実践『マネーロンダリング』講座

橘玲 TACHIBANA Akira



橘玲著『マネーロンダリング』
定価(本体1800円+税)


『マネーロンダリング』
ホームページ
http://www.alt-invest.com/pl/book/index.htm


第6回 忠誠を誓うに値するもの(1)電話・通信



 前回、航空会社のロイヤリティ(忠誠)プランとして、マイレージ・サービスを紹介した。顧客は、ひとつの航空会社に忠誠を誓い、他社を利用しないことによってひたすらマーレージを貯め、その忠誠心に相応しい報酬(ポイントバック)を受取るという仕組みだ。
 航空会社が、マイレージに応じて気前よく無料航空券をバラ撒くのは、空気を運んでも人間を運んでもたいしてコストは変わらないからだ。こうした特徴は、船舶や長距離列車の指定席、レンタカー、ホテルなどでも同じだが、こちらは、国内・国外どこでも使える航空便ほど利用頻度はなく、ありがたみも少ない(JRがポイント還元サービスを始めれば別だ)。
 では、航空会社以外に、忠誠を誓うに値するサービスはあるのだろうか? 今回と次回は、それについて考えてみたい。

 現在のところ、マイレージを超えるロイヤリティプランは存在しないが、対抗し得る可能性がある業種として、通信会社がある。
 電話やインターネット接続などのサービスは典型的な装置産業であり、利用者が多くなればなるほど一人あたりのコストは下がり、利益は増える。こうした構造上、ディスカウントによる顧客の囲い込みがもっとも起こりやすい業種といえる。最近まで価格競争が発生しなかったのは、もちろん、通信業がNTTによる独占事業とされてきたからだ。
 ついでに言えば、これと同じ状況にあるのがインターネット証券だ。IT技術を使えば、1万人の顧客も100万人の顧客も管理コストに大して違いはない。証券取引の売買手数料が自由化された途端、際限のない価格競争に突入していったのも当然だ。
 2001年からマイライン・サービスが始まり、利用する電話会社をあらかじめ登録しておけば、「0081」などの識別番号をダイヤルしなくても自動的に接続するようになった。各社はこれを顧客囲い込みの決定打と考えて、基本通話料を大幅に値下げすると同時に、市内・同一県内・県外・国際電話の4区分のうち、3区分以上を指定すると、通話料金を割引くというディスカウントを行なった。報酬を与えるかわりに、顧客に忠誠を要求したのである。
 しかし、“マイライン狂想曲”から1年が経ち、もはや固定電話の顧客の奪い合いだけでは、通信会社は生き残っていけなくなってしまった。
 ひとつには、固定電話以上に、携帯電話やインターネット接続(とくにブロードバンドによる常時接続)に顧客の需要がシフトしてきたことがある。固定電話・携帯電話・インターネット接続をまとめてディスカウントするようなプランでなければ、顧客は満足しない。固定電話の通話料では業界最安値を提示してきた東京電話など電力系の通信各社が、携帯電話サービスが非力なために事業展開に苦慮しているのはその象徴だ。こうした総合サービスを展開できるのは、現在のところ、NTTグループ、KDDI、日本テレコムの3社だけである。
 だが、大手3社も安閑としてはいられない。技術の進歩によって、音声通信の方法が、従来型の交換機による接続から、インターネットを使ったIP通信に変わってきたからである。
インターネットでは、日本国内のサーバーにアクセスしても、海外のサーバーを使っても、利用料金は同一である。同様に、インターネット電話では、隣町にかけても、アメリカやヨーロッパに電話しても、原理的には通話料を同じにできる。これは、通信事業における革命的な出来事である。
 急速な技術開発でインターネット電話の音声品質が利用に耐えられるものになったことで、従来型の交換機に莫大な投資を続けてきた既存の電話会社は存亡の危機に立たされた。たとえば、100キロ超の市外通話の場合、大手3社の通話料金は3分80円が基準だが、日本ではじめてインターネット電話の商用サービスを始めたフュージョン・コミュニケーションズなら3分20円。日本からアメリカに電話をかける場合も、大手3社は1分60円が基準だが、フュージョンなら1分15円だ。これまでの電話代が4分の1になるのである。
 交換機を使った音声通信では、技術的障害から採算ラインが高くなり、値下げ余地は限られる。対抗上、大手3社もさまざまな割引プランを用意しているが、それでも半額にするのが精一杯で、とても4分の1には下がらない。一方のインターネット電話は、利用者の拡大によってさらなる値下げが可能だ。
 考えてみれば、電話というサービスは、相互の発音が確実に相手に伝わればいいだけなので、その最低基準さえ保証されるなら、通話料は安ければ安いほどいい。NTTが築いてきたブランド力など、新興企業の価格攻勢に前には、何の力にもならない。
 現時点で、固定電話の価格破壊では、ソフトバンク系のヤフーBBが提供するBBフォンが先頭に立っている。BBフォンの通話料は、全国一律で3分7.5円。100キロ超の市外通話では、フュージョン(3分20円)のさらに3分の1近い安さである。大手3社(3分80円)と比べれば、実に10分の1以下。そのうえ、ヤフーBB加入者間の通話は無料だ。モデルレンタル料月額690円が別に必要になるが、それでも破格の安さで、既存の大手通信会社は対抗する術を持たない。
 ワールドカップのチケット予約の殺到で一時BBフォンに障害が発生したが、通話はNTTの一般回線に切り替わって、大きなトラブルにならなかった。このことは、NTTの暗い未来を暗示している。将来的に、NTTは格安電話のバックアップのためだけに存在する会社になりかねないからだ。

