南米取材旅行記 コロンビアーノ・ブラジリアン

垣根涼介


カリブに浮かぶ街・カルタヘナ


 コロンビアの北部海岸に、カリブ海に面した(カルタヘナ)という港湾都市がある。
 この国随一のリゾート地でもある。
 海に向かって逆三角形に突き出した半島の上に栄えた街だ。セントロ(市街中心部)を、長さ四キロにわたる巨大な城壁が取り巻き、その内部には旧植民地時代そのままのレンガや石造りの建物が、びっしりと立ち並んでいる。街の造りだけを抜き取れば、まさしく大航海時代にタイムススリップしたような印象さえ受ける。
 ある一定の区域内にこれだけの住民と建物が密集している土地を、ぼくは寡聞にしてこのカルタへナ以外に知らない。
 街を一望できる場所がないかと旧市街をウロウロしていると、ある格好の建物が目にとまった。四階建ての建物で、他の家屋より少し高い。なにかのパブリックな建物のようだったので、その内部にあるパティオ(中庭)にどんどん入っていった。
 と、そのパティオにいた警備員に呼び止められた。スペイン語で、どうやら部外者は立ち入れないようなことを言っているようだった。だが、こっちとしては是が非でもその建物の上から旧市街を一望してみたい。こういう決まり事に対する図々しさを、幸いにしてぼくは持ち合わせている。相手が英語でうまく事情を説明できないことをいいことに、ニコニコしながら、いいじゃない、いいじゃない、なんで? なんで? と横車を押しつづけていると、階上から若い男女が顔を覗かせた。
 事情を察した彼らは、手招きをしてぼくを呼び入れてくれた。その建物はカルタヘナ大学の所有物で、彼らはそこの学生だった。その階上の小部屋で、仲間の誕生日を祝って騒いでいた。ついでにぼくも参加してケーキを食いながらいろんな話をした。そのうちに、何故このカルタヘナの旧市街が、こんなに堅牢な城壁に覆われているのか、という話になった。
 彼らの話によると、もともとこの街は、五百年ぐらい前から栄えていたそうだ。昔も今も、コロンビアは金やエメラルドが多数産出する土壌だ。それら貴金属を、宗主国であるスペイン王朝にせっせと貢いでいた。それを送り出す海路の拠点となったのが、このカルタヘナの港だ。この富の集積地を、当時カリブ海で横行していた無数の海賊たちが見逃すはずもない。何世紀にもわたってしつこく襲撃を繰り返し、その度に金品を強奪し、町を焼き、女を奪った。特に女の場合は生き物なだけあってその扱われようも悲惨で、自分たちの所有物として頬や首に焼印を入れられ、海賊がアジトの島を不在にする間は、他の男に犯されないように、鉄製の貞操帯をつけられ、それで暮らすことを余儀なくされていたという・・・・まあ、ムチャクチャな話だ。海賊などといえば、現代に生きる人間はなんとなくロマンめいたものを感じるが、その実態はこんなものだ。
 その海賊どもの襲撃に懲り、約二百年をかけて作られたのが、この旧市街地をぐるりと取り巻いた石造りの城壁だったというわけだ。
 現在のカルタヘナは、この城壁と、その中にある植民地時代の雰囲気を濃厚に残している街並みが、その最大のウリになっている国際観光都市だ。むろん、旧市街地の外れにはボカ・グランデ地区というカリブの浜辺を満喫できるリゾート地も広がっている。ただし、過度な期待を持って訪れた人は多少がっかりするかもしれない。ちょうどハワイはオアフ島のワイキキビーチと同じようなもので、ビーチの砂はキャメル色にくすんでいるし、海は予想外に荒く、また透明度もそんなに高くはない。聞いてワクワク、見てガックリ、というわけだ。
 ところでこの街では、Sさんという四十前後の日本人男性と知り合いになった。ぱっと見にはヤクザみたいに物騒な印象を受けるが、それは商売上のハッタリに過ぎず(仕事は後で説明する)、実際に話してみるとかなりマトモな人だった。このSさんの半生というのが、なかなか変わっていて面白い。
 まず十四歳の頃に、何のためにヒトは生きているのか、ということで悩み始めた。ここまでなら、多少早熟で多感な少年にはよくあることだ。だが、このSさんの尋常でないところは、そこから飛躍して、学校教育などしょせん無意味だという結論を導き出し、かつそれを行動に移したことだ。中学を卒業するや否や家出同然に実家を飛び出し、しばらくふらふらとした挙句、埼玉県内の飯場で住み込みの土木作業員として働き出した。次に就いたのが、いわゆる遠洋漁業であるマグロ船の乗組員。どれも伊達や酔狂では出来ないキツい仕事だ。十数年そのマグロ漁船の乗組員をやった後、ある船会社の社長に見込まれ、コロンビアで船舶のアテンド業務をしないかと持ちかけられた。寄港してくる漁船や商船への魚餌や食料の積み込み作業、船荷の捌き、乗組員のホテルの手配などを一手に請け負う仕事だ。で、この仕事を続けているうちにコロンビア人の嫁さんを貰い、子を為し、今ではすっかりこのカルタヘナに住み着いてしまっている。
 このSさんの自宅にお邪魔したときのことだ。彼の住まいは十四階建てのマンションのペントハウスにあり、そこからは旧市街からボカグランデのリゾート地区まで、カルタヘナのほぼすべての市内が一望できた。
 その夜景を見ながらSさんが言うには、このカルタヘナには、公設の港がほとんど存在しないという。つまり、夜景の中に輝いている港のほぼすべてが個人なり会社なりの所有物で、通常、警察や税関の立ち入りもまったく行われないという。その気になれば密輸などはいともたやすく出来るということだ。
 なんでそういうことになるのか? とぼくは聞いた。
 簡単だよ、とSさんは笑った。
 Sさんによると、このコロンビアという国は、しっかりとした社会法規の上に成り立ったシステムで動いている国ではなく、しょせんは個人のネットワークで動いている国だという。銀行の大株主、植民地時代からの大農場主や財閥・・・・十家族に満たない超富豪の一族が相互に有機的なネットワークを作り、そのネットワークの集合体が、自在に国家を動かしているのだそうだ。その支配下にある無数の企業、数多くの従業員を使ってその民意を操作する。選挙での裏金もしこたま積む。官僚への賄賂も底なしに贈りつづける。彼らの意を受けた政治家や官僚が国の中枢に座る。結果、自由に積み出しの出来る私設港の許認可など、容易に手に入れられることになる。
 そもそもこのコロンビアは、植民地時代の地主階級が自分たちの既得権益を守るため、宗主国であるスペインに対して独立運動を始めて出来た国だ。独立を勝ち得、表向きは共和国になったところで、そんな彼らが利権を手放すはずがない。
 当然ながら、そんな国家の成り立ちに反感を持つ人間もかなり多い。
 新市街で、巨大なビルが反政府テロにより見るも無残に爆破されているのを見た。
 さきほど紹介したカルタヘナ大学の学生に誘われて、そのキャンパスを訪れたときにも、構内には政治運動のビラがこれでもかと言わんばかりに貼り巡らされていた。
 このインターネットの時代に、ある研究室ではまだオリベッティのタイプライターを使っていたのも、妙に印象的だった。
 もっとも、そのタイプライターを使っていた相手はクスリと笑って、「この大学は貧乏だからなあ」とあっけらかんとしたものだ。周りの学生たちも爆笑し、ぼくもつい破顔した。学生たちのそんな明るさが、この国のシステムの不条理を多少とも中和してくれている。
 カリでもメデリンでも(この後で行くボゴタでも)少し感じていたことなのだが、この国の都市部には、妙な閉塞感がその街並みに滲んでいる。それが山岳地帯特有の風土によるものなのか、それとも社会自体の不安定さから来るものなのかは分からないが、いつもどこかに停滞した暗さを感じていた。
 だが、このカルタヘナの街並みからは、そんな鬱するような雰囲気を一度も感じることはなかった。カリブ海沿岸という気候のせいもあるのかもしれないし、海に向かってひらけているという地理的な条件もあるのかもしれないが、この街の人間の表情は総じて明るい。そしてぼくはこの明るさが好きだ。子供時代を温暖な海のそばで過ごしたせいもあるが、こういう能天気さにはつい懐かしさを覚え、好意を抱いてしまう。
 千葉県の外房で育ったSさんも、ひょっとしたらこういうところに惹かれて住み着いてしまったのかも知れない。



