、一日がいい日になっちゃった。

 自然史博物館っていう、ビッグな博物館を見た後、セントラル・パークをぼんやり歩いてたら、どこかから大集団のゴスペルの歌声が聞こえる。
 どこかの教会の合唱隊が練習に来てるらしくて、百人近い大コーラスはめっちゃ迫力があった。ハーレムには行けなかったから、ここで聞いちゃえと思って、近くの芝生の上に座って流れる雲と池の鴨を眺めながら、生のゴスペル・メドレーに聞きほれてた。なんか大地の底から響いてくるような凄い声の津波っていう感じに圧倒されたよ。超ラッキー!
 パイプオルガンも聞けた!
 通りすがりに大きな教会でミサをやってて誰でも入れるオープンな雰囲気だったから、入ってみたら陽光の差込む青や赤の豪奢なステンドグラスと、ゴシックの壮麗な彫刻、それにローソクに火を灯してキリスト像に捧げ祈る人たちで、一つの宇宙みたいに美しい光景だった。
 空から光のように煌めく音が降ってくる……と思ったら、数十メートルの高い演奏台で女の人が巨大なパイプオルガンを演奏してる。教会でパイプオルガンを聞くのが一つの夢だったから、それが叶ってうれしい。

 最後に行ったのが、ニューヨークで一番行列ができるの長いクラブ。入り口ではセキュリティに財布の中身まで調べられ、全身くまなく検査されて入ったのは、ヒスパニック系や黒人、白人、日本人が入り乱れて踊る熱狂の世界。
 お目当てのテクノは少ししかかからず、その後はニルヴァーナやアバっていう選曲にはちょっとびっくりしたよ。やっぱりみんなが共通にのれる音楽ってことで、昔のヒット曲がかかるのかな。お立ち台の上ではラテンダンサーがお肌をかなり露出しながら踊ってたよ。クラブっていうより、カーニバルの盛り上がり方。
 なんか、DJのノリは「みんな、踊り狂って昨日の仕事のいやなことも明日の不安も忘れろ!」っていう感じだったな。
 日本に帰ってから、後楽園の「ジオポリス」っていう巨大クラブのパーティーに行ったけど、みんなおしゃれで汗臭くないことにびっくり! それが物足りなくもあったりして。当たり前だけど、日本人ばっかりってことも、ちょっと不思議だった。こっちはがんがんのトランス・テクノだったけどね。
 この潜入の模様は、「LOVE PA!!」っていうクラブ雑誌で話すから、詳しく知りたい人は読んでみて。

 とにかく音楽的には充実した旅だった……。お金を使わないで、いい音楽を聞く方法は幾らでもあるなって実感。って別にケチったわけじゃないんだけど(言い訳がましい?)、あたしは街角を歩いてて、偶然出会う音楽の調べが、すごく好きだから。
 流れ行く風景の中で、その土地の匂いと一緒に、細胞へと浸透してくる色んな音楽。風に運ばれてあたしのもとに届く音楽。奇跡のような偶然で、巡りあえた音たち。アクシデントこそが旅。
 光のように空から降ってきた音たちを、あたしはきっと一生忘れない。



2001年5月30日

 実はこの日記が更新される頃には、ニューヨークにいます。
 最近、色々、旅をしまくりって感じだけど、心が要求してるからそれに答えてると、こうなっちゃうみたい。
 たった五日間だけど、初めての都市の空気と人の体温を沢山、吸いこんで来るつもり。また帰ってきたら、N.Y.ルポをアップするね。

 最近、「夢」をテーマにした映画を三つ見た。
「リトルダンサー」と「ガールファイト」、そして「テルミン」。どれも夢を追い続
ける勇気をくれるすごく胸キュンの映画だったから、みんなにちょっと紹介。

「リトルダンサー」はイギリスの炭坑町の貧しい家庭に生れた少年が、父の反対を乗り越えて、ロイヤル・バレエスクールに合格して、スターダンサーになるお話。主役の少年ビリーを演じたジェイミー・ベルは、ほんとにダンス大好きっこで、「ただもう、踊ってればハッピー」な普通の男の子のキャラを、凄く上手に演じてた。
 家族の対立とかお金の問題とか色々あって、泣かせるシーンも一杯あるけど、「どんなに遠くて叶いそうもない夢でも、信じて追っかければいつかは叶う」っていう、一番シンプルな真実をずーんと心に残してくれた。

 もうひとつの「ガールファイト」はニューヨークの貧しいヒスパニック系たちの町に住む高校生ダイアナがヒロイン。学校の勉強は大嫌い。気に食わない奴はすぐに殴っちゃう激しい気性の持ち主で、賭け事ばかりやってる父親とは母親の自殺をめぐって、対立関係にある。でも弟が通ってたボクシングジムでボクシングを習い始めると、どんどん強いファイターになることの魅力にはまっていく。そして何事にもやる気のなかった彼女が、タフで不屈のボクサーになると同時に、優しい大人の女に成長していくってお話。
 ヒロインのミッシェル・ロドリゲスがとにかくかっこいい!
 殴られてムカついた時の、めらめら燃えるようなガン飛ばす顔とか、試合が終った後、ふっと見せるせつない恋心とか、もうめちゃめちゃ共感しちゃった。
 もちろんボクシング・シーンも迫力ものだよ。
 最近、何もかも思うようにならなくて落ち込んでるって人には、是非お勧め。

 そして最後の「テルミン」はドキュメンタリー映画。シンセサイザーのもとになった、電磁場に手をかざして音を出す、「テルミン」っていう不思議な楽器を発明したロシアのテルミン博士のお話だよ。最初はこの楽器のことを知らなかったから架空のお話だと思ってたら、試写の前に本物の「テルミン」の演奏があってびっくり。みんなも絶対に聞いたことがあると思うけど、よく怪奇映画の効果音楽に使われる、あのちょっと幽霊っぽい「ひゅるるるる」っていう音が「テルミン」。
20世紀の初めには、冗談としか思われなかった楽器を本当に作り出してしまった一見、マッド・サイエンティストに見えるような博士も、やっぱり「夢追い人」のピュアな情熱に突き動かされてる。

 どの映画も、テーマは「夢に向かって突き進んでいく勇気と力さえあれば、いつかは叶う」。ビリーもダイアナも家は貧しいし、親の厳しい反対にはあうし、持ってるものは自分の身体と情熱だけ。テルミン博士も戦争や時代の壁に阻まれて、凄い発明をしても政治犯にされちゃう。
 でも本当に叶えたい夢が見つかったら、そんな邪魔なんかぶっ飛ばして突き進む、ひたすら前向きなパワーの塊を持ってることもみんな共通してる。現実でも親や教師や友人が、「そんなの、なれっこないよ」とか「やるだけ無駄」とか「そんなものに使うお金なんかない」って言うかもしれない。何度、挑戦しても結果がバツで、「自分には才能がないのかも」とくじけそうになるかもしれない。でも、諦めることは夢を裏切ること。裏切った夢は、二度と戻ってはこない。

