南米取材旅行記 コロンビアーノ・ブラジリアン

垣根涼介


でっかい街・サンパウロ



0. それ以前の話

 小説の取材のため、四月の初めに南米行きを決めた。正直言って、あまり行きたくはなかった。金もかかるし、時間もとられる。
 しかしいい小説を書くためだ、と自分に言い聞かせ、決心したあとは大急ぎで準備を始めた。後々のいろんなことを考えると、遅くても四月の中旬までには出発するのがベストだった。
 行き先はブラジルとコロンビアで、せっかく地球の裏側まで行くのであれば、二十都市ほどを廻り、それぞれの国をざっと一周してくるつもりでいた。二ヶ月ほどを考えていた。
 ブラジルも決して治安がいいとはいえないが、特にコロンビアは今も内戦状態が続き、外務省の広報でも、渡航禁止勧告が常時出ているような国だ。各都市でのテロも頻発し、金持ちと思われている日本人やアメリカ人の誘拐騒ぎも日常茶飯事だそうな……まあ、ぼくなんぞは思いっきりの貧乏人だが。
 また、これもブラジルのものとは違い、コロンビアのガイドブックは(そもそも観光に行く人がいないせいか)新宿の紀伊国屋や池袋のジュンク堂に行っても、ちゃんとしたものは皆無だった。で、コロンビア大使館にその旨を伝え、観光資料の請求をしたところ、「もちろん資料ぐらいは差し上げますけど、でもなんであんた、ウチの国なんかに来たいわけ? 五月には大統領選も控えているし、大暴動も起こりかねない。かなり危険な状況なんですけど」と、逆ネジを喰らう始末……トホホ、なんだこりゃ。
 それぞれの国の各地で今も元気に暮らしている戦後日系移民一世の方々に、ネット、手紙、電話などを使いアポを取り付け、そのアポに合わせてビザやら飛行機やら、死んだら一億の保険やらを時間に追われながら手配し、ヴァリブ航空に飛び乗るようにして出発した。ふう……。
 ところで、その機内でのことだ。
 ポルトガル語とスペイン語の勉強とばかりにそれぞれの会話帳を広げていると、一つ空けた隣の席にいるオバチャンの様子が妙に気になる。話し掛けてみると、なんと彼女は南米の内陸国家・パラグアイの日系二世だった。日本に出稼ぎに着ている両親を訪ね、帰国する途中だという。
 おお、なんという幸運なめぐり合わせ。現地に着く前から、取材対象が目の前にいた。
 ロサンゼルスを経由しブラジルにつくまでの約二十四時間、寝ている間以外は、ずっとそのオバチャンと話をしていた。
 いろんな話が出た。六歳まで山岳地帯でテント住まいだった話、靴も買えず、霜柱の立った未舗装の道を血の滲む素足のまま、片道七キロの学校まで歩いて通った話、両親が開墾に出ている間、七歳から食事の煮炊きをしていた話、雑草を食べた話……。圧倒的な現実がそこにあった。
 人間、自分が生まれ育った環境とあまりにもかけ離れた世界の話を実際に聞くと、ただただびっくりしてしまう。安易な同情など、生まれてこないものだ。
 この彼女の話はなにも例外的なものではない。程度の差こそあれ、ほとんどの戦後日系移民が現実に歩いてきた道のりだった。
 なんだか最後だけ真面目になったが、ぼくはそういう人たちにインタビューしようと、そんな彼らの生きてきた世界を実際に知ろうと、南米に向かったのだ。


