南米取材旅行記 コロンビアーノ・ブラジリアン

垣根涼介


享楽の都・カリ(その一)


 突然だが、知り合いに宝石会社の社長がいる。旅行代理店に勤めていた時にお世話になった人で、ぼくがこの仕事を始めてからも、たまに飲みに行ったりする間柄だ(ちなみにこの社長の会社はT宝石といって、昼間の時間帯などテレビやラジオのCMがよく流れているから、知っている人も多いかもしれない。一作目の登場人物のモデルにもちゃっかり使わせてもらった)。
 この社長は、年に一度ほどエメラルドの買い付けに自らコロンビアに赴く。帰ってきて洩らすセリフは、だいたい決まっている。
「この商売をやってなかったら、おれなんざ金をもらっても行きたくない国だね」
 麻薬に絡んだ犯罪が多く、政情不安だった一時期は毎年一万件近くの殺人事件があったらしい。今でも武装強盗や営利誘拐などの事件で、年間二千五百人ほどが殺されるというお国柄だ。事実、この社長も何度か武装強盗に出くわし、一度などは、偶然クーデターの未遂現場に居合わせてしまったという。
 彼が投宿していた地区に戦車や武装ヘリ、無数の兵隊が群がってきたかと思うと、たちまち銃弾の飛び交う市街戦になった。戦車砲がすぐ近くのビルに発射され、ドン、とという重い炸裂音と同時にそのビル壁面に大きな穴があく。衝撃で部屋の床がぐらぐらと揺れる。やがて、どういうわけかその戦闘の前線がホテル前まで移動してきて、目の前で機関砲がバリバリと唸り始めた。
「いや、あん時ばかりは生きた心地がしなかったよ」と。はは……。
 その頃から、どうも物騒な国らしいということは知っていた。
 昔から、コロンビア国内では、カリ・カルテルやメデリン・カルテルなど非合法の麻薬シンジケートがのさばっていたが、今は一時期ほどの勢力はない。麻薬撲滅作戦の一環としてアメリカに後押しされた政府軍ならびに警察が、ジャングル奥地の精製工場を空爆したり、アメリカン・マフィアへの主要な輸出ルートを絶ったりと、かなり徹底した摘発を行ったからだ。しかし、それら弱体化したシンジケートの後釜に座った組織がある。いわゆる反政府ゲリラだ。壊滅状態になっていた麻薬ビジネスを再建し、その資金力を背景に、以前にも増して大規模なテロ活動や、外国人を標的にした誘拐ビジネスを続けている。
 コロンビアは、日本の約三倍の国土を持っている。下記の地図で確認していただければ分かり通り、大きく区分すると、北部のカリブ海沿岸地帯、西部の太平洋沿岸地帯、東部のアマゾン流域、それと中央部に位置するオリエンタル山系とセントラル山系に挟まれた大盆地の、四エリアになる。このエリアのうち、東部の太平洋沿岸と西部のアマゾン流域という国土の約三分の一を、現在反政府ゲリラが押さえている。つまり、日本とほぼ同面積のエリアが、中央政府の権力の及ばぬ土地になっているのだ。
 前置きがいささか長くなったが、ようは治安面に関する限り、とてもおっかない国だということだ。正直言って、ぼく自身もブラジルを発つ前から少しビビっていた。
 早朝のサン・パウロから六時間ほどアヴィアンカ航空に乗り、首都のボゴタに着いた。トランジットだ。度重なるゲート変更やデタラメのアナウンスに振り回され、古びた空港内をなんども行きつ戻りつさせられた挙句、定刻より一時間遅れのカリ行きに乗った。係員に聞くと、国内線の発着ゲート変更やディレイなどいつものことだよ、と、あくまでも余裕の構え。このあたり、やはり第三世界に片足突っ込んでいる国だと言えないこともない。
 そんなわけでコロンビア第三の都市・カリに着いたのは予想外に遅く、日もとっぷりと暮れてからだった。
 このカリは、前述したオリエンタル山系の麓に広がった大盆地の中にある。標高は約千メートルだが、ほぼ赤道直下に位置する街なので、日本の初夏のような気候が年中つづく。
 戦前から戦後にかけ、日系移民がもっとも多く住み着いた街でもある。とはいってもコロンビアに入った移民の数自体がとても少なく、最大コミューンを持つこの街でも現在の人口約二百万に対して、日系人は百五十人ほどしかいない。
 さて、この街を実際に訪れた印象だが、どう書けばいいのか、正直言って今も迷っている。ある意味、今回の旅行の中でもっともショックを受けた街だ。
 最初の印象としては、この国で三番目に大きな都市とはいえ、意外と田舎なんだなあ、という程度のものだった。空港から市街地へと向かう郊外には、薄闇の中に牧場や畑が広がり、バスの開け放たれた窓の外から、時おり肥溜めの臭いが流れてきたことを覚えている。道路わきをラバに引かれた荷車がとぼとぼと進んでいる光景も、何度か目にした。