 ヒトは夢からどんな辛いことがあっても乗り越える力をもらう。
 自分の存在がかけがえのない大切なものだと信じる力をもらう。
 だから、もしみんなが何か夢を持ってるなら、最後の最後まで諦めないで。
 周りの雑音なんて聞き流して、笑いたい奴には笑わせておけばいい。
 自分だけを信じて、夢中になること。
 それがいつか、必ず眩しい輝きをくれる。
 そしてあたしも、夢を追いかけて、死ぬまで夢と一緒に生きるつもり。

P.S.
 8月に出る文庫新作が、だんだん完成形に近づいてきて、わくわくしてる。今、恋愛してる人、失恋した人、恋愛なんかいらないっていう人、みんなに読んで貰いたい。
「誰かを心とカラダでほんとうに愛するって、どういうこと?」がテーマ。表紙はおなじみ、実花の鮮やかなグリーンや赤のカラーが眼に眩しいすてきな写真。
 MAOちゃんがかわいくて色っぽい!
 もう少しだけ、待っててね。



2001年5月15日

 今日はDEF・JAXっていうテクノグループの、「COMPANY FLOW」っていう新しいアルバムを聞きながら。
 テクノ好きな人には絶対にお勧めの凄いケッサクだよ。ヘビーなのに、メロディアス。さっそく、あたしの小説(秋に刊行予定の単行本の方)にも登場させちゃった。

 今日はBBSでも沢山の人たちが書いてる、心や身体の「痛み」があたしたちにとってどんなものなのか、皆に話してみたいと思う。
 ヒトは生きて行く中で、色んな心と身体の痛みを味わうよね。火傷をした、ガラスを踏んだ、病気で頭や胃が痛いっていうフィジカルな痛み。恋人との別れ、親との関係で刻印される傷痕、鋭い言葉のナイフが胸を抉るメンタルな痛み。
 どっちも苦しいし、できれば避けて通りたいけど、生きている以上は必ずそういう場面に出会って、痛みに耐えたりやり過ごしたりしなくちゃならなくなる。でもすべてがマイナスじゃない。身体の痛みは自分のボディからのSOSで、病気の部分を教えてくれる大切なもの。心の痛みだって「このままじゃ駄目になる」っていう、ハートの警戒信号だったり、傷痕の痛みを癒すことが美しいものを創造する原動力になったりするんだから。

 じゃあ、自分で自分の身体を傷つける「自傷」ってなに?
 あたしのトモダチは火のついた煙草の焼け跡を腕に何十個も作ってたし、リストカットがやめられないって悩んでる人も多いよね。そういうあたしも、以前はちょっと自傷的な癖があったから、その「やめられなさ」や「自分で自分がわからない」って感じはよくわかる。

 前にも書いたように、これは病気じゃない。心の葛藤の表現だよ。
 例えば母親にマジに「あんたなんか生まない方がよかった」って言われたとする。
 怒って当然だよね。「自分が勝手に生んだくせに」とか「こっちだってあんたの所には生まれたくなかった」とか、罵詈雑言を返してやらなくちゃ気がすまない。きっとそれでも心は晴れないと思うけど、取りあえず相手を傷つけ返してやればすっきりはする。
 カレシやトモダチに裏切られたり傷つけられた時も同じ。
「もう顔も見たくない。死ね」って叫んで、絶交宣言かなんかすれば、あとで後悔するとしても「お返し」はできる。
 でも、ヒトの心には「傷つけ返すのは醜い」とか「相手を否定したら、かわいそう」とか「やっぱり愛されたい」「嫌われたくない」「こんなことを言ったら、居場所がなくなる」とか思う複雑な感情があって、すべてを吐き出すことを押さえつけちゃう。
 だから優しい人、ピュアな人ほど、怒りや痛みを心の中にためてしまう。でも人間の心は迷宮のようなもので、いったん中に入ったものは、姿が見えなくなっても、必ずいつか別の出口から出てくる。
 そのエネルギーをうまく音楽とか、映画とか小説とかの創作に向けてしまえば、素晴らしいことができる可能性だってある。いつも言うように「美は傷痕から生まれる」んだから。
 でもそうできなかったとき、迷宮から出てくる一つの形が,「自傷」なんだと思う。自分を責めること、自分を傷つけることで、醜い感情を罰する。他の人への攻撃心や悪意を消そうとする。
 流れ出る血を見ると落ち着くのは、多分、血が自分の真実の心の中身みたいに思えて、自己確認できるからじゃないかな。
 血がどんどん流れ出てほしいと思うのは、痛みや怒りを感じる部分をなくしてしまって、楽になりたいっていう願望なのかも。

 あたしも長い間、自傷はやばいことだと思ってた。でもある小説を読んで考えが変わった。それは未来の世界が舞台なんだけど、みんなが遺伝子操作で優秀な頭に生まれてきて、「痛み」とか「怒り」を感じるのが精神的におかしいって思われる時代なんだ。みんな物事を深く考えず、適当にセックスして適当に遊んで、楽しく生きるのが「正常」。そうでない人は「異常」の烙印をおされる
 でも、その中で、やっぱり「痛み」や「怒り」を消し去れない人たちが現われてくる。最後に、本当に心を殺さずに「生きる」には、自分がその奇妙な世界の外に脱出するしかないと考えた男の子が、大自然の中で一人でアメリカのネイティブみたいな生活を始める。彼は、自分が「痛み」を感じる体と心を持っていることを忘れないために、毎日、自分で自分の身体を鞭打つ……そんなお話。

 何人かの人たちが書いてるように、身体を傷つけることを「生きる」ための自傷だと自覚してるんなら、そして決して自分の命を粗末にしないと決心しているのなら、「自傷」も一つの生きる道だと思う。
 でも、それを「異常」だとか「病気」だとか悩むより、傷や痛みをもし別の、もっと沢山の人たちに心の叫びを訴えられる方法で表現したら、どうなるのかなって考えてみてほしいな。
 フィジカルな自傷は一人だけの存在確認。でも、自分の生み出したものが、沢山の人たちの「存在確認」になったら……。きっとそれこそほんとの「生きてる」ことの証明になると思う。


追伸
 Coccoの特集をした「SWITCH 別冊」のインタビューを読んだ。この前、彼女は痛みがなくなったから活動をやめるって書いたけど、それは別のインタビューを聞いたあたしの思い違いでした。Coccoとファンの皆さん、ごめんなさい。ていうか、あたしも熱烈ファンなのに、情けないなー。
 毎日、色んな歌が生まれて、歌が沢山溢れすぎている、今の音楽業界のサイクルと合わなくなったのが辛くてたまらない……正確じゃないけど、そんな感じだった。「歌いたいなら、毎日歌って! 毎日、ライヴをやって、CDを次々に出せばいいのに」なんて思うのは、きっとあたしが音楽の世界を知らない素人だから……なのかも。でも、歌への愛がこんなにも溢れてるCoccoが、活動休止なんて、このインタビューを読んだら逆に納得いかなくなっちゃった。うーん、でも「やめる」って宣言したい気持ちも……複雑だけど少しはわかる。やっぱり「永遠」っていう言葉がキーワードなのかな。Coccoは「永遠」を探してるのかな。
 とにかく東京のクラブでも、沖縄のライブハウスでも、どこでもいいから絶対に歌い続けてほしい。「サングローズ」の「焼け野が原」を聞きながら、そう思った。



