南米取材旅行記 コロンビアーノ・ブラジリアン

垣根涼介


古都で美味いモノ探し・サルバドール


 モノの本によると、このバイーヤ州の州都サルバドールには、十六世紀の半ばから十八世紀の半ばまで宗主国のポルトガルにより総督府が置かれていたという。
 つまり、ブラジル最初の首都だった土地だ。
 そのせいか、古い教会やコロニアル様式の建物がやたらと目立つ。高台の上に聳え立つようにして密集した古都で、その眼下にはトドス・オス・サントス湾を一望できる風光明媚な場所柄でもある。ブラジルでも有数の観光地といわれている所以だ。
 が、はっきり言おう。このサルバドール、観光ずれしたくそったれの街だ。もともとぼくは、こういう過去の遺産だけを売り物にした街が嫌いだ。観光客目当てにデコレーションされた街並みや、みやげ物や写真を売りつけようとしつこく声をかけてくる人間を見ると、本当にウンザリする。
 そういえば、ここの海側に拓けた下町ではこんなこともあった。バールの軒先でのんびりとビールを飲んでいると、その店先の広場で十人ほどの男たちがカポエラ(ブラジルの武道の一種)の演舞をやり始めた。せいぜい二十分ほどたった頃だっただろうか、その中の一人が帽子を片手に、ぼくのいるバールのほうへやって来た。つまり、見物料を貰おうとのことらしい。だが、バールにいた連中は、誰一人として彼に金を払おうとはしなかった。無理もないと思う。自ら望んでそれを見ていたのならともかく、あんなふやけた演舞を見せられたところで、誰も金など払う気にはなれないだろう。
 この男、最後にぼくのテーブルにやってきて、(頼むから金を払ってくれよ。あんただって見ていたろう)みたいなことを何度も言ってきた。最初は知らん振りをしていたが、口臭がにおってくるほどのそのしつこさに、ついブチ切れた。
「ふざけんなこの野郎」と日本語で喚き、テーブルを叩いた。「誰がおまえらなんかのふやけた演舞なんか見たいって言ったよ。びた一文はらわねぇ。あっち行け」
 人間というのは妙なもので、たとえ喋っている言葉がわからなくても、こんな場合、その感情だけは相手にストレートに伝わるらしい。当然、その大男も怒った。大きく背筋を伸ばし両手を広げ、威嚇するようにぼくを睨んだ。反射的にぼくも立ち上がり、気づいたときにはビール瓶を逆手に掴んでいた。素手ではとうていかなわないだろうから、それで身体のどこかでも打ち据えてやろうという魂胆だ。たまにぼくはこういうふうに、心底怒ると前後の見境を忘れてしまう。が、三十六にもなって、悪い癖だ。実に大人気ない。
 直後、バールの店主がまあまあとその間に入ってくれたから事なきをえたが、まあ、こんなこともあったので、結果的にこのサルバドールでの印象は最悪となったようだ。
 さて、このサルバドールという街は、その昔アフリカから連れてきた奴隷を大量に売りさばくための集積地でもあったところだ。その奴隷たちが当時よく食っていた料理に、“ムケカ”というものがある。いわゆる土鍋料理で、野菜とシーフード、豚の尻尾などをココナッツミルクやヤシ油、香辛料などでごった煮にしたものだ。
 普段は特にグルメというわけでもないぼくだが、ぜひともこの料理だけは食べたいと思っていた。何故か? 聞く人によって、おそろしくその評価が分かれたからだ。ある人はおそろしく不味いといい、しかも胃にもたれ、とうてい人間の食べるものじゃないとまでいう。別のある人間は、世の中であれほどコクのある、うまい料理もないという。こんなに両極端な評価を持つ料理なら、一度はその本場で口にしてみたいものだと以前から思っていた。
 うまいムケカを探して、サルバドール市内のレストランを熱心に歩いた。最初はどの店の店員も、うちのムケカはおいしいよ、と言う。本当にそうか、とぼくは念押しする。真面目な顔でもう一度、「ほんとうに、そうか?」と。すると、途端に彼らは自信を無くす。いや、実を言うとそうでもないかもしれない。やっぱり観光客用に食材も味付けもアレンジしてあるから、と。
 ある店員が言った。本当に本場のムケカを食いたいのなら、この市内にはないよ。バーハ海岸あたりまで行って探してみれば、ひょっとしたらあるかもしれない、と。
 バスに乗り、言われたとおり南へ五キロほど下ったバーハ海岸まで行った。その途中から雨が降り出してきており、バーハ海岸の岬に着いたときには、スコールに変わっていた。
 近くにあったバハッカ(簡易式の出店のようなもの)でタバコを買い、その軒先でしばらく雨宿りをしていると、そのバハッカの店員がぼくに話し掛けてきた。体格のいい、長身の混血だった。おそらくは東洋人であるぼくが珍しかったのだろうが、なんだかんだと片言で世間話をつづけているうちに、ぼくがうまいムケカを探してここまでやって来たという話になった。ふむふむ、と男は興味深そうにぼくの言うことを聞いていたが、やがて時計を見ると、そろそろおれも昼飯の時間だな、みたいなことをつぶやいた。
 それからにっと笑って、もしよかったら、おれがうまいムケカの店を探してやろうか、と言ってきた。
 は、はーん、と思い、ついぼくは笑い出した。「つまり、その案内料として、おまえの食うぶんはおれの奢りなのか」と。「もちろん」と男はうなずいた。
 この種の厚かましさが、ぼくはけっこう好きだ。
 男は瞬く間にバハッカを閉めると、さあ行こう、とぼくを誘った。男はジーニョという名前だった。歳を聞いたらぼくよりふたつ下で、別れた女との間に子供が二人いるとか言っていた。
 が、このバーハ海岸にもなかなか満足のいくムケカの専門レストランは見つからず、結局はそこからさらに十キロほど半島を廻りこんだピトゥーバという田舎町まで、バスに揺られて行くことになった。
 さて、そのピトゥーバの専門レストランで味わったムケカの味だ。
 これがもう、ムチャクチャうまかった。もともとぼくは濃い味が好きなのだが、その独特の味のしつこさ、どろどろとしたコクのなかに、食材本来の旨みすべてが引き出されている。それでいて料金も格安で、ビールを飲んで二品ほど巨大な土鍋料理を食べて、二人で三十レアル(約千五百円)ほど。
 大いに満足して、食後にそのレストランのトイレに入ったときだ。ふと良からぬことを思いつき、財布の中から五十レアル札を抜き取り、何食わぬ顔でジーニョの待つテーブルへと戻った。何も知らぬジーニョは、しきりに爪楊枝で歯の間を掃除している。
 そんなジーニョの前で、ぼくは財布を開いた。それからジーニョの顔を見て、やばい、金を無くした、と慌ててみせた。五ヘアル札二枚とセンターボの硬貨が数枚――驚いたジーニョも自分の財布を取り出し、その中身をテーブルの上にぶちまけた。こいつはもっと悲惨で、一ヘアル札が三枚だけ。しばらくこのブラジル人は黙っていたが、やがて顔を上げて身振り手振りを交えてこう囁いてきた。
「あんた、先に逃げろ。おれもあとを追う。バス停で会おう」
 思わず笑い出した。嘘だと言い、尻ポケットから五十レアル札を取り出してみせた。一瞬この相方も呆気にとられていたが、直後にはゲラゲラと笑った。
 バーハ海岸まで戻ったとき、食事のお礼にと、近くの観光名所を小一時間ほどかけて案内してくれた。最後にバハッカの前で別れたとき、
「アミーゴ、楽しかったよ。チャウ(じゃあな)」
 そう言って、汚い字で紙切れに自分の名前と住所、電話番号を走り書きし、ぼくに寄越した。「またこのバイーヤに来たときは、連絡をくれよ」と。
 たぶんもう、来ることはない。来ることはないが、気持ちだけ受け取っておいた。
 旅の一コマだ。