 が、そんな前時代的な風景も、セントロ(市街地中心部)に入るとガラリと様変わりする。荒い造りのコンクリートの建物がごちゃごちゃとひしめき合い、ゴミの散乱した辻々には人がたむろし、ひび割れたアスファルトの上では、鼻先を少しでも突っ込もうとするクルマが互いにけたたましいクラクションを鳴らし、少しでも前方が空こうものなら猛然とダッシュ……いやはや、まるでそのすさまじさといったらない。
 セントロにあるバスターミナルでタクシーを拾い、ユニセントロ(新市街)に予約していた宿に向かった。
 ホテルの近くに、この地区の目抜き通りであるAv.6(アベニーダ・シックス)がある。宿の人間によると、通称“ピンクロード”と呼ばれているという。
 ちょっと危ないよ、と忠告されながらも、夜半に、その通りに出かけてみた。雨季というせいもあり、Tシャツがべったりと肌にまとわりついてくる蒸し蒸しする夜だった。
 なぜそこがピンクロードと呼ばれているかはすぐに分かった。平日夜の零時過ぎだというのに、通りにはたくさんの男と女が溢れ、街路樹の両脇にはカジノ、ディスコティカ、バーなど、そのテの夜の店がずらりと軒を連ねている。どぎつい電飾のネオンがあちらこちらで自己主張し、軒先から流れ出てくる甘ったるいサルサの大音量に、ストリート全体が包み込まれていた。
 クルマのフェンダーに身をもたせかけたまま舌を入れあう男女や、路肩に座り込んでビールをラッパ飲みしているオヤジたち、ディスコから流れ出て、なおもけだるそうに路上で踊っている女、裏通りで客引きをしているオカマの群れ、カジノに入ってゆく中年女の背中……この最初の晩に覚えた違和感を、どういうふうに伝えればいいのだろう?
 退廃、享楽、刹那……うまく言えない。とにかく、人やモノ、音楽――すべてのものがそこに停滞し、漫然と漂ったままになっている感じとでも言えばいいのか。
 例えば新宿の歌舞伎町や渋谷のセンター街などは、このピンクロードよりもはるかに大規模で、流れ込んでくる人の量も桁違いに多い。そういう意味でいけば、この通りは、単なる一地方都市に存在する繁華街に過ぎない。が、歌舞伎町やセンター街では、いかにその街が一見、不夜城のように見えたとしても、やがて夜明けがくればそのネオンも消え、カラスが鳴き、チリだらけの道を清掃車が走り回る。そして、そのことをぼくたちはよく分かっている。
 しかし、このピンク・ロードには、夜の世界だけがとめどもなく続き、夜明けは永久に訪れて来ないような、そんな錯覚をおぼえる。仮に朝日が差し込んできたとしても、ここにいた人間も、街も、彼らの脳ミソも、通りに溢れるサルサも、まるでアイスクリームのように溶け出して、消えてしまいそうな気がする。
 この通り全体を包む雰囲気のなにかが、ぼくの心のどこかを鷲掴みにして離さない。
 なんだろう? と思う。
 こう説明すれば、分かってもらえるかもしれない。
 この街には、戦前にも多くの日系人移民が住み着き、無一文の状態から土地を開墾し、苦労に苦労を重ねて、大多数の人間がある程度の財を成した。これは、かれら移民者の努力もさることながら、カリ周辺の土地がモノ成りのいい土壌であった要素も非常に大きいということだった。ところが、彼ら一世の財産や土地を受け継いだ二世は、戦後その半数が急速に落ちぶれてゆく。
 現地の日系人に言わせると、このカリという街は、よほど厳しく自分を律しない限り、金を持つ者にとっては、とめどもなく堕ちてゆける世界なのだという。
 売春宿、カジノ、宝くじ、ディスコティカ、バー……飲む、打つ、買う、のすべての誘惑が、街中のいたるところに揃っている。特に、政府公認のカジノは、市内にこれでもかというほど目に付いた。住宅街の塀とそのカジノの軒先が当然のような顔をして隣接している土地を、ぼくはこのカリという街以外に知らない。女を抱いたり、酒を飲んだりしても、一度に使える金にはおのずと限度がある。だが、賭博で一晩に消える金は、それこそ天井知らずだ。瞬く間に坂を転げ落ち、身を滅ぼすのに、大して時間はかからない。
 この実話を聞いたとき、なんだかひどくショックだった。そして、妙に納得を覚えた。――このまま行くと、とんでもないことになる。一瞬の興奮と快楽に理性がゆるゆると呑み込まれてゆく、どうでもよくなってゆく――そんな情動に身を任せたくなるような雰囲気が、たしかにこの街には存在する。
 ……このカリという街については、まだまだ伝えたいことがある。次回では、そんなこの街に暮らす人間たちや、カジノ、麻薬について、少し書いてみようと思う。



