実践『マネーロンダリング』講座

橘玲 TACHIBANA Akira




第16回 借金の金利には「自由のコスト」が含まれている。



 携帯電話に友人から電話がかかってくると、ディスプレイにその名前が表示される。誰もが使っている当たり前の機能で、難しいことは何もない。
 あらかじめ、自分の携帯電話に友人の名前と電話番号を登録しておく。電話がかかると、携帯に内蔵されたプログラムが発信元番号から名前を検索し、それをディスプレイに表示する。
 コンピュータでデータベースを構築する際に求められるのは、必要な情報を膨大なデータの中から効率よく検索するための機能である。その基本設計に失敗すると、大金を投じたソフトウェアも何の役にも立たない。
 どんな複雑・大規模なプログラムも、携帯電話の小さな検索プログラムと本質的な違いはない。コンピュータというのは、入力(インプット)されたデータをあらかじめ決められたルールに則って演算し、出力(アウトプット)する機械のことだ。少なくとも現在のところは、人間の脳のように推理したり、想像したりはできない。
 たとえば、携帯電話に「ヤマダダロウ」という友人の電話番号を登録したとする。「ヤマタタロウ」と入力して検索しても、その番号は表示されない。インプットしたデータが違うからだ。
 人間の脳なら、「ヤマタ」を「ヤマダ」の入力ミスと即座に判断できる。コンピュータでも似たようなことは可能だが、これは検索機能の設定をあいまいにしているだけで、CPUが両者の関連性を推測しているわけではない。検索条件を緩くすれば多少の入力ミスはカバーできるが、データ数が膨大だと出力結果が増えすぎて、かえって逆効果になることも多い。1,000万件を越える膨大なデータを扱うのなら、なおさらだ。

 さて、ここからが本題だ。
 銀行、クレジットカード会社、消費者金融業者などは、貸し倒れを防ぐ与信管理の手段として業界ごとに信用情報データベースを整備している。クレジット会社の多くは銀行の子会社か関連会社で、そのうえ最近では、銀行が消費者金融に続々と参入している。
 2000年12月からクレジット会社と消費者金融業者のデータベースを接続するテラネットが稼動しており、これまで門外不出だった消費者金融の融資情報(ホワイト情報)も他業種に開放された。個人の信用情報は、事実上、ほとんどの金融機関に共有されている。
 金融機関は、個人から融資(カード発行)の申込があると、信用情報データベースに個人情報を照会する。とはいえ、個人情報保護の原則のもと、不必要な個人情報の閲覧は金融機関に許されていない。あいまいな条件で情報を検索することはできないのだ。
 では信用情報データベースは、どのような入力データをもとに検索対象を特定しているのだろうか?
 これは、個人情報の開示請求をする際に要求されるデータを見ればわかる。必要なのは、名前、生年月日、住所の3つだ。
 その中でも重要なのは、名前と生年月日である。住所は転居すれば変わってしまうし、使っていないカードの場合、新住所を届け出ないことも多い。消費者金融業者にしても、返済が滞らないかぎりは、わざわざ転居先住所や電話番号を調べるようなことはしない。
 前回説明したように、信用情報データベースに貸し倒れなどの傷(ブラック情報)があると、クレジットカードもつくれなければ、住宅ローンも借りられない。闇金融以外は、消費者金融業者でさえ相手にしてくれない。
 このブラック情報は7年(自己破産などは10年)たたないと、データベースから消してもらえない。あなたは、金融の世界から抹殺されてしまうのだ。
 しかし、信用情報データベースの検索条件さえ知っていれば、合法的にこのブラック情報を無効にすることができる。
 もうおわかりだろう。生年月日を変えることはできないが、人生において、名前が変わることはいくらでもあるからだ。