1. でっかい街・サンパウロ

 さて、ぼくが最初に訪れた都市・サンパウロが、いったいどれくらいの規模の街かを簡単に説明したい。
 市内中心部の人口は、約千七百万人。グランド・サンパウロといって、その周辺の人口も含めると、約二千八百万だという。数字上で見てもおそろしく大都会だし、実際に現地をクルマであちこち走り回ってみても、そうだった。
 とにかく、だだっ広いのだ。
 その広いなだらかな丘陵地帯の上に、日本だと霞ヶ関や新宿、幕張にしか見られないような高層ビルが乱立し、そのビルの間を、これまたでかい道路が縦横無尽に走っている。
 路上をクルマというクルマが排気ガスを撒き散らしながら走り回り(どうやらこの国では排気ガス規制などないようだ)、舗道の脇は露天商で埋め尽くされ、その前を白人や黒人や混血や黄色人種がうじゃうじゃと歩いている。その人種の坩堝に、からりと乾いた太陽がさんさんと照りつける。ちょうど南回帰線上に位置する都市なので緯度的には亜熱帯に属するのだが、海抜八百メートルの高原地帯に開けた街なので、実感としては温帯に近い。気候的にはブラジルで最も住みやすい街と言われている所以だった。
 この街では、Bさんという日系の戦後移民一世の方にお世話になった。もともとは徳島県出身で、四十年前に移民してきたという。奥さんも同じ県、同じ世代の戦後移民だ。
 移民当時からかなりの苦労をしたにもかかわらず、夫婦揃って底抜けに明るい二人で、ちょっとしたことにも、とにかくよく笑う。一日目に知り合ってあれこれ話をするうちにすっかり仲良くなってしまい、その後の滞在中も大変よくしていただいた。
 サンパウロは、日系人が集中している街だ。現在、ブラジル全体での日系人人口は百三十万とも百五十万とも言われるが、そのほとんどがこのサンパウロ州とその隣のパラナ州に固まっている。このBさんを通じて、それら数多くの戦後日系移民一世の方々にインタビューをさせてもらった。
 この内容は後日小説の内容に生かそうと思っているので割愛するが、驚いたのは、彼らの日常会話の中でかなりの差別用語がなんの恐れ気もなくポンポンと飛び出してくることだ。
 例えば、こういう会話。
「今度さあ、おれの息子が半黒(はんぐろ)と結婚することになったんだよねえ」とか、
「それをいえば、おれの二人の娘だって、それぞれシロとクロに嫁いじまったんだぜ」
とか、そんな感じだ。
 ハングロ、シロ、クロ……いやはや、その図太さたるや、実に笑える。
 では、彼ら一世がそんな異人種との婚姻関係を嫌がっているかというと、これがそうでもない。ごく自然なこととして、すんなりと受け入れている。
 彼ら一世の人間は、日系人以外のブラジル人を呼ぶとき、つねに「ガイジン」という言葉を平気で使う。
 ぼくなんぞからすれば、この移民国家ブラジルでは日系人こそが最後発の移民集団で、それ以前に移民してきたポルトガル人やイタリア人や、アフリカーナ、そんな彼らから見れば、日系人こそが「ガイジン」だろうと思うのだ。
 疑問に思い、じゃああなたたち日系人はこの国での自分たちを何だと思っているのです、と聞くと、「そりゃ、日本人さ」という明快な答えだった。ハハ……。
 これら差別発言は、なにも人種のことだけに限らない。
 人を呼ぶとき、日系人に限らずほとんどのブラジル人は、「おーい、ゴルド(太っちょ)」や、「おーい、バッシーニョ(チビ)」などと、その身体的特徴をなんのためらいもなく口にする。呼ばれた相手もそれで怒り出すかといえば、そんなこともなく、平気な顔をしてやってくる。理由を聞いてみると、「だって、おれ、太っちょだもん」、「チビだもん」と、いわば当然といった表情で、答えを返してくる。
 さらにもう一つ。
 これは現地に三年ほど暮らしている日本人から聞いた話だが、ある日新聞に何気なく目を通していて、いったんは思わず仰け反り、最後には笑い出してしまったことがあるという。
 その新聞の求人欄には、こう書いてあったそうだ。
(販売員募集、男女とも四十歳くらいまで。ビッコでも可)。
「ったく、ブラジルらしいわよね」と、その女の人は笑っていた。「やっぱ、日本人の感覚とは全然違う。自由なんだよね」と。
 その意見にはぼくも同感だった。
 つまり、その言葉自体ではなく、その裏にある意識こそが差別を生むということだ。差別する意識が希薄だからこそ、こんな野放図な発言や言葉があっけらかんとまかり通る社会なのだろう。
 事実、こういう言葉に敏感な国――アングロサクソン系の国や、日本も入れていいと思うが――そんな国に限って、妙に人々の心の中に差別意識が根付いているのを肌で感じることがある。それを、上っ面の言葉だけで取り繕おうとする。そんな欺瞞を感じるお国柄より、はるかにマシだという気になる。
 夜のバール(酒場)で、「よう、東洋人」と、ニコニコして話し掛けられることが多々あった。女の子たちも寄ってきて、「あ、やっぱり目が細いねえ」などと言う。「こんな目でも、可愛いかブスかは充分にわかる」と答えると、ゲラゲラと笑って、「じゃあ、あたしは?」とくる。「美人だ」と答えると、「なら、これからディスコティカでも行こうよ」などと、明るく誘ってくる。

