南米取材旅行記 コロンビアーノ・ブラジリアン

垣根涼介


失われる感覚 リオ・デ・ジャネイロ


 リオ・デ・ジャネイロ──「リオ」はポルトガル語で“川”、「ジャネイロ」は同じく“一月”。くっ付けると、“一月の川”という変な名前の都市になる。
 さて、いつもどおりこの街の解説から入ろう。
 リオ・デ・ジャネイロは、1960年のブラジリア遷都まで約二百年もの間、この国の首都だった街だ。州全体の人口は一千二百万。市内の人口は、約六百万。
 つまり、サンパウロに負けず劣らず、とてつもなくデカい。
 複雑に入り組んだ美しい入り江を無数に持つ街でもある。メインストリートであるリオ・ブランコ通りやプレジデンテ・バルガス通りには高層ビルが立ち並び、その風景を“コルゴバードの丘”という標高七百十メートルの高台から遠望すると、一つの巨大な摩天楼を形成しているのが分かる。都市の規模といい、その街並みが海岸沿いの固い岩盤の上の狭地にびっしりと集約されているところといい、南半球の香港のようなもの、といえば、分かりやすいのかも知れない。
 通りにはカラフルな衣装を身にまとった女性が溢れ、海岸ではカリオカ(リオっ子)たちの陽気な笑い声がこだまし、オープンカフェのレストランからは、サンバの躍動的なビートやボサ・ノヴァの軽やかな旋律が流れ出てくる。
 そして、犬のションベンと糞の臭いがぷんぷんと漂う街でもある。
 コパカバーナやイパネマ海岸などの一大観光地では、特にそうだ。ホテルやコンドミニアムに滞在する観光客が、のべつまくなしにペットを連れまわすからだ。
 この街に、ぼくは五日間滞在した。
 ちょうど2002年の日韓ワールドカップが開催されていた頃だ。
 ああいう試合を一人で見るのはつまらない。朝は早起きしてホテルのレストランや海岸通りのオープンカフェへと直行し、ホテルの従業員や観光客たちと、それぞれの試合の成り行きに一喜一憂する。
 そういえば、知り合いになったいろんなブラジル人から「おまえ、今こんなところにいる場合じゃないだろ。コパ(ワールドカップのこと)を見に、早く日本に帰らなきゃあ」と、苦笑いを浮かべられた。
 九時ごろから落ち着いて朝食をとり、小説の取材に、リオ・デ・ジャネイロの旧市街やファベーラ、コパカバーナやイパネマ、果てはレブロン海岸まで足を伸ばす。
 午後遅くに帰ってきてからは、コパカバーナの砂浜で海パン一枚になったり、あるいは海岸通りの屋台でビールを飲みながら、日暮れまでぼうっと過ごす。
 夕暮れになると、リオの浜辺にはごくうっすらと霧が立つ。ここらあたりの海は意外に水温が低い。太陽で温められた浜辺との気温差で、霧が立つのだろう。
 コパカバーナは、浜辺も海岸通りも、いつも観光客でごった返している。
 ビーチバレーやサッカーに興じる若者や、浜辺でじっとりと身体を焼く女、遊歩道でジョギングに励むオッサン、ぼくのようにビールを飲みながら、ぼんやりとしているヒマ人。
 彼らは休暇を利用してこの海岸でホテル暮らしをするぐらいなのだから、当然このブラジルでは富裕層に属する人種だ。一般的な(という括りなど、実は世の中にはないが)ブラジル人など、日々の生活に精一杯で、とても余暇などに金を使う余裕も時間もない。
 でも、ぼくが眺めているこういった金持ちの人種は、何故かあまり楽しそうに見えない。優雅そうには見えるが、やはり楽しそうには思えない。その顔に、つねに憂鬱な一面が覗いているような気がする。
 何故だろうと思う。
 彼らに比べればはるかに貧乏だが、サルバドールでいっしょに飯を食ったバハッカの男や、レシフェで仲良くなった娼婦や、サン・ルイスで夜通し遊んだエルレインやシモーネや、ベレンで知り合った農園の娘などのほうが、はるかにその表情が生き生きとしていた。彼らは笑いたいときは笑い、怒りたいときは怒る。裏も表もない。単に、見たままに生きている。そういう意味では、しばしば外国人が言う“ポルトゲス(間抜け)”そのものだ。
 だが、それでも彼らは、他人からどう思われようとあまり斟酌しない。そして事実、そう言ってからかう外国人より、からかわれている彼らブラジリアンのほうが、はるかに楽しそうに生活しているように見える。
 やっぱり何故だろうと思う。
 そのことを、ぼくはこのリオ・デ・ジャネイロで時おり考えていた。でも、なかなかこれといった理由が思い浮かばなかった。