1966年長崎県生まれ。筑波大学卒業後、リクルート、商社、旅行代理店勤務を経て、2000年『午前三時のルースター』で第17回サントリーミステリー大賞・読者賞をダブル受賞してデビュー。受賞後第一作の『ヒートアイランド』(文藝春秋刊)が各紙誌で絶賛を浴びる。現在、鋭意新作に取り組んでいる。
http://www3.ocn.ne.jp/~kakine/


ヒートアイランド
『ヒートアイランド』
文藝春秋
本体2048円+税




市内から下町とトドス・オス・サントス湾を臨む。ここから旧市街に向けて吹き上がってくる海風は、ひんやりとしてなかなか心地よい。


旧市街の中心にある、リオ・ブランコ宮殿。こういうコロニアル様式の建物が、これでもかというぐらい、サルバドール市内にはある。


世界遺産にも指定されているぺロウリーニョ広場。はっきり言えば、かつての奴隷取引で栄えた界隈。


ある美術館で知り合ったムラータ(混血)の中年女性。キリッとした顔つきで、そのファッションセンスもなかなか。格好いいマダムだった。


海辺の下町から見た、サルバドールの中心街。この下町では、文中にも書いたけど、えらい目に遭った。景色自体はものすごくいいんだけど……。


さて、これが本文中のバハッカの男・ジーニョ。写真でも分かるとおり、けっこうな大男。生意気に親指なんぞを突き立てて、写真に写っている。



取材旅程