南米取材旅行記 コロンビアーノ・ブラジリアン

垣根涼介


とりあえず、サントス……小国の賢人


 さて、サン・パウロ滞在中の一日を利用して、サントスという街に行ってきた。
 高原の大都会サン・パウロから南に七十五キロほどハイウェイを進むと、大西洋にぶつかる。サントスは、その海辺に発達した港町だ。人口は約四十二万人。ブラジルで一番大きい貿易港があり、サン・パウロ市民の手軽なリゾート地でもある。
 ちょっと乱暴な言い方だが、都市機能的に見れば、日本の東京に対する横浜みたいな位置付けだと思えばいい。
 ただ、気候はサン・パウロとは全然違う。とにかく、暑い。クルマを出てちょっと市内をうろつくだけで、どばどばと汗が出る。考えてみれば、ほぼ南回帰線上に位置する標高ゼロメートルの町なのだから、暑いのも無理はない。
 この街では、Aさんという日系人に取材をした。もともとは四十年前、アマゾン川河口から四千キロも奥地に入ったアクレ州という土地に入植した開拓移民だったそうだ。
 が、環境の過酷なジャングル奥地での開拓には早い時期に見切りをつけ、職を求めて、マナウス、ベレン、レシフェ、サルバドールとアマゾン川流域から太平洋岸の街をどんどんと南に下ってきた。ちょうどブラジルを半周したようなかっこうで、けっきょくは一万キロ近くも流れてきて、このサントスに住み着いたという。
「すごい道のりですね」と、ぼくが言うと、「なに、単に食えなかっただけですよ」と軽く笑っていた。ぼくはこういうフラットな答え方をする人は、けっこう好きだ。
 仲良くなったついでに、一緒にこのサントス市内をクルマで廻ってみた。
 簡単に言うと、この街は海岸から東に突き出た半島の上にある。その半島の南側にひらけた弓なりのビーチが、リゾート地だ。伊豆は熱海の海沿いの風景を十倍ぐらいの規模にすれば、こんな感じになるのだと思う。この南側のビーチに対して、東側の海岸には埠頭が延々とつづいている。これが、サントス港だ。ここの雰囲気は、質実剛健の一点張り――とまあ、ここまで簡単にサントスの街並を書いてみたのだが、うーん……いまいちピリッとしない。
 たった一日、しかもクルマでぐるっと廻ってみただけの街だから、どうも、思い入れというか、その土地で経験したエピソードというか、そんなものが圧倒的に足りないのだ。しかもぼくにとってこの街は、先ほども言ったとおり、ちょうど外国人が見た日本の横浜のようなもので、たしかに海沿いのきれいな町なのだが、だからといってそのガイジンが横浜の街並みについて何か感銘を受けるかと言えば、浅草や京都のようなトラディッショナル・ジャパンじゃないから、そりゃほとんど何も感じんわな。しかも、こんな規模の港町なんて、世界に出ればそれこそ腐るほどあるし(横浜市民の皆さん、すんません)。
 というわけで、話を再びサン・パウロに帰ってからの見聞に戻す。乱暴だけど、一応サントスがどんな街かは簡単には分かったかと思うので、勘弁してください。
 このサン・パウロと現在の日系人の関係について、ちょっと書いてみたい。
 市内中心から西に十キロほど行ったところに、大学がある。サン・パウロ大学で、ウニヴェルシダーデ・デ・サン・パウロが、ポルトガル語読み。略してUSP(ウスペ)と呼ばれている。ブラジルの官制大学はみなそうなのだが、この大学も授業料はタダ……。こういう事実を知るにつけ、借金大国にもかかわらず、ブラジルって国は太っ腹だなあ、と感じ入る。
 それはともかく、サン・パウロはブラジル一の都会だから、当然その街にあるこのウスペは、この国で一番レベルの高い大学ということになる。東京にある東京大学と同じことだ。
 で、何が言いたいかといえば、全国民の1パーセントにも満たない日系人の子弟が、この大学在籍者の実に二割を占めるという事実だ(そう言えば、前回紹介したBさんの息子も、このウスペ出身だった)。
 なにもぼくは、だから日本民族は優秀なんだ、などというたわごとを書きたいわけではない。ただ、戦前・戦後に亘って海を越えた日本人たちが、ほとんど例外なく自分の子供たちに対しては非常に教育熱心だったことを言いたいのだ。
 未開の地に入植した日系人たちは、開墾した土地に、なにはともあれ、まずは学校を作った。様々な事情から学校を作れない場合でも、仲間内で少ない金を出し合って、街からブラジル人の家庭教師を呼び、子供にこの国の教育だけはちゃんと施していたという。
 当然、こうして育ってきた日系人の子弟は、自然と高学歴になり、医者や弁護士、その他ホワイトカラーの職業につく確率が多くなる。
 現在のブラジルでは、日本人と言うだけで、商売相手からすんなりと信用される。銀行もわりと気軽に金を貸してくれる。義理堅く、勤勉というイメージが社会に浸透しているからだ。そういう意味では、尊敬を受けていると言ってもいい。
 ちょっと前に、日本でこんなコマーシャルがあったことを思い出す。BMWというドイツ車のCMで、こんな笑えるテロップを流していた。
 いわく、
「日本車は世界で一番優秀だといわれています。でも、そんな日本人が一番好んで乗る外車は、わがBMWです」と。
 じつに厚かましい、鼻息の荒い、それでいて妙に説得力のある言葉だ。
 では、この論法を受けて、ブラジル社会である程度の尊敬をかち得ている日系人が、
 ――この人種は、実を言うとなにげにスゴイ
とひそかに思っている民族はなにか? というのが、今回のオチ。
 答えは、レバノン人。
 この回答は、多くの日系人が口にしていたから、まず間違いないと思う。
 地中海に面した中東の小国『レバノン』からやって来た民族だ。この国は、昔は中東のスイスとも言われるほど気候もよく、風光明媚で、モノ成りも豊かな土地柄だった。が、永年つづいた内戦ですっかり国内経済は疲弊してしまった。
 その結果、ブラジルに移民としてやってきた人間も多かったらしいのだが、むろんその絶対数はブラジルの少数民族・日系人をさらに下回る、超マイノリティな存在でしかない。
 義理堅く、勤勉なのは日系人と同じだが、ビジネス上の交渉に関してもじつに粘り強く、タフで、滅多なことでは腹を立てたりしない。ようは、いち社会人として完璧に近い。
 また、このレバノン人は、アラブ社会に独特の『侠気(おとこぎ)』という感覚を、濃厚に受け継いでいる人種だとも言われている。日本ではすでに死語に近い言葉だが、安易には他人に開襟しない反面、いったん相手を信用したとなれば、とことんまで面倒を見る。しかも、人種に関わりなく、だ。
 例えば、ある日系人からこんなエピソードを聞いたことがある。
 彼もまた、前述したAさんと同様、アマゾン奥地からサン・パウロに流れてきた日系人の一人だった。当時、日本のバカ外務省がしでかした失政の結果としての、尾羽打ち枯らした、いわゆる「アマゾン牢人」としてだ。
 だが、都会に流れてきたところで、行く当てがあるわけでもなく、金もなく、セー広場という場所で、疲れきってうずくまっていた。すると、その広場の目の前にある雑貨屋のオーナーが、見かねて晩飯を食わせてくれたという。
 男は、レバノン人だった。アマゾン牢人である彼の悲惨な身上を理解したこのレバノン人は、単に晩飯を食わせてやっただけではなく、数日後、自らの人脈をフル回転させて、彼にまっとうな仕事を見つけてきた。さらに数年後、その仕事に慣れた彼が独立を志すと、何もいわずにその資金を貸すことまでしてくれたという。
 やがて商売で成功した彼は、利子をつけてその資金を返しにいった。レバノン人は元金だけは受け取ったものの、利子は頑としてはねつけた。
 おまえが成功すれば、おれだって嬉しいんだ、と。だから、こんなよそ行きの真似はするな、と――。
 ここまでゆくと、尊敬を通り越して、一種の凄みさえ感じる。人種の壁など乗り越えてゆく、個対個としての強烈な結びつきを実感する。
その日系人も、こう言って笑っていた。
「だから、おれは今でもあいつに足を向けては眠れないのさ」と。
 現在、ブラジルの主要な都市のほぼすべてに、レバノン会館という建物が立っている。自分たちの民族のために、彼らレバノン人が金を出し合って建てたホールだ。どこの建物も、かなり立派な外観だった。
 ちなみに、現在の「日産」の社長であるカルロス・ゴーンも、父方のほうがレバノン系ブラジル人だったと、どこかで聞いたことがある。
「小国は、賢者を生む」――そんな言葉を久しぶりに思い出すエピソードだった。

