6月1日

 今日はあたしの中の「野性と本能」についてのお話。
 何かヘンな題だけど、まあ日記だからいっか。
 みんなの中には、ダニエル・キースの『アルジャーノンに花束を』っていう、名作SFを読んだことある人が多いと思う。あたしも、この作品、大好き。「アルジャーノン」っていうのは、脳手術の実験台にされて天才になった知的障害者の主人公チャーリィが、唯一、心の友にしていたネズミの名前。
 脳の機能がパワーアップするにつれて、最初は喜んでいた主人公も、そのうちあまりの天才的な頭脳ゆえ、普通の人間とはコミュニケーションがとれなくなる。
 そして退行。手術の効果は一時的なもので、チャーリーはまた「薄のろ」に戻っていき、それと同時に担当の女医との恋愛も壊れてしまう。ラストのせつなさに涙した人は、あたしも含めて、たっくさんいるよね。
 ところで、うちにも「アルジャーノン」がいる。っつーか、赤ん坊の時にうちに来たゴールデンハムスターに、そう名前をつけたんだけど。
 かわいくておバカな彼の行動を見てると、「生きるって何?」ってけっこう考えさせられる。外に出してやるとあっという間に脱走して、1〜2週間、平気で行方不明になっちゃうんだけど、彼が逃亡中に何をしてたかっていうのが「アンビリーバブル!!」なのです。あたしが壁にくっつけたソファに座ってたら、後ろから亡霊みたいにキーキーいうかぼそい声か聞こえてきて、慌ててソファをどけたら、車にひかれてぺッタンコになったカエルみたいに、ソファと壁にはさまれて潰れ、完全にミイラ化した「ネズミ煎餅」を発見!! したこともあった。
 2週間、飲まず食わずでサンドイッチになってたから、身体から水気が全部抜けて、干物状態になってたよ。もう駄目だ、死んじゃうと思ったら、全然違ってた。水を飲んでエサをたらふく食べたら、風船に空気が入っていくみたいにどんどん身体が元に戻って、今ではめっちゃ元気。
 そんなアルジャーノンの唯一のストレス解消法は、回し車の中で朝から晩まで走り続けること。人間でいえばルームランナーみたいなものだけど、どうも彼の頭の中では、「果てしなく続く広大な緑の草原を、どこまでも走り続ける俺」っていうロマンティックなイメージが出来上がってるらしい。何十キロ走っても、実は同じ場所でぐるぐる回ってるだけなのに。
 時々、ほんとは人間も同じなのかもって思う。「がんばれば、どこかにたどり着く」って信じて走ってるけど、もっともっと大きな存在から見たら、回し車を走るアルジャーノンみたいに虚しい努力なのかもしれない。以前、生きることに価値が見い出せなかったときは、「どうせどこへも行けないんなら、死んだ方がずっといい」って思ってた。でも、今は少し変わった。たとえカラ回りでも、走ることは未来に向かって進むことで、それが生命の喜びなんだと気づいたから。
 人は小さな野性の動物。なのに世界や自分を疑ったり否定する能力を持っているために、アルジャーノンのように幸せなままでいられなくなった。彼のように走って眠って食べて恋をする……そういうナチュラルな幸せに到達するためには、次々に現れる疑いや自己否定や虚無と闘って、勝ち抜くことが必要になんだ。闘うことをやめたら、人は闇の力に支配され、自然な生命力を失ってしまうから。
「ETERNAL WIND」の創刊号に登場してくれた、かじ君のサイト「Barかじうら」で、岡崎京子さんの特集をしてたけど、彼女の『リバーズ・エッジ』や『pink』は、そういう「今」の感覚を先取りしてるよね。

 あたしは疲れきって全てに虚しくなると、アルジャーノンや水溜りで水浴びする雀や、近くの川に浮かぶ渡り鳥たちを観察する。人は彼らより上でも下でもない。悩んだり疑ったりすることで人はどんどん孤独になるけど、本当はその孤独の痛みも、自分たちが作り出したものだとよく分かるんだ。
 太陽が昇って沈むことも、星座が季節と共にうつろっていくことも、春になると桜が咲いて、初夏には空気が緑の香りに満たされることも、もしかしたら永遠の堂々巡りかもしれない。宇宙の片隅で小さな自分たちの存在に怖れと不安を抱き、そういうものと闘うことも、世界には塵ほどの変化ももたらさないのかもしれない。
 それでも、生命はやっぱり星の輝きのように美しくて、あたしたちはその儚さをいとおしまずにはいられない。チャーリィが「どうかうらにわのアルジャーノンのおはかにはなをそなえてください」と、最後に書き綴ったように。

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