南米取材旅行記 コロンビアーノ・ブラジリアン

垣根涼介


愛はあるか・ベレン〜マナウス


 突然こっぱずかしい題名で、恐縮です。
 が、もうすぐこの連載も終了なので、柄にもなくこの話題周辺のエピソードに、少し触れてみたいと思う。
 マナウスで、へんてこりんな日本人に出会った。五十過ぎのオッサンで、自ら「団塊の世代」と名乗っていたから、オッサンには違いない。
 どれくらい変なのかというと、日本にいるうちに蝶好きが昂じてブラジルに移住し、その収集のため、ジャングルの中に無許可で電灯付きの鉄塔をおっ立てて州政府とトラブルを起こし、それでも懲りず、マナウス郊外の辺鄙な場所に自然科学博物館まで造ってしまったという変人だ。そして何故かぼくには、この手の奇人好みの癖がある。だからこのオッサンと二人でだらだらと話をしていた。
 で、この人に問われるままに、もう二ヶ月ほど南米を旅行している、と答えると、
「どう? このブラジル――特にこのアマゾンに来てからの印象は?」
 と、さらに質問された。
 これは感覚でしかないのだが、そのときのぼくには、このオッサンの求めている答えが(その彼の浮かべている表情や佇まいからして)、景色がすごくいいとか、女が美人だとか、飯がこってりしているとか、そういう表面的な感想とは違っているように感じられた。
 何と答えればいいのかとすこし考えた。
 考えているうちに、リアルに思い出したことがあった。
 コロンビアやサン・ルイスでぼくのために町の案内役を買って出てくれた女の子のことや、ヴィトリアでぼくを何日も自宅に泊めてくれた日系人のことや、仕事もそっちのけでぼくの用に終日付き合ってくれた現地人たちのことだ。そして彼らは、ぼくにそこまでしてくれておきながら、ちっとも恩着せがましくなった。
 ある日系人からは、あからさまにこう言われたことがあった。
「垣根さんね、なにもおれたちに恐縮したり、恩義を感じる必要はないんだよ。あんたがもし今が楽しかったら、その楽しかった思いを、いつか誰かに分けてあげればいい。そういうふうにして、世界は繋がってゆくもんだよ」
 不意に、そんな言葉まで思い出した。
 だから少し照れながらもこう答えた。
「うまく言えないが、なんかこう、愛のようなものを感じる」と。
 その後、慌てて付け加えた。
「ただ、それは男女間だけの愛とか、親子間だけの愛とか、そんな小さなものとは違うような気がする」
 するとこのオヤジは少し笑った。
「いいねえ。それ」
 そしてこう、のたまった。
「日本語で“愛”ってのは、たぶん違うんだよね。正確な“愛”っていう意味を、ほとんどの日本人は知らないと思うよ。たぶん、あんたが今言ってるのは、ブラジル語で言う“アモール”のことだよ。もっと広い、からりと乾いていて……うーん。とにかく無償のもんだよ」
 へえ、とぼくは思った。
 そしてその“アモール”ってもんは、いったい何なのかとさらに聞いた。
「おれにもよく分からん」オッサンは答えた。「というか、うまく日本語に出来ないんだ。たぶんこのアモールって概念が、日本語にないからだと思う」
 しかしぼくにしてみれば、知りたいと思っているのに、こんな答えでは満足出来ない。当然そのときのぼくは、不満げな表情をぶら下げていたに違いない。おそらくそれを察したオッサンは、悩んだ挙句、こうも言った。
「気が良さそうな女なら売春婦でもいい。とにかく一週間ぐらい、ぶっ続けにその女を抱いてみな。何か感じるかも知れない」
 途端に何故か、むかっ腹が立った。
「金で買えるようなアモールなら、おれは、いらんですよ」
 と、つい九州弁丸出しで答えていた。
 ぼく自身、この歳になって別にいい子ぶるつもりもないし、もっと若いときにはそういうところで遊んだこともある。どころか、結構楽しんだ。
 だが、そんな大事なものを知るのに、金が発端になるのはどうしても違う気がした。と言うか、アモールが何かも分からないままに、そんなもんはアモールじゃねえだろ、と憮然としていた。
 いきなりムッとしたぼくを見て、オッサンは少し意味不明の笑みを浮かべていた。