 五日間の滞在のうち、四日目にコルコバードの丘に行った。トリムに乗り、海抜七百十メートルの絶壁の頂きに着くと、そこからリオ・デ・ジャネイロの全景を望むことができる。夕方に行った。夕暮れ時が最もきれいだ、と地元民から聞いていたからだ。
 空がゆっくりとオレンジに変わり、地上に薄闇が訪れると、街の明かりがポツ、ポツと灯り始め、しばらくするとリオの市内全体が明かりできらきらと浮き立っているように見える。あたりが完全に暮れるまでの二時間ほど、飽きもせずじっとその景色を見ていた。
 その帰りの、路線バスの中でのことだ。
 隣に座ったオバサンが、むずかる子供をあやしていた。それでも子供の機嫌は直らず、何事かを訴え始めた。立っていた他の乗客も、前の席に座っていた乗客も、何事かとその子供を覗き込んだ。ナントカ、とそのオバサンは答えた。途端に周囲は爆笑の渦に包まれ、めいめいが笑いながら勝手なことを喋り始めた。車内の空気が一変した。静かだった狭い車内が、いきなりバール(安酒場)のような、にぎやかで開けっぴろげな雰囲気に包まれた。
 その瞬間、あっ、と感じた。
 ショックのあまり、危うく椅子からずり落ちそうになった。そしてたぶん、これなのだと思った。
 そのときの感覚を、今もうまく言葉には出来ない。大事なものほど明確な言語にはなりにくい。何故なら、それは意識の彼岸にあるものだからだ。
 だが、そのときに思い出した言葉なら、いくらでも並べ立てることができる。
 コロンビアのメデリンで出会った女の子のセリフ。
「四年、日本いた。イケブクール。仕事、オトコ、お金」なおも言った。「わたし、この街、大好き。セグンド(二番目)、日本」
 ヴィトリアで親しくなったTさんの言葉。
「他の町はよく知らない。でも、やっぱりこの町が一番だと思うんだ。美しいと思うんだ」
 エルレインも教えてくれた。
「なら、あなたもそうすればいい。好きになればいい。きっと楽しい」
 マナウスのオッサンも答えた。
「たぶん、あんたが今言ってるのは、ブラジル語で言う“アモール”のことだよ。もっと広い、からりと乾いていて……うーん。とにかく無償のもんだよ」
 サンパウロで仲良くなったBさんも言った。
「あんたがもし今が楽しかったら、その楽しかった思いを、いつか誰かに分けてあげればいい。そういうふうにして、世界は繋がってゆくもんだよ」
 それらの言葉が一気に噴き出し、ぼくのアタマの中でぐるぐると廻った。廻りつづけた。泣きたくなった。うまく言えない。うまく言えないが、この感覚、分かってもらえるだろうか。
 大事なものは、大事な感覚は、いつだって身近に転がっている。ただそれは石ころのように転がっているので、ほとんどの場合、知らずにその前を通り過ぎる。そういうことだ。

 リオの最終日、もう一度コルコバードの丘に登った。
 その夜の深夜にはパリ行きの飛行機に乗り、このブラジルを後にする。夕暮れまで三時間ぐらい、ぼうっとリオの景色を見ていた。
 通りの外灯がまたチカチカと瞬き始めた頃だった。ヒュッと風が吹いて、ぼくの心の中の何かがポコリと抜け落ち、代わりに何かが入ってきたような気がした。
 むろん、錯覚だ。だが、リアルな感覚だ。
 その抜け落ちてどこかへ飛んでいってしまったものは、二度と戻ってこない。その穴を、代わりの何かでしっかりと埋められてしまうからだ。
 ぼくはこれに似た経験を、過去に一度している。
 二十歳のとき、単車を使って日本をぐるりと周っていた。
 北海道でのことだ。大雪山系から延々と山中の田舎道を走って、浜益村という日本海に面する寒村に出た。目の前に日本海が広がり、その海沿いに、ポツンと小学校の校舎が建っていた。当時でも珍しい木造平屋建ての校舎だ。校庭で数人の子供が遊んでいた。
 ぼくは単車を路肩に停め、ぼんやりとその遊ぶ様子を見ていた。
 やーい、と子供たちが口々に叫んだかと思うと、そのうちの一人が校舎の裏に向かって走り出した。
 やがてもう一人も、その後を追った。
 最後に残っていた一人も、二人の友達の後を追って校舎の裏に消えた。
 土の校庭には誰もいなくなった。
 日本海から風が吹き付け、泥埃が立っていた。海鳴りの音が聞こえていた。
 たったそれだけの事だったが、そのときに、初めて味わった。
 ひゅっと心の何かが抜け落ち、代わりに何かが入ってきた。なんだか雷にでも打たれたような衝撃で、目眩のようなものを感じた。
 そしてそのとき以降、大学に戻って普段の暮らしが始まっても、何かが微妙に今までとは違って見える気がした。
 それは成長とも言えるし、ある時期までの若さの喪失、とも言える。
 そしてこのリオ・デ・ジャネイロでも、似たような経験をした。
 あれからかれこれ一年半が経つが、自分の中でのモノの見方が、これまでとはたしかに少し変わったようだ。
 ようだ、としか言えない。
 何故なら、すでに正確に比較できる以前の感覚が、ぼくの中から失われているからだ。
 ではみなさん、お達者で。




1966年長崎県生まれ。筑波大学卒。2000年『午前三のルースター』で、第十七回サントリーミステリー大賞・読者賞をダブル受賞。第二作『ヒート アイランド』(共に文藝春秋)で、そのクールな文体とグルーブ感溢れる世界観が各誌の絶賛を浴びる。そして、ついに8月、本連載に綴られている取材の成果として『ワイルド・ソウル』(幻冬舎)を上梓。史上最強のクライム・エンタテイメント1314枚。絶賛発売中!
http://www3.ocn.ne.jp/~kakine/


ワイルド・ソウル







海霧に煙るイパネマ海岸。A・C・ジョビンとJ・ジルベルトの二つの才能。この海岸で「イパネマの娘」は生まれた。モデルとなった娘の名は、「エロイーザ」。






南半球随一の観光地・こっぱかばーな。正式には「コパカバーナ」。トップレスの姉ちゃんがゾロゾロ。しかし海岸通りは本当にションベン臭かったぞ。辟易。








リオの中心部。大都会。ニューヨークに負けぬ劣らぬ摩天楼。アマゾンに行けば原始の世界だっていうのになあ。






コルコバードの丘からリオ市内の夕暮れを望む。一番下は、湖の向こうに見えるイパネマ海岸。




日没後のリオ市内。上記の夕暮れの写真と同じ場所。同じ景色をずっと見ていても飽きなかった。



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