2001年4月28日

 待ちに待った松崎ナオちゃんのニューアルバム「虹盤」を聞いて、感動しながら書いてる。ここともずっとリンクしてた『シンクロニシティ』とのシンクロソング「風になる」、もちろん入ってるよ。ナオちゃんの声が生きてるすごくいい仕上がりになってた。広い草原に架かる虹の橋を青空に向かって渡っていくような、明日を信じたくなる歌です。それと「交差点の置き手紙」「光が生まれる日まで」も、めっちゃいい。
「光が……」の一節はね、

  「螺旋の空 狂おしく あなたを辿れば
   水槽の中の魚のように
   背中しか浮かばない私の心は
   危やの刹那」

 聞いてみて。きっとシンクロする部分があるから。

 歌っていえば、大好きなCoccoがMステを最後に、活動休止しちゃった。
 あたしの本をよんでくれてる皆の中にも、ファンが沢山いると思う。
 そこで今日は少し、彼女の歌について。
もともと、Coccoの歌を本格的に聞くようになったのは、三年ぐらい前、読者の女の子から、「心を切り裂く叫びのような歌が、亜美の小説に通じる所があると思う」という手紙をもらったからなんだ。で、聞いてみたら、すごく感動した。その子には、今も凄く感謝してる。だってあたしをCoccoに引き合わせてくれたから。 皮膚に深い傷痕ができると、それを治すために、身体の中から色んな再生物質が出てきて、いつか自然に傷を消してくれる。彼女の歌には、魂の傷を治療する、心の再生物質みたいなものが沢山つまっていて、それが聞く人を癒す。

 で、Coccoはもう痛みを感じなくても生きられるようになったから、歌をやめて絵本作家を目指したいって言う。歌が彼女の魂の治療だったんなら、そういう生き方も応援してあげたい。だってミュージシャンも作家も、一番コアのところでは自分の魂の救済のために何かを創るんだし、それが皆の心に響くことで、共感と新しいうねりが生れるんだから。ナオちゃんの歌にもそれを感じる。
 魂の痛みの声を聞きながら、それでも明日の夜明けの光がさせば、傷痕がかさぶたになって剥がれ落ちていくんだって信じようとする歌。
 映画でも歌でも小説でも、そういうものに触れるとあたしは泣いてしまう。
 それは多分、あたしも自分の魂の傷痕を治療するために、書いてるからかもしれない。
 そしていつのまにか、心がシンクロして色んな形で繋がった数え切れない人たちの傷の痛みも、一緒に癒せたらいいなと思うようになった。真っ直ぐに向かい合ったら、きっと暗くて底のないブラックホールに飲み込まれて帰ってこられなくなる。そんなに強くない。大人でもない。だから、文章を書いて小説を書いて、黒い傷を美しさに、希望に変えようとしてるんだと思う。

 人間は不思議だね。
 ネガティブをポジティブに変換しようとする心の複雑で微妙な動きが、世界を変えたり、信じられないほど感動させるものを創り出したりする。とても醜くてとても美しいもの。

 写真や映像の世界も、心の視線の魔法をあたしに教えてくれる大切な道しるべ。
 今日はミカの個展「まろやかな毒景」のオープニングに行ってきた。
木村伊兵衛賞をもらってから撮ったものばかりで、海外の教会やマリア像や、花に埋もれた女の子の写真が凄く印象的だったよ。どれもサイズがかなり大きいから、ミカカラーが全開でした。特にブルーと赤は絶対に、他のひとには撮れない魂の色だと思う。
 ミカは超カッコいいエルメスのウェストコルセットに黒コートで、「女流カメラマン!」してた。
 個展は大盛況。ミカの妹で、ずっとあたしの本のモデルをやっててくれたマミちゃんや、『FIREFLY』撮影でスタイリストやってくれた清川あさみちゃんにも会えてうれしかった。なんか会場は溜息が出るほどキレイ&可愛いモデルの子ばっかりで、目移りしまくってました。



2001年4月13日

 今日はフィオナ・アップルとバッハっていう、ちょっとミスマッチなBGMで日記を書きます。フィオナはいい! あの低いミステリアスな声が心に深く浸透してくる。

 さて、いよいよ
 <<タイツアー報告レポート!!>>
 バンコクに着いたらむっとする熱風が顔に吹き付けてきて、慌ててキャミソール姿に早変わり。何と気温四十度! でもあたしは真夏大好きニンゲンだから、この暑さで急に元気になった。
 もともと、ルーツは熱帯系なのかも。
 バンコクっていう都市は、超近代的な高層ビル群の隣りに、超壊れかけた貧しげなバラックが並んでたり、物凄い交通渋滞の中を、バイク・タクシーのお兄ちゃんが後ろにお客の女の子を乗せて、車をひょいひょい交わしながら走っていくような、時代不明な「カオス」の街だよ。
 あたしはこのバイクのタクシーが気にいって、一度乗ってみたかったんだけど、今回はちょっと恐かったからパス。大きな三輪車を改造したようなトゥクトゥクっていうタクシーを利用してた。日本でも、バイクの宅配便みたいに、人を最短時間で運ぶバイク・タクシーがあったら、ウケると思うんだけどな。
 でもバイクだと、客は嫌でもライダーの背中にぴったりくっついて、抱きつかなくちゃならない。かっこいい男の子のライダーとなら、恋とか芽生えちゃいそうだけど、脂ぎたぎたのおじさんライダーとか、体臭きつい人だったらかなりヤダな、とか、余計なことまで考えちゃった。

 一番賑やかなカオサン通りは、アメリカやヨーロッパのバックパッカーがうじゃうじゃカフェにたむろしてて、何かどこの国に来たのか一瞬、分らなくなった。あたし的にはせっかくタイまで来て、お洒落なヨーロピアン・スタイルのカフェでお茶してても仕方ないじゃんって思うんだけど。
 あたしは海外に行くと、まずその街を徹底的に歩き回って、そこに住んでる人たちの生活の匂いを嗅ぐ。スーパーとか街の人たちが行く安いご飯屋さんとか、川辺の公園とか……。観光客のために作られたこぎれいなリゾート施設や目抜き通りを歩くだけじゃ、その国の一番面白い所を見逃しちゃうから。
 街の匂いが細胞の奥に浸透したら、旅の記憶を死ぬまで忘れないでいられるんだよね。

 バンコクで一番、鮮烈だったのは夜、美しくライトアップされた古い王宮を見たこと。沢山の仏塔や建物の金箔を張り巡らされた壁は、極彩色の色とりどりの石やガラスが嵌め込まれたモザイク模様になってるんだ。その中の青いガラスが夜の淡いオレンジ色の灯りの中でキラキラと、サファイヤみたいに輝いて、建物全体が、夢の中の神殿みたいに美しく浮かび上がる。
 そんな塔が見渡す限り並んでいる光景って、想像できる?
 おまけに何十体もの金の仏像や、庭のあちこちに置かれた蛙や牛の石像がファンタジックで、いつまでも見飽きなかった。

 バンコクからプーケット島に飛行機で飛んで、いよいよ、フェリーで目的のピービー島へ。このフェリーも、またまたアメリカやフランスやイタリアから来た若い旅行者が溢れてた。おまけに殆どがカップル。甲板は抱き合ってキスしたり、膝枕でラブラブな人たちのオンパレード。何となく、男の人はみんな、ディカプリオの「ザ・ビーチ」を見てきた、「なりきりレオ様」って感じでおかしかった。カップルに取り囲まれてグレた日野っちは、一人渋くビールを飲みながら、遠い目をして海を見つめていたのでした……。