 そのオッサンと別れた帰り道、思い出した話がある。
 その昔、日本国政府と外務省に詐欺同然の扱いを受けて、アマゾンに入植させられた戦後の南米移民の話だ。その多くの人々は、開墾地とは名ばかりの荒地を与えられ、耕しても耕しても米は育たず、挙句、マラリヤや赤痢で赤貧のうちに家族を無くした。耕作地を捨て、アマゾンの大地を流民となって彷徨った人も、かなりの数にのぼる。
 そんな彼らは、いつしか“アマゾン牢人”と呼ばれるようになった。
 そしてベレンやマナウスなどの都会に流れ着いた彼ら“アマゾン牢人”に、救いの手を差し伸べた人間たちがいる。
 町の売春婦たちだ。あえて言っておくが、これは本当の話だ。
 今はベレン郊外の農園主で、実際に当時、彼女たち売春婦に食べさせてもらっていたという日本人から直接話を聞いたから、間違いない。
 彼ら日本人のあまりに悲惨な境遇に同情した彼女たちは、自分の部屋に住まわせ、小遣いも与えた。
 当時、そのベレンの売春地帯の安酒場(バール)に行くと、売春婦のヒモになった“アマゾン牢人”たちが、多数屯していたという。黙り込んだまま酒を飲み、彼女たちの“商売”が終るのをじっと待っていたという。
 ところで、ぼくが話を聞いたこの農園主は、やがて、そのお世話になった彼女とは別れた。町を出てもう一度荒地の開墾に挑み、長年の労苦を重ねて、なんとか農園主になった。
 ぼくは訊いた。
「その別れた彼女とは、それっきりですか?」
「それっきりだ」農園主は答えた。「今はもう、どうしているかも知らない」
 ぼくはさらに聞いた。
「なんで町を出るとき、一緒に連れて行ってやらなかったんです?」
 すると彼は苦い笑みを浮かべた。
「自分ひとりの面倒も見きれない男が、そんなことは出来んでしょう。飢え死にするかも知れないんだから。それにこんなこと言えた義理じゃないが、彼女たちの生活はおしなべて派手だった。金遣いも荒い。そんな生活にすっかり馴染んでいた。おそらく彼女には耐えられなかったよ」
「……でも、それってなんか、違いません?」
 すると彼はしばらく黙っていた。長いこと黙っていた。そしてやがて言った。
「今のカミさんには悪いが、この四十年、おれは彼女のことを一日たりとも忘れたことはないよ」
 ぼくは内心で思った。
 それがどうした? 男の勝手な言い草だ。言い訳だ。
 だが、これも“愛”だ。

(了)


1966年長崎県生まれ。筑波大学卒。2000年『午前三のルースター』で、第十七回サントリーミステリー大賞・読者賞をダブル受賞。第二作『ヒート アイランド』(共に文藝春秋)で、そのクールな文体とグルーブ感溢れる世界観が各誌の絶賛を浴びる。そして、ついに8月、本連載に綴られている取材の成果として『ワイルド・ソウル』(幻冬舎)を上梓。史上最強のクライム・エンタテイメント1314枚。絶賛発売中!
http://www3.ocn.ne.jp/~kakine/


ワイルド・ソウル



市街地にあるファベーラ。川の湿地帯の中に建っている。


日本ではめっきり見かけなくなった旧型のワーゲン。錆が浮き、あちこちにガタがきているのが遠目にも分かる。ブラジルの自家用車はおしなべてこんなもの。




それぞれ違う場所から撮ったマナウスの遠望。人口百万以上だから、これくらいの町の規模はある。下段の写真で奥に見えるのがネグロ河。


そのネグロ河の沖合いにて。小船が商船に食料を積み込んでいる図。


これがいわゆるフルータンチ(水上家屋)。その名前の如く、水の上に浮かんでいる。雨季の河水増量に備えた、土民の知恵。




イガホー(浸水林)の中を舟で進む。気分はもう、”川口ひろし”(ちょっと古いかな?)下段の写真は、水の中でも自生している巨木。


そのイガホーのなかのフルータンチに、家族と住んでいた少女。おお、女の子なのにおっぱいが剥き出しだぜ(笑)。しかしこの子、大きくなったら、たぶんそこそこの美人になるだろうな。


アマゾンの夕暮れ。夜になると本当に真っ暗で、しかも静寂の世界。梢のざわめく音とホエザルの鳴き声、水面で魚が跳ねる音ぐらいしか聞こえなかった。



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