 カードローンでブランドものを買い漁り、自己破産した女性がいたとしよう。もちろん、彼女にはもはや、どの金融機関も金を貸してはくれない。
 ところが、この女性が結婚して名字が変わると、その瞬間から彼女の信用情報はリセットされ、ふたたびカードもつくれるし、金も借りられるようになる。なぜこんな不思議なことが起きるかというと、結婚による改姓を信用情報データベースに反映する仕組みが存在しないからだ。名字すなわち入力データが変わってしまえば、データベースはもはや彼女を本人と認識することができない。
 当然のことだが、結婚して改姓したからといって、その事実を信用情報会社に通知する義務はない。こうして、毎年かなりの数の人間が信用情報データベースから消えていく。
 それを防ごうとすれば、個人ごとに番号を振って、結婚などで改姓しても確実に個人を捕捉できる制度をつくるしかない。アメリカではSSN(Social Security Number社会保障番号)が国民総背番号として使われており、改姓や改名による信用情報の混乱は生じない。だが現在のところ、日本にはこうした便利な仕組みはない。

 信用情報データベースの欠陥が広く知られるようになると、金融機関を騙して安直に金をせしめようと考える輩が出てくる。
 2002年11月、仲間内で養子縁組を繰り返して名前を変え、運転免許証の再交付を受けていたとして、30代から40代の男3人が埼玉県警に逮捕された。彼らは消費者金融から多額の借金のある多重債務者で、確認されただけでも、互いの親や知人の親と4〜5回の養子縁組を繰り返していたという。
 彼らの手口は単純だ。
 養子縁組によって改姓した住民票を入手し、そのうえで警察に「運転免許証を紛失したから再交付してほしい」と連絡する。申請の際に新しい住民票を持っていけば、違う名前の運転免許証が手に入る。これを身分証明として提示すれば、どこも喜んで金を借してくれる。
 信用情報に問題がなければ、クレジット会社や消費者金融は勤務先に電話をかけて在籍を確認する程度で、それ以上の調査はしない。もし彼らがどこかの会社で働いているか、あるいは働いていることを装えるなら、年収分くらいの与信枠は簡単に確保できるはずだ。年収や勤続年数をいちいち調べるわけではないから、適当に申告しておいても問題はない。年齢40歳前後なら、年収1,000万円程度まではフリーパスだろう。
 もちろん、だからといって1,000万円の金がいちどに引き出せるわけではない。融資やカードの申請が集中すると、その事実が信用情報データベースに登録され、間違いなく怪しまれる。与信枠は、すこしずつ増やしていかなくてはならない。
 報道を見る限りでは、彼らの詐欺はもっと稚拙なものだったようだ。新しい免許証でサラ金から借りられるだけ金を引き出して、支払が延滞すれば、また新しい名前と身分証明を手に入れる。こんなことを繰り返していれば、いずれバレるに決まっている。それでも被害総額は1,000万円を超えているというから、消費者金融はいいカモだ。
 世の中には、彼らより賢い人間はいくらでもいる。多少の知恵があれば、もっと上手く立ち回って金融機関を食い物にしていくのはそれほど難しいことではない。なぜなら、彼らが悪用するのは信用情報データベースの構造的な欠陥であり、日本の金融機関はこうした詐欺を防ぐ有効な手段を持っていないからだ。

 日本では、金融機関は与信にあたって信用情報データベースを100%信頼することができない。その中に詐欺師が混じっていても、黙ってカモられるしかない。これは、国民総背番号制の国アメリカよりも貸出しの際のリスクが高いということだ。
 もちろん日本にも、住民基本番号や基礎年金番号のような全国民(あるいは全成人)に割り振られた番号はある。しかし住基ネットの導入にあたって議論が沸騰したように、国民の間に、行政が個人のプライバシーに介入することへの嫌悪感は強い。それが民間業者の与信管理に転用できるようになるまでには、まだ相当な時間がかかるだろう。
 国民総背番号制の導入は国民のプライバシー権の侵害であり、自由の制限である。これは、紛れもない正論だ。その意味で、日本はアメリカよりも「自由な社会」と言える。
 しかしその一方で、自由を維持するためにはコストがかかるということはあまり知られていない。日本の個人向け金融は、理論的には、「自由のコスト」の分だけ金利が高くなるはずである。
 だがこれは、それほど悪い話ではない。
 なぜならこの「自由のコスト」は、金融機関から無担保で高利の金を借り、真面目に返済している一部の人たちが、せっせと支払ってくれているからだ。
 仮に彼らが払った金が詐欺師の懐に納まっているとしても、「自由」という大義の前では、それは瑣末なことなのである。