1966年長崎県生まれ。筑波大学卒業後、リクルート、商社、旅行代理店勤務を経て、2000年『午前三時のルースター』で第17回サントリーミステリー大賞・読者賞をダブル受賞してデビュー。受賞後第一作の『ヒートアイランド』(文藝春秋刊)が各紙誌で絶賛を浴びる。現在、鋭意新作に取り組んでいる。
http://www3.ocn.ne.jp/~kakine/


ヒートアイランド
『ヒートアイランド』
文藝春秋
本体2048円+税






カルタヘナの旧市街を、ぐるりと取り囲む城壁。上の写真がカリブ海に面した城壁で、下の写真が、この城壁の中心となる入り口。内部には植民地時代の街並みがそっくり残っている。




で、これが城壁内の旧市街の街並み。京都に太秦という江戸村があるが、ここはそのコロンビア版。国内はむろん、北米からも観光客が押しかけ、せっせと金を落としてゆく。


このカルタヘナという港町は、その昔アフリカから連れて来た奴隷の集積地でもあった。そのせいか他の国内の街に比べ、圧倒的に黒人比率が高い。コロンビア人の特性として、話し掛けるまでは無愛想だが、いったん話し始めると途端にニコニコして愛想が良くなる。このネーチャンも、その一人。


カルタヘナ大学の大学生たち。ふらりと入った建物の階上で、誰かの誕生パーティをやっていた。手前の男女がエリックとマリア、あとの人間の名前は忘れた。ちなみに奥に映っている警備員は、ぼくがこの建物に入るのを最初は必死になって止めようとした。




で、これがその大学生の彼らに連れていかれたカルタヘナ大学の構内。敷地の非常に小さなキャンパス。が、陽射しのせいもあるのか、非常にいい雰囲気の場所だった。



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