1966年長崎県生まれ。筑波大学卒業後、リクルート、商社、旅行代理店勤務を経て、2000年『午前三時のルースター』で第17回サントリーミステリー大賞・読者賞をダブル受賞してデビュー。受賞後第一作の『ヒートアイランド』(文藝春秋刊)が各紙誌で絶賛を浴びる。現在、鋭意新作に取り組んでいる。
http://www3.ocn.ne.jp/~kakine/


ヒートアイランド
『ヒートアイランド』
文藝春秋
本体2048円+税




カリ市内ユニセントロ地区の目抜き通り。Av.6(アベニーダ・シックス)、通称“ピンク・ロード”。昼間は人影が少なく、夜が更ければ更けるほど、人が多く集まってくるという不思議な場所。こうしてお日様の下で見ると、意外と地味な通りです。街へ出るとき「カメラを持っていると危険」と言われたけれど、意を決してコソコソと写真を撮りました。でもやっぱり、夜の撮影は命を落とすことにもなりかねないので、自粛。


同じくピンク・ロード別方面。どこに行っても昼間は人通りが少ない。正面左よりの建物は、ディスコティカ。夜ともなればガンガンとサルサの大音量をまき散らす。当然、人も群れる。路肩にうずくまっている男……。


昼飯。米にフェジョン(豆料理)のスープをかけ、添え物はアボガドや目玉焼きや、バナナのポテトなど。これで6000ぺソほど(約三百円)。安いレストランだと、2000ペソ(約百円)ほどで腹いっぱい食べられる。


写真奥に、山が見えているのが分かるだろうか? カリは盆地の中の北よりの場所に発達した町なので、北に向かって少し歩くと、すぐに山の風景にぶつかる。若干、閉塞感の漂う街だ。


セントロ(旧市街)付近の、とある通り。路肩には露天商が溢れている。カリはサルサの本場ということもあり、どこにいってもあの能天気な旋律がストリートを支配している。



取材旅程