 フェリーで渡ったピーピー・ドンっていう島は、純白の砂浜にエメラルドグリーンの静かな海、ココナツやバナナの大樹が生い茂る森で熱帯の鳥たちが歌い狂ってる、ほんとに桃源郷そのものの場所だった。
おまけにコテージの敷地を歩いてると、高い椰子の樹からヘビが降ってくる!! 普段はヘビとかイモリとか失神しそうに嫌いなんだけど、この島では何となく、「いて当たり前」の感じで許せた……って向うがあたしを許してない?
 海に素潜りしたら、青やオレンジのキレイな熱帯魚が沢山見えたけど、なぜか足に噛み付いてくるピラニアみたいに攻撃的な魚と遭遇。あたしがどこへ行っても、こいつがじっと監視しながらついてきて、棲家のラグーンに近づこうとするとぱくっ。最後はこの魚と一対一でガン飛ばしあって、「動けるもんなら動いてみろ」って数分間、真剣勝負してた。
 後から足を見たら、一杯紅い噛み傷ができてて、血まで流れてたよ。そーいえば長いヒモみたいな海ヘビもみちゃった。これはマジに恐かった。でも、魚や海ヘビからみれば、あたしたちは鮫みたいな恐怖の侵入者に見えるのかも。仕方ないよね。

 この島と双子のピーピー・レイ島が、レオ様の映画「ザ・ビーチ」で、伝説の島の舞台になったところ。つまりあたしの目的地。朝早く小さなジェットボートをチャーターして、三十分の場所にあるこの島に行ってみた。
 左の写真でも分ると思うけど、周囲は全部、高い断崖絶壁に囲まれてて、その細い切れ目からしかビーチにたどり着けない。苦労したけど、行ってよかった。絶壁にかこまれたそのラグーンのビーチは、ほんとに美しかったよ。白い砂に座ると、目の前に緑の鬱蒼とした熱帯樹に覆われた岸壁が、ぐるりと衛兵みたいに守ってる、遠浅のコバルトブルーに染まったラグーンが広がる。空も海と同じ色。「秘密の楽園」っていうわくわく感が、なんともいえなかった。
 島には掘っ建て小屋があって、二十歳ぐらいの男の人たちが住んでたのでお話してみた。この島で生れたシージプシー(色んな島を点々として暮らしてる人)らしい。「日本から来た」って言ったら、「一緒にこのバンガローに住まない?」ってジョークで誘ってくれた。マジうれしくて、一瞬ほんとにここに住んじゃおうかと思ったけど、諸般の事情で丁重にお断りしました。

 この島で恐ろしい事件が……。
 ラグーンから海に降りて、フィッシュウォッチングをしてるとき、何と「日野っち遭難。タイの海の藻屑と消える」の危機が勃発!
 それはこうして始まった……。
 海が凄く深いのでライフジャケットをつけて泳ぎながら、魚を呼ぼうとパン屑をばらまいてた。でも認識が甘かったみたい。あっという間に、熱帯魚がトラック一杯分ぐらいどわーっっっっっっ!! と集まってきて、おなかや足の上に圧し掛かってくる。十キロ四方の海にいる魚全部が集合したのかと思ったぐらい。猛烈な食べ物の奪い合いは、カワイイとかいうより呆然。
 おまけに、例の嫌な性格の噛み付き魚も沢山来て、パン屑の代わりに足や腕を噛み付きまくってくれた。
 それでもあたしたちは、結構楽しんでたんだけど、海流が思ったよりきつくて、ふと見ると船が随分遠くなってる。「まずい。このままじゃ沖へ流される」と思って、背泳ぎで船の方にUターン。でも、日野っちは全然、追いついてこない。なんか沖の方にぽつんといる黒い影が日野っち?
「必死にクロールしてるのに、どんどん流されてっちゃうんですっ。亜美さん、助けてええええっ」
 助けてって言われても。せっかくもう少しで船なのに、また引き返して日野っちを抱えて泳いでくる元気なんかない。大体、なんであたしが普通に泳いで帰ってこれるのに、ずっとガタイのいい日野っちが流されるわけ? そう思いながら、もう一度振向いてみると、もう日野っちの姿はどこにも見えない。
(遭難した……)。
 幻冬舎も惜しい人材をなくしたなー。まだ24歳のみそらで……合掌。とか思いながら泳いでたら、遥かな沖の方から日野っちの遠い叫び声が。
「亜美さーん。ぼくはもうダメでえええーす。船で迎えにきてくださあああーい」
 別の船の陰に、浮き玉に必死にしがみつきながら流されていく日野っちの豆粒みたいにちっちゃな姿を発見。なーんだ。生きてたんじゃん。
 にしても、何でダメもとで泳いでこないんだよー。ケンケンも「流される奴は死んじまえ、あえて危険を冒すやつだけが生き残れ」っていつも言ってるよ(言ってないか)。
 心のなかでぶつぶつ言いながら、結局、船に戻って日野っち救出作戦に向かったあたし。
 この笑える事件が、タイで一番強烈な思い出……でした。

P.S.特大ロブスターとグリーンカレーとイエローヌードルっていうタイ風やきそばが超美味だった。また行きたい!
もうすぐ発売の『文藝別冊 尾崎豊ムック』に短篇「CAN'T SING EVEN THE BEGINNINGS」が載っているので読んでみてね。


2001年3月27日

 サワッディー クラップ カー! サバーイ ディー ルゥ
 ポム ディチャン ラック クン

 いきなりタイ語。これが更新されるころは、向こうにいるので、ちょっと気分出してみた。意味は、「こんばんは、元気? 愛してるよ!」という感じです。
 タイは東南アジアの中でも、すごく人が暖かくて日本人の旅行者でも、住み着い ちゃう人が結構いるらしい。帰れなくなったらどうしよう?(笑)
 食べ物はおいしいんだけど、とにかく辛いものばっかりで、みんなお腹をこわすって聞いたけど、ちょっと不安。
 トムヤムクンとか火を吹きそうだよね。
 バンコクから南の端の島に行く予定です。
 ディカプリオの出た映画の舞台になったところで、とにかく夢みたいにきれいな伝説の島……という噂が語り継がれてる。楽しみ!!

