2012年9月4日。「文化放送ライオンズナイター」埼玉西武ライオンズvs.福岡ソフトバンクホークス戦において、文化放送の名物アナウンサーがライオンズナイターでの最後の実況を担当した。同局のスポーツ中継を中心に活躍したそのアナウンサーの名は菅野詩朗。数々の名実況・迷実況で人気を博し、40年近くに渡って愛され続けてきたアナウンサーが、9月いっぱいをもって定年退職となった。その長いアナウンサー人生の過程で見てきたスポーツ中継の醍醐味とは?
実況アナウンサーとしての一区切りを迎えた今だからこそ話せるアナウンサーのあるべき姿や課題を探ってみることにした。




3対3、逆テーン。2点リードです!


菅野詩朗


菅野詩朗(すがのしろう)PROFILE

1952年9月1日生まれ。北海道札幌市出身。札幌光星高等学校、東海大学文学部広報学科卒業後、1975年、文化放送にアナウンサーとして入社。 スポーツアナウンサーとして、「大相撲熱戦十番」「ライオンズナイター」「ホームランナイター」、オリンピック中継などを担当。1998年、スポーツ部ディレクターに異動。その後アナウンサーに復帰。2012年9月をもって文化放送を定年退職することが決まり、2012年9月4日のライオンズナイター埼玉西武ライオンズvs.福岡ソフトバンクホークス戦で実況アナウンサーとして一区切りを迎えた。



オグマナオト


オグマナオト PROFILE

福島県出身。風車とスポーツと食べることについてばかり考える30代。『エキレビ!』レギュラーライター。各種媒体でのインタビュー記事を担当するほか、風車ライターとして『電書雑誌よねみつ』で「まわれ風車男」を連載。

ツイッター/@oguman1977


──先ほど、菅野詩朗アナウンサー実況最後の日(9月4日)に特集された「くにまるジャパン」(※1)での“菅野伝説特集”を改めて聴かせていただきました。失礼ながら……数々の言い間違いや、迷実況、面白かったです(笑)

※1
文化放送、野村邦丸アナウンサーがパーソナリティを務める情報番組。毎週月〜金曜8:30〜13:00でON AIR。


 

菅野 そうですねぇ。もうあまりにありすぎて、僕のNG集だけを集めたCDが文化放送にあるくらいなんですよ。

──なぜそんなものが(笑)

菅野 一度、それで番組を組んだら反応がたくさんありました。以前は、恥ずかしい意識もあったんですけど、最近では自分でも楽しくなっちゃってますからね(笑)。もちろん、アナウンサーとしては褒められたわけじゃないんですが。まあ、僕に限らずあると思うんですよ。特にスポーツアナウンサーなんていうのは、真面目にやろうとすればするほど、後で音を聴くと面白い! っていうことがよくあるんです。

──ご自身でも特に思い出深いものはありますか?

菅野 競馬中継なんですが、「ダイヤモンドステークス」という長距離のレースがあるんです。そのときは中山競馬場だったと思うんですが、3コーナーからスタートして4コーナーをまわってもう1周、計2周するレースなんですね。スタート時には《さあ、ゲートが開いてスタートしましたダイヤモンドステークス。ここ中山を2周をして……》と自分でも「2周」と言っているんですが、そこから《ハロン棒を過ぎました。さあ直線っ》って言ったとたん、何を取っ散らかったのか、馬もまだ序盤で淡々と走っているのに、《さあ、いよいよ直線! 残り200のハロン棒も過ぎたぁ。さあ、あと200っ! 100っ!》と、最後の直線と勘違いをした実況をしてしまったんです。

──あらら。。。

菅野 隣にいたディレクターが焦って「あと1周です。あと1周です」と小声で指摘してくれてようやく間違いに気づいて、《さあ、あと……1周あります……》と(笑)。その後、どうしゃべって中継したのか憶えていないんです。でも、この音源だけが残ってないんですよ。一生懸命探したんだけども、ない!

──それ、聴いてみたかったです。

菅野 でも、競馬っていうのはお金がかかっていますから、それだけ間違った印象が自分でも強く残ってるんですよね。

──他にもありますか?

菅野 西宮球場での阪急vs.西武戦で、その時、阪急にいた岩本という選手がヒットで1塁に出塁したんですね。今では当たり前なんですが、当時は出塁したらヘルメットを抜いでキャップに切り替える選手が結構いたんです。その時の岩本選手もヘルメットからキャップに替えていたんですが、ピッチャーの牽制球がたまたまそれて、岩本選手の側頭部に当たってしまったんです。

──一大事ですね。

菅野 すぐにタンカが運ばれてきたんですが、その日解説だった山崎裕之さんが、「だからヘルメットはランナーでもしなくちゃいけないんですよ」とこんこんとお話をされたのに引きずられて僕も、《なるほど〜。やっぱりヘルメットは大事ですねぇ。岩本選手、今、ヘルメットで運ばれて行きました》と。

