南米取材旅行記 コロンビアーノ・ブラジリアン

垣根涼介


水事情あれこれ・サンルイス〜サンターレン


 サンルイスにいたころから、ときおり妙に視界がぼやけることがあった。
 ある日、なんだろうと思ってよく鏡に見入ってみると、片方の瞳の表面に白濁した膜がかかっていてぎょっとした。大量の目ヤニがですぎて、それが老廃物の膜となって瞳の表面を覆っていたのだ。
 ついにブラジルの風土病にかかったか、と一人で右往左往した記憶がある。
 さて、赤道直下に位置するアマゾン河口の街・ベレンに移動してからのことだ。
 ようやくその大量の目やにの原因が分かった。
 その日、ホテルに戻り、体洗いタオルを片手にシャワーをゆっくりと浴びていた。途中、何気なくその白いタオルを見て驚いた。タオルの白地がいつのまにかコーヒー色に変色していた。つまりはアマゾン河の色だ。その成分が完全に濾過されないまま水道水から出てきていたのだ。
 ブラジルもこのアマゾンあたりまで来ると、人間の性格もファッションも、恋愛もセックスの仕方も、気候もひたすら濃い。が、まさか河の成分までここまで濃いとは思わなかった。その河の水で毎日顔を洗っていたのだから、眼球の表面が拒否反応を示して大量の目やにを出したのだ。当然といえば当然だ。
 試しにミネラルウォーターを買ってきてそれで毎日顔を洗い始めると、数日後に目やにの噴出はぴたりと止まった。
 サンターレンという町がアマゾン中流域にあるが、ここのホテルでも同じ経験をした。試みに白いタオルを水道水の下に数分ほど浸していると、瞬く間に鮮やかなブルーに変わった。タパジョス河というアマゾンの支流がこの町のほとりを流れており、その河の色が真っ青なブルーだからだ。葉から滲み出た大量のクロロホルムの成分だ。
 ちなみに話はやや先走るが、アマゾナス州最大の都会、マナウスでも同じだった。この町のほとりをネグロ河が流れている。文字通り真っ黒な河だ。原生林の葉の上を流れ落ち、浸水林に染み込んだ雨粒が、大量のタンニンを濃厚に含んだこげ茶色の河の流れとなるからだ。ここで水道水に浸したタオルは、うっすらとした鉄色に変色した。
 はは。一筋縄でいかないのが、このアマゾンの風土だ。
 一口にアマゾンといっても、その流域面積は日本のざっと十九倍に相当するから、とてつもなく広い。時差も、東の大西洋沿岸と西のコロンビア国境との間には三時間の開きがある。そしてそのそれぞれの場所によって(同じ熱帯雨林性気候という括りはあるが)、やはり暮らし振りや土地の人間の考え方も様々だ。

 このサンターレンでの空港でのことだ。
 ぼくが飛行機でこの土地に降り立つと、入れ違いにベレン行きの飛行機が飛び立っていった。館内を抜け、広場に出ると、空港のベンチで五人ほどの混血の家族が座っていた。
 男も女も一様にハンカチで目頭を押さえつつ、辺り憚らずにしくしくと泣いている。
 カタコトのブラジル語で聞いてみたところ、娘がベレンで仕事をするために旅立っていったという。
「もう、二度と会えないかも」
 ママイ(母親)と思しき太った女性が、鼻水を垂らしながらしきりと訴えてきた。
 アマゾンの田舎に住む現地民にとっては、この片道の飛行機代だけでも一財産だ。そして都会に出て行った若者たちのほとんどは、もう二度と草深いジャングルの郷里に戻ろうとはしない。
 なんだか妙に切なくて、少し胸をしめつけられた。

(了)


1966年長崎県生まれ。筑波大学卒。2000年『午前三のルースター』で、第十七回サントリーミステリー大賞・読者賞をダブル受賞。第二作『ヒート アイランド』(共に文藝春秋)で、そのクールな文体とグルーブ感溢れる世界観が各誌の絶賛を浴びる。そして、ついに8月、本連載に綴られている取材の成果として『ワイルド・ソウル』(幻冬舎)を上梓。史上最強のクライム・エンタテイメント1314枚。絶賛発売中!
http://www3.ocn.ne.jp/~kakine/


ワイルド・ソウル



サンターレン市街地から撮ったタパジョス河。この河は真っ青な色をしているが、遠くに見るのはアマゾン河の白濁色。二つの河が交じり合わずに流れている。


河船から引き上げられた豚。食料用。大人たちが集まってきてワイワイ騒いでいる。








サンターレンから乗合バスで小一時間ほどかけて郊外へと出向く。マラカナ・リゾートという場所。写真はすべてタパジョス河。アマゾンの河にしては例外的に透明度が高い。そしてとても穏やかだ。


サンターレンで泊まっていたホテルのプール。この土地もムチャクチャ蒸し暑く、取材から帰ってくるといつも汗みどろだったので、帰ってきて水着に着替えるや否や、このプールに飛び込んでいた。



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