 陽射しを受けてガラスみたいにきらきら光る、エメラルドグリーンの波が純白の ビーチを濡らしていく。寝っころがって、抜けるようなスカイブルーの空を眺める至福の時。聞えるのは波の崩れる音と、鳥の声と、地球の優しい息遣いだけ。そんなとき何を思うのか、自分でも分らないけど……。
 帰ってきたら、ここで報告ルポと写真をアップするよ。
 明日、早起きなので、この辺で「ラーコーン ナ クラップ カー」。

P.S. 松崎ナオちゃんの新しいCDが4月に発売されます。絶対いいから、みんな聞いてね。シンクロソング「風になる」が入ってると思うんだけど……確かめたらまた報告するね。




 「エターナル・ウィンド」小説賞の発表!!
 応募総数は約80作。恋愛小説からSF、詩、イラスト、自費出版本まで色々ありました。これを選ぶ為に徹夜して悩んで、あたしは眼の下に黒い隈ができた……。
 部屋には作品が散乱状態で、足の踏み場もないぐらい。
 選んだ作品は何かの形で、みんなに紹介できればいいなと思ってます。


 選んだ作品のポイントは、「世界中でその人しか書けないオリジナリティがあるか」ということと、「読者の視線」ということをどこまできちんと意識しているか、それから「言葉に対するセンス」の3つ。特に3つめはこの賞の特徴かも。
 あたしは音楽の絶対音感と同じように、色には絶対色感、言葉には絶対言語感覚ってあると思う。その場面でどんな言葉を使うことが一番効果的なのか、心に余韻を残すのか。その感覚は天性の部分もあるけど、多分、訓練すればするほど、書けば書くほど、いいものを読めば読むほど研ぎ澄まされていく。
 だから、どんなストーリーを組み立てるかと同じぐらい、どんな言葉を使うかが大切。
 皆と同じ光景を見ても、自分だけの表現ができること。それは日常、どんな感性で生きてるかを問われることだと思う。

 読みながら思ったのは、「この人、小説家じゃなくてエッセイストやルポライター目指した方がいいな」とか、「小説より詩の方が向いてる」とか、「あの詩の雑誌のコンテストに出せばイイ線行くかも」、って感じた作品が多かったこと。まだ自分の資質をよく見極められない人が多いと思うけど、せっかくもってる自分の力をちゃんと発揮しないのは勿体無いから、ちゃんとそこを考えてね。
 それから、この前も書いたけど、ここに選ばれなかったからって、「絶望」とか「消える」とか言わないで。ゼッタイ。あたしのリスペクトしてるある作家は、トラック1台分ぐらいの習作原稿を書いて書いて書きまくって、それを全部灰にして、ようやく第一作を書いたそうです。
 絶望してるヒマがあったら書けーーーーーーー!!!!!!


<<桜井亜美・エターナル・ウィンド小説賞>>

特別審査員賞
「デラシネ」イラスト&詩

 ちょっと恐くて虚無的で、でもカワイイ、不思議な女の子のイラストがとにかくめちゃめちゃ印象に残った。それに、詩も素敵。言葉の感覚が、すごくオリジナルで浮遊感があって、世界中で応募者さんにしか創れない文字のマジックを感じました。
 応募者さんはもう自分の世界が確立してる。あとは、これをどんな形で、どんな風に人に見せれば、一番心に訴えかけるかを考えて欲しい。

 優秀賞は次の二人です
 
優秀賞
「Insane」 木村裕輔(19 東京都練馬区 日大芸術学部二年)

 嫉妬のあまり、彼女を自分に取り戻そうと、倒錯した愛情を注いでしまう男の子の変形ラブストーリー。
 中学生から詩作をやっていたというだけあって、表現や言葉に対する神経の使い方が一番こまやかだったと思う。ストーリーも自己愛から抜け出せない、痛くてせつない恋愛の形をうまくきりとっている。
 もっとがんばってもらう為に、幾つかの欠点をあげると、@マリが余りにステレオタイプな女の子に描かれていて、彼女を印象づけるものが何もない。主人公の心の中だけで生きている人形みたいで、血肉が感じられない。A主人公のナルシスティックな言動を、どこか別の場所から眺める視点があったほうがいい。孤独さや滑稽さをもっと浮き彫りにしてほしい。B感情を独白だけではなく、ものや風景や人間の描写でもっと生々しく書き込むべき。
 つまり音楽でいうと、ボーカルと絡み合う、ドラムやベースやシンセの部分が欲しいなってことです。


優秀賞
「ラウンド・アンド・ラウンド」 川田薫
(宮城県塩釜市・総合学園ヒューマンアカデミーCGクリエイター科在学中) 

 ビデオモニターで「金魚」と「シャム」という二人の男の子が住む部屋を監視する主人公が見た、風変わりで魅力的な世界とは……?
 読んでいて、大島弓子の傑作漫画「綿の国星」を思い出した。目指してる世界はあのへんにあるのかな、と思ったよ。小説っていうよりシナリオに近い書き方だけど、これは川田さんにしか書けないストーリーだという、オリジナリティを感じたので選びました。
 直した方がいいと思う部分。始まりとラストに魅力が乏しいこと。始まりはドラマのト書きみたいで引き込まれるものがないし、ラストは余りにも感傷に流れすぎて、小説としての完結の力に欠けてる。活字を使って、読者に何を見せ、何を感じさせるのかを考えて。これだけイメージの力が豊かなんだから、きっと幾らでも魅力的にできると思うよ。ラストはひとりよがりになってしまって、客観的な視点がなくなってしまったのが残念。書き終わったら、今度は厳しい読者の眼でチェックしてみて。



佳作 
次の五人。がんばれ。いい線いってる。

宮島範幸  詩集
小沢正和 「私は、DJ、じゃない」
北村義行 「代償」「転化」
本間文子 「ストレンジ・ラヴ・レコード」
織田みずほ 「風光る」


2001年3月15日

 今日は「エターナル・ウィンド」小説賞の発表です。

 その前に音楽の話から。なんかこの日記って音楽の話が一番多いような気がするな……。あたしの栄養源だから、あたりまえなんだけど。8月に出す小説も、お気に入りの音楽ティストを詰めてみんなに贈りたいと思ってます。

 最近、エリック・クラプトンの「REPTILE」とEVAの「Scorpion」を買った。クラプトンはほんとにほんとに大好きなアーティストだし、めちゃカッコいい年のとり方してる人だと思う。っていうか、あんなにクールで渋くて暖かくって、音のテイストがどんどん深まっていく人……他にはいない。とにかくカッコいい。音楽を真剣にやってる人って、そういうエイジレスの人が多いよね。一番好きなのはやっぱり名曲中の名曲「レイラ」と「チェンジ・ザ・ワールド」かな? 新しいCDは、彼の大好きな叔父さん夫婦に捧げられていて、オールディーズっぽい渋い曲をあのハスキーボイスで楽しそうに歌ってる。もしかしてこのジャケ写は、少年の頃のクラプトン? かわいすぎ。最初のボサノバっぽいタイトル曲はさわやかな朝の目覚めにぴったりだし、最後のインスツルメンタルはお休みなさいソングに最高です。
 EVAは女性ラップシンガーなんだけど、試聴したらかなりgoodだったので即買い。三曲目の「WHO’S THAT GIRL」がかなり新鮮でのれる。ラップって「さあ、やるぞー」って言う気分になりたいときに聞くと、エネルギー全開になるよ。
 なんかあたしってHMVやTHUTAYAの推薦カード書く店員になれそう……。 最近、音楽にめいっぱいパワーをもらってる。あたしの人生、音楽がなかったらどうなっちゃうんだろうと思うぐらい。


 いよいよ「エターナル・ウィンド」小説賞の発表!!
 応募総数は約80作。恋愛小説からSF、詩、イラスト、自費出版本まで色々ありました。これを選ぶ為に徹夜して悩んで、あたしは眼の下に黒い隈ができた……。
 部屋には作品が散乱状態で、足の踏み場もないぐらい。
 選んだ作品は何かの形で、みんなに紹介できればいいなと思ってます。