 ところで、夜の話のついでに言っておくと、ブラジルはけっこう治安が悪い。サンパウロも例外ではなく、人通りの少ない場所を歩いていると、しばしば強盗に遭うそうだ。いきなりピストルを突きつけられ、「金を出せ」とくる。金をふんだくられた挙句、殺されることもよくある。
 ただし、こんな強盗の話も聞いた。
 あるブラジル人のお爺ちゃんが夜道を歩いていると強盗が出てきて、有り金全部を巻き上げられた。ところがお爺ちゃんは、ふと気づいた。家に戻るバス賃がない。そこで、逃げてゆく強盗の背中に向かって必死に訴えた。「ポルファボール(お願いだ)。金を全部取られたら家に帰れない。ポルファボール、一体おれはどうすればいいんだ、ポルファボール」と。
 すると、その若い強盗は一瞬迷ったように立ち止まった。直後にはそのお爺ちゃんの所まで取って返すや否や、その手に五ヘアル札(約二百五十円)をしっかり掴ませると、再びものも言わずに走り去った。
 ちなみに最初に奪われた全額とは、二十ヘアル(約千円)だったそうだ。

 ちょっとした言葉のやり取りで相手に同情したり一緒になって喜んだりと、いつも感情が行動に直結してくる。
 なんだか笑える国だ。

(了)


1966年長崎県生まれ。筑波大学卒業後、リクルート、商社、旅行代理店勤務を経て、2000年『午前三時のルースター』で第17回サントリーミステリー大賞・読者賞をダブル受賞してデビュー。受賞後第一作の『ヒートアイランド』(文藝春秋刊)が各紙誌で絶賛を浴びる。現在、鋭意新作に取り組んでいる。
http://www3.ocn.ne.jp/~kakine/


ヒートアイランド
『ヒートアイランド』
文藝春秋
本体2048円+税




これが、サンパウロで一番のオフィス街。通称パウリスタ大通り。こんな感じのビル群が、数キロに渡って延々と続く。こんな国に、今もODAを垂れ流しているわが日本国である。いったい何を考えとんじゃあ!


ニッケイ・パレス・ホテルから望む、リベルダーゼ(東洋人街)の下町風景。治安の悪さが、少しは感じられるかな? 遠くにオフィス街が見える。


ブラジルの大地ですくすく育った巨大キノコ。持っているのはサンパウロでお世話になったBさん。Bさんによると、この国では、女の子のおっぱいもすぐに大きくなってしまうと言う。


ホテル前、携帯にてアテンドの確認をしているどこかの団体のツアーガイド。ぼくも昔、こんなことをやっていた時代があった。けっこう気疲れするのよ、添乗業務は。


サンパウロ市民の胃袋を満たす巨大青果市場。ブラジル語でシアーザと言う。マナウスやらベレンやら、サンルイスやら、そんなブラジル全土から五千キロも六千キロもかけて、野菜が運ばれてくる。


同じシアーザの敷地内にある、ポリスのブランチオフィス。数千人の荒くれ男が働いているこの市場では、ケンカや暴動、殺人もそう珍しいことではない。警察官は皆、防弾チョッキを常時着用していた。