(了)


1966年長崎県生まれ。筑波大学卒業後、リクルート、商社、旅行代理店勤務を経て、2000年『午前三時のルースター』で第17回サントリーミステリー大賞・読者賞をダブル受賞してデビュー。受賞後第一作の『ヒートアイランド』(文藝春秋刊)が各紙誌で絶賛を浴びる。現在、鋭意新作に取り組んでいる。
http://www3.ocn.ne.jp/~kakine/


ヒートアイランド
『ヒートアイランド』
文藝春秋
本体2048円+税




サントスに行く途中に立ち寄ったガソリンスタンド。右手を走るのは高速道路。荒れた路面を時速百三十キロ近くでクルマがバンバン流れている。事故ったら死ぬぞ、と思っていたら、サントスからの帰りに、まだ路上に転がっているライダーを見た。げっ!


高原から標高七百メートルを一気に下る坂道。ちょうど日光の『いろは坂』に似ている。で、この坂を下りきったところにある港町が、サントス


リタイアした老人たちがうろつくビーチ。上半身裸に短パン、サンダル履きが、ここのリゾートの定番スタイル。それにしてもブラジル人は肌を焼くのが大好きだ。皮膚ガンになりそう……


同じビーチを、別角度から撮ったもの。リゾートマンションやホテルが、延々とつづいている。でも、ここに滞在できるのは、当然ながら、お金持ちだけよん


サントスの南側にあるゴンザガ・ビーチ。そのほぼ全景を、高台の上のレストランから撮った


サントス市街の東端に位置する海岸通り。ここを回り込めば、埠頭が延々と続くサントス港になる。逆に、この通りの手前までが、ゴンザガのビーチリゾート


埠頭にて、船からの積み下ろしを待つトラックたち。なにを隠そう、ぼくの子供の頃の夢は、将来、長距離トラックのドライバーになることだった。はは……



取材旅程