 選んだ作品のポイントは、「世界中でその人しか書けないオリジナリティがあるか」ということと、「読者の視線」をどこまできちんと意識しているかということ、それから「言葉に対するセンス」の3つ。特に3つめはこの賞の特徴かも。
 あたしは音楽の絶対音感と同じように、色には絶対色感、言葉には絶対言語感覚ってあると思う。その場面でどんな言葉を使うことが一番効果的なのか、心に余韻を残すのか。その感覚は天性の部分もあるけど、多分、訓練すればするほど、書けば書くほど、いいものを読めば読むほど研ぎ澄まされていく。
 だから、どんなストーリーを組み立てるかと同じぐらい、どんな言葉を使うかが大切。
 皆と同じ光景を見ても、自分だけの表現ができること。それは日常、どんな感性で生きてるかを問われることだと思う。

 読みながら思ったのは、「この人、小説家じゃなくてエッセイストやルポライター目指した方がいいな」とか、「小説より詩の方が向いてる」とか、「あの詩の雑誌のコンテストに出せばイイ線行くかも」、って感じた作品が多かったこと。まだ自分の資質をよく見極められない人が多いと思うけど、せっかくもってる自分の力をちゃんと発揮しないのは勿体無いから、ちゃんとそこを考えてね。
 それから、この前も書いたけど、ここに選ばれなかったからって、「絶望」とか「消える」とか言わないで。ゼッタイ。あたしのリスペクトしてるある作家は、トラック1台分ぐらいの習作原稿を書いて書いて書きまくって、それを全部灰にして、ようやく第一作を書いたそうです。
 絶望してるヒマがあったら書けーーーーーーー!!!!!!


<<桜井亜美・エターナル・ウィンド小説賞>>

 優秀賞は次の二人です
 
優秀賞
「Insane」 木村裕輔(19 東京都練馬区 日大芸術学部二年)

 嫉妬のあまり、彼女を自分に取り戻そうと、倒錯した愛情を注いでしまう男の子の変形ラブストーリー。
 中学生から詩作をやっていたというだけあって、表現や言葉に対する神経の使い方が一番こまやかだったと思う。ストーリーも自己愛から抜け出せない、痛くてせつない恋愛の形をうまくきりとっている。
 もっとがんばってもらう為に、幾つかの欠点をあげると、@マリが余りにステレオタイプな女の子に描かれていて、彼女を印象づけるものが何もない。主人公の心の中だけで生きている人形みたいで、血肉が感じられない。A主人公のナルシスティックな言動を、どこか別の場所から眺める視点があったほうがいい。孤独さや滑稽さをもっと浮き彫りにしてほしい。B感情を独白だけではなく、ものや風景や人間の描写でもっと生々しく書き込むべき。
 つまり音楽でいうと、ボーカルと絡み合う、ドラムやベースやシンセの部分が欲しいなってことです。


優秀賞
「ラウンド・アンド・ラウンド」 川田薫  
(宮城県塩釜市・総合学園ヒューマンアカデミーCGクリエイター科在学中) 

 ビデオモニターで「金魚」と「シャム」という二人の男の子が住む部屋を監視する主人公が見た、風変わりで魅力的な世界とは……?
 読んでいて、大島弓子の傑作漫画「綿の国星」を思い出した。目指してる世界はあのへんにあるのかな、と思ったよ。小説っていうよりシナリオに近い書き方だけど、これは川田さんにしか書けないストーリーだという、オリジナリティを感じたので選びました。
 直した方がいいと思う部分。始まりとラストに魅力が乏しいこと。始まりはドラマのト書きみたいで引き込まれるものがないし、ラストは余りにも感傷に流れすぎて、小説としての完結の力に欠けてる。活字を使って、読者に何を見せ、何を感じさせるのかを考えて。これだけイメージの力が豊かなんだから、きっと幾らでも魅力的にできると思うよ。ラストはひとりよがりになってしまって、客観的な視点がなくなってしまったのが残念。書き終わったら、今度は厳しい読者の眼でチェックしてみて。



佳作 
次の五人。がんばれ。いい線いってる。

宮島範幸  詩集
小沢正和 「私は、DJ、じゃない」
北村義行 「代償」「転化」
本間文子 「ストレンジ・ラヴ・レコード」
織田みずほ「風光る」



2001年2月28日

 最近、ビデオでずっと気になってた「鮫肌男と桃尻娘」、「トゥルーマン・ショー」を見た。で、不思議な「浅野忠信の眼の謎」を解明したよ。彼の眼って一重で切れ長で、「淋しさ」と「笑い」、「残酷さ」と「優しさ」、「甘え」と「クール」……全部、一度に両方を表現できる眼なんだ。
 笑ってても、どっか孤独。怒っててもどっか醒めてる。俳優としては、すっごくいい「眼」だよね。いろんな監督の映画にでまくりなのも、よく分かる。だって「眼」が他の何よりも、いい演技してくれるから。あたしがもし映画監督やカメラマンだとしても、やっぱり彼の眼に惹かれると思う。
 というわけで、今日はあたしの小説にもよく出てくる、「眼差し」について。

 あたしは誰かとお話する時、相手の眼を真っ直ぐに見て喋る。一つはそれが会話の「マナー」だっていうこともあるけど、眼は言葉よりも先にいろんな感情を伝えてくれるものだから。
「あたしに何か隠してるな」とか、「ほんとは怒ってるのに無理して笑ってる」とか、「こいつ、もう投げやりになってるな」とかほんとに嫌になるほど、はっきりとわかっちゃう。
「眼は心の窓」って言う言葉は、真実だと思うよ。
 だから、誰かを好きになったときは、もうとりあえず眼力光線。「大好き」「いとしい」「甘えていいよ」「よそ見ゃしちダメ」……オーラを出しまくり。ちゃんと受け止めてもらえてるかどうかは、わかんないけどね(笑)。


『トゥモロウズ・ソング』でも書いたけど、人間ってコミュニケーションがすごく下手な生き物だと思う。イルカは超音波で、何十キロも離れている仲間が苦しんでいるとか病気だってことまで察知できるし、犬は凄い嗅覚や聴覚で、一瞬にして相手の生きてきた歴史や今の感情の状態までわかっちゃう。蜜蜂はダンスを踊るし、鳥は歌をうたうし……みんなそれぞれ、抜群のコミュニケーション能力を持ってるよね。
 じゃあ人間は?……もちろん、前回も書いたように言葉。
 言葉を繋ぐために、みんなバイトで稼いだり食費を削ったりして、高い携帯料金やネットの電話代を払ってる。それが一番の生きる糧だから。
 でも、もし、もっと豊かに鋭くお互いのことを感じあうことができたらっていつも思う。
 存在・感情・苦痛・悲しみ・喜び・病・共感・希望・絶望・夢……。
 この世界に溢れているたくさんの人の心から放出される言葉を、イルカみたいに感じられたら……多分、もっともっと人は滑らかで、自然な心でいられるんじゃないかな。
 別にテレパシーとかは信じてないけど、人が発する感情のエネルギー……サイレント・ランゲージみたいなものは、時々、感じるよ。
 近くにいる人からそれを感じ取るのに、一番いいのは第二の言葉=「眼差し」。遠くにいる時は「声」や「文字」だけど、道具に頼らなくちゃならないのが今イチ気に食わない。
 もし人間が、直接、遠くにいる人の心に話し掛けられるようになったら……子供の頃から、マジでそんなことを夢見てるけど、今のところ日常に時々降ってくる、シンクロニシティを待つしかないよね。
 だから、あたしは今日も、出会う人の「眼差し」の言葉に、耳を傾けて生きてる。

