南米取材旅行記 コロンビアーノ・ブラジリアン

垣根涼介


水の中に浮かぶ街、サン・ルイス(その二)


 サンルイスでの滞在二日目のことだ。夕方近くになって、この街から南に四十キロほど行ったサンホセという街に行くことになった。
 連れが二人いた。一人は、昨日この土地に来るときに飛行機の中で一緒だったぼくと同じ歳の女性・エルレイン。もう一人は、このホテルで仲良くなった女性客のシモーネだ。
 エルレインが昨日の約束通りぼくのいたホテルに遊びに来て、このサンルイスよりもっといい場所があるので、そこに行こうと言ってきたのだ。それがエルレインの生まれた町、サンホセだった。脇にいたシモーネもその話を聞き、あたしも連れて行ってくれとせがんできた。それで三人で連れ立ってその街に行くことになった。
 三人でホテルから一キロほど離れたバス停まで歩いてゆき、バス停でいつ来るとも知れぬサンホセ行きのバスを待った。おそらく一時間ほどはたっぷりと待っていただろう。片言のブラジル語と英語を取り混ぜ、いろんな話をしたように思う。エルレインもシモーネも独身だった。エルレインは三人の子持ちだ。それぞれ父親が違う。財布の中に大事そうに仕舞っていた子供たちの写真を見せてもらったが、三人の子供たちの目鼻立ちや肌の色は見事なまでに違っていた。
「セパレート、セパレート、セパレート、トレス(三つ)」
 と、ぼくを見てエルレインは明るく笑った。三回結婚して三回離婚をしたということだ。そしてその三人の子供を養うため、サンホセに住む老いた両親の元に子供を預け、ここから七百キロ離れたフォルタレーザの街に出稼ぎに行っている。
 シモーネはまだ一度も結婚をしたことがない。今のところその気もあまりないのだという。ベレンにあるホテルでフロント係をしている。この国の田舎では一種憧れの仕事で、給料もそこそこ良いらしい。
 とっぷりと日が暮れてから、古ぼけたバスがやって来た。エルレインは、バス賃は私が払うのだ、と言い張ってきかなかった。私が誘ったのだから、と。
 エルレインは昨日と同じくたびれかけたサンダルを今日も履いていた。
 バスに乗り、サンホセへと向かった。
 ブラジルの街と街――特にこういうノルデステ地方の田舎では、その区間を繋ぐ道沿いに街らしい街はほとんど存在しない。ジャングルの広がる大陸の中に、陸の孤島としての街が散らばっているだけだ。その森の海の中を走る凸凹の一本道を、オンボロバスは轟音をたてて突っ走ってゆく。周りは真っ暗で、唯一の灯りは夜空に出ている月だけだ。かぼそい車内灯が一層その周囲の暗さを引き立ててくれる。
 外の景色だけを取ると、まるで地獄の一丁目へと向かっているようなおどろおどろしい雰囲気だが、こんな場合でも車内のブラジル人たちは陽気だ。バスの一番後部座席でぼくの脇に座っているエルレインとシモーネもそうだ。至って上機嫌で、立ったまま吊革につかまっている乗合客の手荷物を「重いでしょ」とばかりにどんどん預かってゆく。たちまち彼女たちの両膝の上は手提げやらバッグやらビニール袋でいっぱいになり、両手でその山盛り一杯の荷物を抱え込む羽目となった。
「大変だ。落っことしたらどうしよ?」などとゲラゲラ笑い声を立てている。周囲の乗客たちもニコニコしている。
 暗闇の中をバスは延々と走りつづけ、やがてあるバス停に停車した。
 開け放った窓の外から音楽が聞こえてきていた。見ると、暗闇の原野の中に一箇所だけ灯りがポツリとついている。
「フェスタ、フェスタ」とエルレインは興奮して喚いた。パーティのことだ。シモーネも同様に「ボン、ボン(いいよね、いいよね)」と騒いだ。エルレインがぼくを見て、「プラーノ(予定)、チェンジ。ヴァレ(大丈夫)?」と問い掛けてきた。ぼくはうなずいた。
 バスを降り、その灯りの方角へ行った。