 インターネット接続の世界でも、同様の価格破壊が起こっている。
 これまで、自宅のパソコンからインターネットに常時接続するためには、NTTのフレッツISDNを使い、プロバイダ料金込みで月額6,000円程度が必要だった。それが、アナログ回線の未使用周波数帯域を使うADSLによって、ISDNよりもはるかに早く、また安価にインターネットに接続することが可能になった。
 ここでも価格破壊を先導したのはヤフーBBで、その価格はプロバイダ料金の込みで月額2,280円。モデムレンタル料月額690円(BBフォンと共有)を加えても3,000円弱で、ISDNの半額になってしまった。そのうえ、回線の速さはISDNの約8倍である。対抗上、他のプロバイダもヤフーBBと同水準の価格を設定にせざるを得ず、その結果、インターネット接続サービスはほとんど利益の出ない事業になってしまった。
 ブロードバンド接続サービスでは光ファイバーが本命と言われているが、ここでも新興の有線ブロードネットワークスが、通信速度100Mbpsという超高速で月額6,100円の破格の料金設定で参入してきた(ちなみに、ISDNは1.28Mbps、ADSLでも最高12Mbps)。光ファイバー網を将来の収益源に考えていたNTTは、旧来型のネットワークサービスであるOCNと同じ月額3万円程度の利用料金を想定していたと言われるが、有線ブロードの登場で事業計画が崩壊してしまった。
 このように、技術進歩の早い分野では設備投資が一瞬で負の遺産になってしまい、後発の企業が圧倒的な優位性を持つことになる。バブル期の投資をいまだに引きずっている日本が、後発のアジア諸国に追い上げられて苦しんでいるのと同じ構図である。したがって、利用者とすれば、特定の通信会社に忠誠を誓うよりも、もっとも安いサービスを提供する会社に次々と乗り換えていった方が、合理的ということになる。通信業界がロイヤリティプランの決定打と考えたマイラインがほとんど機能しないのはこのためだ。こうした傾向は、大半の通信会社が淘汰され、消えていくまで続くだろう。
 ソフトバンクの孫正義社長は、徹底した価格破壊によって次世代の通信インフラを支配するという壮大な野望を抱いているようなので、今後の価格戦争はヤフーBBが中心になることは間違いない。勝ち残るためには、よりも安価で、より高品質なサービスを提供しなくてはならない。膨大な設備と莫大な人件費を抱える旧来の通信会社が生き残れる可能性は大きくはない。将来的には、衛星放送やケーブルテレビを巻き込んで、固定電話・携帯電話・インターネット接続・放送の4分野を一体で提供するグローバルな総合通信・放送企業が登場し、世界規模で覇権を争うようになるだろう。
 だが、この大淘汰時代に、ソフトバンクが勝ち残ることができるかどうかはわからない。インターネットバブル期の過大投資で財務に大きな傷を負った同社は、競合他社を淘汰するまで事業を継続できるかどうか、瀬戸際の状況にあるからである。

 次回は、忠誠を捧げるかどうか検討に値するもうひとつのサービスとして、百貨店のロイヤリティプランを取り上げる。



『マネーロンダリング』の舞台

 
ヴィクトリアピークから眺める香港の金融街