「本当は自分の心の内側しか見てない臆病な眼」
「淋しさが凍り付いてしまった、氷のような眼」
「誰かと溶け合いたいと心から望んでる眼」
「この世界を通り越してべつのものを見てる虚ろな眼」
「暖かな愛の海から打ち寄せる、信頼の輝きを映す眼」

「大切なものは眼には見えない」っていったのは、星の王子様に出てくる狐だったよね。
 誰かの瞳に映る、「眼には見えないメッセージ」を受け止めるのは、やっぱり「大切な」ことだと思う。


P.S. 次の亜美日記で、いよいよ「エターナル・ウィンド」小説賞……って勝手に名前をつけたけど……みんなが送ってくれた作品について、発表したいと思います。でも一つだけ最初に言っておきたいんだけど、もし絶対に作家か詩人になりたいんなら、誰がなんと言おうと、どんな評価をされようと、書き続けるのをやめないで。天才的なクリエーターだって、結局彼らを作ったのは諦めない意志のエネルギー。夢は捨てられないから夢。
 他人の言葉は、ただ自分を伸ばすためだけに聞けばいい。
 とゆーわけで、good night !!



2001年2月14日

 今日は三軒茶屋のキャロットタワーに入ってるTSUTAYAで、いろいろ買っちゃった。そう、このタワーは『ワンダー・ウォール』で、きりなと航が夜景を眺めた場所。実はあたしも、よく行ってる。どうしても見たいビデオがあって借りに行ったんだけど、CD売り場で約一時間道草してしまった……。試聴しはじめると、止まらなくなるのがあたしの悪いクセ。
 AJICOの「美しいこと」と、テクノとブラジル・サウンドが融合した「BLASILIAN・BEAT2」その他いろいろ……をげっとしたよ。グレープバインは次のアルバムを待ってるんだけど、まだかなー。ライブでやった凄くヘビー&メロウな曲が入ってると期待してるんだけど。
浅井健一の作詞作曲は、どーしてこんなに心に染み入ってくるんだろう。UAのけだるくてせつないボーカルと、ベンジーの声が絶妙に絡み合ってて、最高によいです。ベンジーはほんとの意味で「詩人」だと思う。

とゆーわけで、今日は詩について。
 あたしは子供の頃から、学校とかでしゃべるのがあんまり得意じゃなくて、本当に心の奥にあることは、毎日、日記代わりに書いてる詩で表現してた。それも、「悲しい」とか「サビシイ」とかってストレートな感情を書かずに、星や花や風や色んな美しいものたちに託して……。
 そうすると、言葉に託した悲しい思いが、詩に吸い込まれて心がとても楽になれた。ブラックホールみたいに、詩はあたしの日々のやりきれなさをどんどん「向こう側」へ運んでくれたんだと思う。
 だから生きていくには、詩が絶対に必要だった。

 大きくなって沢山の素敵な詩人たちの詩を読んで、凄いと思った。才能のある詩人の紡ぐ言葉って、まるで魔法で空中に作り出した紫水晶の惑星とか、繊細で儚いガラス細工の薔薇とか、青い影にふちどられた小さなきらきらした宇宙みたいだったから。

 あたしたちの生活って、言葉がなければ成り立たないよね。大切な人に送る手紙、友達に話し掛ける会話、携帯、ネット……。すべての始まりは言葉。好きな人に気持ちを伝えるとき、「気になる」「好き」「恋してる」「ずっと一緒にいたい」「愛してる」……色んな心の高まりを表現するのも言葉。もちろん、握り合う手の暖かさとか、キスの温度とか、抱きしめる強さとか、Hの時に見つめる眼差しに宿るものとか、心を映すものはたくさんある。でも、最後に信頼を繋ぐものは、「二人で一緒にいたいね」っていう言葉なんだと思う。
 ほんとに落ち込んだときには、ただ誰かに一緒にいて欲しい、黙ってそばにいてくれるだけで生きていく力がもらえる、と思うこともある。見知らぬ行きずりの人の肌のぬくもりに、癒される時だってある。でも、もしそこに生きる勇気をくれる魂の言葉があったら。新しい世界を見せてくれる夢の言葉があったら。悲しみや痛みを花の蕾に変えてくれる光の言葉があったら。
 自分がそんな言葉を投げて、もし相手も投げ返してくれたら。
 人と人の出会いはもっと忘れられないものになると思う。

 そういう言葉たちが魔法使いの杖の一振りで、金や銀や水晶の衣をまとって詩になると、読んだ人たちを感動させる大きな力を持つ。自分の中から出てきたものが、閉じた世界に留まるんじゃなくて、みんなに伝えるべき何か、歌うべき何かに形を変えていく……それが、詩や歌を創ることなんじゃないかな。小説も、それとすごくよく似てる。形の変え方が、少し違うだけ。

 前に日記に書いた「あなたのために」っていう映画の配給会社がやる、写真の公募展のゲスト作品として、何か写真を撮ることになった。で、あたしはトモダチのものすごく愛し合ってるカップルのラブシーンを撮ったんだけど、出来上がった写真を見て、せつなくて胸が痛くなるほどきゅんてなっちゃった。
 だって、見つめ合った二人の眼差しが「あなたが辛い時も、惨めな時も、すべてを信じて受け入れるよ」「君と一緒にいるから、君をいつも感じてるから、僕はこの僕でいられるんだ」って言ってたから。
 愛し合ってる二人には、会話も仕草も何もかもが美しい言葉になる。
 だから思った。「愛」っていう感情は、人間が持っている究極の魔法なんだって。だから誰もが、他の誰にもマネの出来ない傑作の詩を心に秘めてるんだって。

P.S. 「非バランス」っていう日本の映画の試写を見ました。小学校のいじめられた記憶からどうしても抜け出せない女の子が、すてきなオカマのおねーさんに、「恐れないで自分の心に素直に生きることが、本当に生きること」って教わって新しい自分に踏み出していくお話。なんか、心にじわじわっと染みてくる、優しい映画だったよ。



2001年1月30日

『ワンダー・ウォール』もうすぐ出るよ。去年から続けた隔月刊行のいよいよラスト。この一冊を読んで、どんなメロディが、どんな光景が、どんな思いが浮かんでくるか……楽しみにしててね。

 今日はこの不朽の名作ソングから。

  イメージしてごらん
  天国なんかどこにもないって
  やってみればとても簡単なことだよ
  僕たちの足元には地獄なんかないって
  ただ空だけが広がっている
  イメージしてごらん
  すべての人々が今日を生きていることを

  イメージしてごらん
  国家なんかないって
  それは難しいことじゃない
  殺し合いや宗教も存在しないって
  イメージしてごらん
  すべての人々が平和に暮らしていることを

