ISBN4-87728-391-9-C0095 1,500 円



 高村薫のベストセラー小説『レディ・ジョーカー』について朝日新聞(東京版'98 ・2・7)から意見を求められたとき、宮崎学はこう語っていた。
「読み手としては、あの事件に対する推理に興味があって読むんだろうけどね。現実の事件、犯罪の方に意外性があり、フィクションが超えられているという気がします」
 あらためて言うまでもないだろうが、事件とは、今年二月十三日に一連の犯罪すべてが時効を迎えた「グリコ・森永事件」のことである(この原稿の段階ではまだ完成にいたってはいないが)。
 宮崎学のコメント論旨は、(1)小説は毎日新聞大阪社会部のデータによっているようだが、記者が現場で感じた雰囲気が出ていないのが残念である。
 もう一点。「人物が類型的すぎる」としたうえで、(2)犯罪に類型はない。アクシデントの中に人間性はあり、人はシミュレーション通りには動かない。荒唐無稽さの中に人間の内面の深さが描けるのではないか。
 「キツネ目の男」として警察からマークされたこともあり、相当に調べたのだろう(本書でも疑惑を投じてくる大谷昭宏を前に逐一詳細な反論を展開している)。事件を題材にしたとされる小説について「現場の雰囲気」「アクシデント」の面で現実味に欠けるという指摘は、作家やミステリー評論家が顔を揃えた紙面の中では異彩に見えた。
 むろん世間に知られた『あの男』というフィルターがあるからかもしれない。しかし割り引いてみても「宮崎学」という特異な視点とスタンスがよく出ていた。本書を読んであらためて、一筋縄ではいかんやっちゃのぅ、の印象は深まるばかりである。
 犯人たちは入念な下準備のうえで犯行にとりかかっている。それでも幾度か凡ミスを犯していた。つまりアクシデントである。
 当時、大阪読売の記者だった大谷昭宏は証拠を洗い直し、「アクシデント」と「計画的攪乱」を選り分け執拗に「疑惑」を宮崎学に突き付けている。
 もちろん否定の繰り返しである。ばかりか、宮崎学は真犯人像について口にはできんが、思い当たるやつがいるとほのめかす。二人のやりとりはさながら「サンデープロジェクト」の拡大版といった様相。否定するほどに、大胆な行動力、知恵、土地鑑などの状況から、彼以外に犯人が存在したとは考えられない「読み物」を超えた緊張感を生んでいる。
 さらに、本書は両刀。今日の神奈川県警に結果する警察弱体化の発端がこの事件にあったとみる大谷昭宏の警察直撃の舌鋒はルポルタージュとしても相応の価値がある。

宮崎学以外に犯人が存在したとは考えられない」 書評家 朝山実