 暗い原野の中に、吹きさらしのコンクリート剥き出しの建物がポツンとある。その下に数十人の地元民が群がっている。中央のステージにいる歌い手の曲に合わせ、ある者は踊り、ある者は丸テーブルでビールを傾けながら片膝でリズムを取っている。
 ぼくら三人もその輪の中に入った。三人でアンタークチカ(というキンキンに冷えたとてもうまいビール)を飲み、時おり立ち上がってステップを踏み、そして絶えずゲラゲラと笑った。
 約二時間が経った。エルレインがたまに時計を覗き込むようになった。時間を気にしているようだ。だが、どうしてかは分からない。
「そろそろ行こうよ」とぼくとシモーネに言ってきた。だが、シモーネはもう少しここにいたい、と言った。「先に行っていて。あとで追いかけるから」
 エルレインとシモーネの間でサンホセでの待ち合わせの場所が決まった後、ぼくとエルレインはふたたびやって来たバスに乗り込んだ。
 そこからサンホセの町までは十分たらずだった。
 町外れの岬にある終点で、バスを降りた。
 そのバスを降りたときに見た周囲の光景を、ぼくはおそらく一生忘れない。
 思いのほか小さな田舎町だった。バスの終点になった小さなプラザ(広場)から、岬の突端にある白い灯台まで、ゆるやかな下りの一本道が伸びていた。
 その道に沿って、ライトアップされたブロンズの彫刻像が無数に並んでいた。ギリシャ神話をモチーフとした彫刻群のようだ。人気(ひとけ)の途絶えた舗道の中、くっきりと浮かび上がって見えた。
「ここがあたしの生まれた町」エルレインは満足そうに言った。「もうすぐこの灯りは消える。だからその前にどうしても見せたかった」
 うまく言えないが、その瞬間、ぼくは危うく泣き出しそうになった。
 ゆっくりと灯台まで歩いていった。ライトアップの照明で自分たちの影が足元から四散して踊っていたのを、今でもはっきりと覚えている。
 灯台まで行き着き、岬の突端から背後を振り返ると、エルレインの生まれ育った町の全景が望めた。人家の灯りがところどころに散らばっている小さな町だ。少し潮風が吹いていた。彼女は髪を押さえながらぼくを振り返り、笑いかけてきた。
 あなたは今、自分の住んでいる町を愛しているか、と。
 ぼくはその予想外の質問にうろたえた。挙句、答えた。
 いや、と首を振った。気に入ってはいるけど、とても愛すまではいかないよ、と。
 当然だろう。同じ質問をされて、一体どれほどの日本人がそうだと答えられるだろう。
 すると彼女はまた笑った。鼻の穴を思いきり膨らませ、両手を広げ、こう言ってのけた。
 あたしはこの世界を愛しているよ。ぜんぶ、全部好きだよ。
 だからあなたもそうすればいい、と。

 ぼくはたぶん、この言葉も一生忘れない。

(了)


1966年長崎県生まれ。筑波大学卒業後、リクルート、商社、旅行代理店勤務を経て、2000年『午前三時のルースター』で第17回サントリーミステリー大賞・読者賞をダブル受賞してデビュー。受賞後第一作の『ヒートアイランド』(文藝春秋刊)が各紙誌で絶賛を浴びる。現在、鋭意新作に取り組んでいる。
http://www3.ocn.ne.jp/~kakine/


ヒートアイランド
『ヒートアイランド』
文藝春秋
本体2048円+税




下町の風景。ブラジルのこの地方はとても貧乏だ。仕事もロクにない。だから市内中心部にもこういう家がわんさとある。


屋根が落ち、朽ちかけた建物。窓の向こうに空が透けて見えている。このテの建物もいっぱいある。


市場近くの三叉路。ぼくはどういうわけかこういう市場の猥雑な感じが好きで、その土地土地の市場を必ずと言っていいほど訪ね歩く。妙に懐かしい気がする。


サンルイスの一番の繁華街。ブラジル人はとにかく表に出ることが大好きだ。用もないのに通りをぶらぶらと歩き、知り合いに出会ったら世間話に花を咲かせる。



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