  君は僕を夢想家というけれど
  僕みたいな奴はたった一人じゃない
  僕はいつの日か君が僕たちと繋がること
  そして世界が一つになることを願ってる

 有名なジョン・レノンの「IMAGINE」。桜井亜美訳だよ。
 どうしてこれを最初に書いたかっていうと、今日は「イメージ」の力について書きたかったから。
 この歌が聞く人の心を打つのは、ジョンが醜い殺し合いやいさかいのない世界を心から願っていて、いつか必ずそういう日が来ると信じているからだと思う。彼はほんとに偉大なミュージシャンだったけど、決して仏様や聖人君子じゃなかった。けっこう子供っぽかったり、自分の欲望に忠実だったりしたし。でも彼は、自分のイメージを「歌」っていう最強の手段で世界に広めたよね。それは彼が死んでも、世界中でずっと受け継がれてきた。

 あたしたちは自分のイメージを、沢山の人たちに伝えたいと願う。
 誰もが最初に発するのは、「あたしを(僕を)愛して。受け止めて」。そして「あたしの考えてること、感じてることに共感して」。それは美や笑いや怒りについて、同じことを感じる相手と繋がることで、孤独じゃなくなるから。
 でも、次にはもっと難しいメッセージを送りたくなる。
「いじめる奴もいじめられる奴もいなくなればいい」「人がみんな憎しみを捨てて、緩やかに繋がり合えれば……」「心の傷から解放されて、思いのままに生きたい」
そういう世界をイメージするのは難しいって、みんな思うよね。現実には裏切りや残酷さに傷つくことだらけだし、共感し合える人たちばかりじゃないから。

 でもイメージすることは、心の中に自分が望む小さな世界を創り出すことなんだと思う。
 そこでは自分がルールを決めるキングやクィーン。
 ジョンのような歌の世界だったり、映画や小説やマンガやDJやネットや……友達関係や日常の生活だって、世界のイメージを創るのは自分自身だよ。それが豊かで深くなればなるほど、人を感動させるし、大きく広がっていくエネルギーをもつ。

 教師や上司や親や同級生がなんていおうと、誰かがあなたを傷つけようとしても、イメージの世界は壊されたりはしない。それは自分の心の軌跡が色とりどりの絵の具で描いた王国だから。酷い戦争や人種差別や虐待やいじめがあっても、最後に勝つのは絶望や悲しみを癒して再生させてくれる、人の心の中の豊かなイメージの力なんだと思う。

 あたしの心を育ててくれたのは、学校でも親でもなくて、これまで世界に生まれてきた文学や詩や映画や音楽や絵……の、沢山の偉大なイメージメーカーたち。
 彼らが与えてくれた感動や心の栄養の大きさに比べたら、現実の辛かったこと、悲しかったことなんかほんとにちっぽけに思える。
 だからいあたしもほんの少しでいいから、彼らのイメージの魔法の力を学んで、受け継いでいきたい!!(思うのは自由*笑)
 2月のエターナル・ウィンド(桜井亜美通信)にもこの話題について少し書いたよ。

  イメージしてごらん
  誰をも裏切らない緩やかな樹根の絆
  孤独や絶望に差し伸べる星明かりの言葉
  夢と夢が紡がれて人々の心にかかる綴れ織りの橋
  イメージしてごらん
  いつかそれが君自身になる
  君を包む大きな世界になるって
            (亜美作「IMAGINE」へのオマージュ)


P.S.
林檎ちゃんの子供、ゼッタイ男の子だと思う。だってライヴの時の顔が「男の子がお腹にいるママの顔」だったもん(ほんとか?)。自信あるから、誰か五百円ぐらい賭けたい人、のるよ。



2001年1月10日

 お正月は雪の白馬岳の空にちりばめられた、降るような星を眺めて過ごした。
 夜の人気のない雪原で、澄んだ空気を深呼吸すると、薄汚れた心や身体がぜーんぶ、漂白されて純白になっちゃうような気がして、すごく気持いい。
 寒いのは嫌いなんだけど、あの乾いたつんと鼻に染みる冷気はけっこう好きなんだ。
 夜、一人で雪原の上に輝く金色の満月を見てたら、不思議な気持になった。
 まるで自分が、雪の森を走りつづける銀色の狼になって、月を眺めてるみたいな。

 で、今日はアミと狼の話、ってわけわかんないなー。

 あたしは小さい時から、自分が狼の子みたいだと思ってた。
 人間は大好きなのに、群れるのも、集団生活も苦手で、気が向くとふらっと消えて遠くへ行っちゃう。飼い慣らされるのが嫌いで、いつもみんなと距離をとって見てる。でも、淋しいと温もりを求めて、自分と似たような仲間を探しに行く。

 野生の狼って見たことある?
 シルバーグレーのきれいな毛並みに、青くて恐いほど鋭い目。
 あの目に見つめられると、なんだか自分の魂まで見通されてるみたいな気持になる。とても優雅で勇気があって、孤独を愛して、でも、子供が生まれると命をかけて守る。

 あんな生き物になれたらいいな、とよく思ってた。
 生きることに少しも疑問なんか感じないで、生きるために長い冬、たった一人で旅をする、そんな強さに憧れるよ。

 子供の狼は成長すると、群れを離れて一人で果てのない旅をする。冷たい風に吹かれて夜の雪原を旅して、逆巻く河を渡り、時には身も凍りそうな吹雪や、星のない暗黒の夜を幾度も過ごす。空腹や、孤独や、心細さが襲ってきたら、黄金色の満月に向かって仲間を呼ぶ歌を歌う。
 どんなに冬が長くても、雪が深くても、どんなに餓えて痩せ細っても、決して生きることを諦めない。それが狼の掟だから。

 あたしたち人間は淋しがりやで、甘ったれで、ひ弱で、すぐに「どうして自分は生きてるんだろう?」なんて考えちゃう。
 闇の森や、深い雪原を、たった一人で旅することなんかできない。愛されない自分が惨めになったり、価値がないんだと思い込んだり、受け入れてくれない世界を憎んだりしてしまう。

 でも本当は、みんなの中に狼の野生の血が流れてる。
 獣の静かな勇気と、獣のせつなさと、獣の温かい愛をもってる。
 どこまでも走りつづける本能の強い力をもってる。
 だから悲しいとき、辛いときは、一人で雪原の上にかかる黄金色の満月や星を見に行こう。
 きっと自分の身体の奥から、凄く激しいなにかが湧いてくる。
 そして、そのなにかが囁きかける。
 走れ、歌え、唸れ、愛せ……。

 考えるんじゃなくて、細胞で感じてみて。
 この身体は狼みたいに大地や空とつながっていて、だからこんなに狂おしいほど、誰かに会いたくなったり悲しくなったりするんだって。
 その湧き上がってくる力が、自分の生命の価値を、魂の中に深く深く刻み込んでるんだって。
 狼の目、きっと一度見たら一生忘れられないよ。


P.S. ナオちゃんとシンクロソングについて「ダ・ヴィンチ」でイチオシ本コーナーで対談したよ。読んでみてね。
 ナオちゃんはバイクとぶつかって、腕を包帯で吊ってた。励ましてあげて下さい。
 それからバインの新曲はめちゃいいです。感動。やっぱりナマで聞くのが一番だなー。新しいアルバム、早く出て欲しい。
 それからもう一つ、ブランキーの浅井とUAのコラボもめちゃいいらしい。絶対げっとの予定。




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