──山崎さんの話を受けて、頭がヘルメットでいっぱいになっちゃったんですね(笑)

菅野 もう、そんなのばっかりですよ。長嶋一茂がホームランを打ったときに《3対3、逆テーン。2点リードです!》ってわけがわからないことしゃべたり(笑)。あと、よくネタにされるのが、広島市民球場で、僕が「情報」、つまりレポーターだったんですが、その試合で実況担当だった中田秀作アナウンサー(※2)に《中田さん中田さん》と呼びかけすべきところを、《菅野さん菅野さん》と言ってしまい、中田アナウンサーから《菅野さんはあなたでしょ!》とピシャリと(笑)

※2
元文化放送アナウンサー。「文化放送ライオンズナイター」の初代キャスター。「セイ!ヤング」のパーソナリティを務めるなど、司会にも定評がある。現在はフリーアナウンサーとして、プロ野球中継を中心に活躍中。


──次から次に出てきますね。

菅野 だからね、いろんなアナウンサーがそれぞれ言い間違いや勘違いって数多くしているんですが、全部僕がやったことにされるんです。《1塁牽制球、ボールっ!》という有名な間違いも、僕じゃないんです。これは、文化放送の鈴木光裕アナウンサーですから!

──迷実況エピソード、いつまでも聞いていたいですが、反対に「会心の実況」も教えてください。

菅野 基本的にスポーツ実況、そんなにうまいと思ってないんです。他の人のを聴いていて「巧いなぁ」と思うことはよくあるんですけど、自分自身は感覚でしゃべってしまうタイプなので、いっつも怒られましたねぇ。色んな造語も作っちゃいましたから。

──造語? 例えば?

菅野 アトランタ五輪の男子サッカー最終予選がマレーシアのクアルンプールで開催され、当時、前園選手がキャプテンでチームも人気があったので、僕も現地に行って実況させてもらえたんです。結果、見事にアトランタ行きを決めたんですが、その放送の最後に《アトランタ、オンザウェイ!》って叫んだんですね。

──一見、カッコイイです。

菅野 でも、「アトランタ、オンザウェイ!」なんて言葉、ないんです。自分でも意味を考えずにしゃべっているので、後からいろんな人に「あれ、どういう意味?」って聞かれて困りましたね。



ラグビーの一番いい時代だったから、実況していても楽しい


札幌光星高等学校時代から放送部に在籍していた菅野ア

札幌光星高等学校時代から放送部に在籍していた菅野アナ。大学では東京アナウンスアカデミーに通い、アナウンサーを目指していたという。入社試験では神宮球場での実況テストもあったとか。



文化放送ライオンズナイター

「文化放送ライオンズナイター」
文化放送が平日に放送しているプロ野球ナイトゲーム中継番組。2011年に放送30周年を迎えた。土日のプロ野球中継は「ホームランナイター」。


──スポーツ実況の世界では、はじめて実況マイクを握るまでに時間がかかる、修業期間が長い、という話をよく聞きますが、菅野さんはかがでしたか?

菅野 もう40年も前の話ですが、僕らの新人時代は、研修期間は3ヶ月間ありました。さらに先輩の頃なら半年もあったみたいです。劇団に行って、演出家の指導を受けたりとか。

──劇団! そんな実習もあったんですね。

菅野 今はどこの局でもそんなに長い期間研修する余裕はないと思います。その後、泊り勤務を中心に実際のアナウンス業務が始まり、平行して、スポーツの現場に連れて行ってもらって、野球場や競馬場、相撲、競馬場、お正月ならラグビー、サッカーと様々な現場で勉強の毎日でしたね。

──実況デビューは?

菅野 最初に実況させてもらえたのは都市対抗野球でした。僕が新人の頃は、文化放送のスポーツ番組は、土日のナイター中継しかなかったんです。平日の夜の時間、ニッポン放送もTBSラジオも野球中継をやっていましたが、ウチは「ハローパーティ」(※3)という若者向け番組の編成だったんです。

※3
1969年から1975年にかけて、毎週月〜金曜19時〜21時の時間帯に文化放送で放送されていたラジオ番組。パーソナリティは当時文化放送アナウンサーだった土居まさる。


──文化放送の平日夜といえば、私の世代ではもう「ライオンズナイター」が当たり前なので、それは知りませんでした。

菅野 したがって、僕らが新人時代、プロ野球で実況デビューするというのはなかなか大変なことだったんです。土日のナイター中継にしても、甲子園での試合の場合は大阪の局が制作していましたし、名古屋、広島の場合も地元の局のアナウンサーがしゃべるので、実際にウチの制作って少ないんですよ。だから、自分に順番はなかなか巡ってこなかったですね。そういう時代でした。でもその分、お正月にはラグビー中継を文化放送が一番やっていましたし、サッカー中継もJリーグ、天皇杯とずっとやってきましたね。

──様々な競技で実況をされたと思いますが、特に印象深い競技、というと何になりますか?

菅野 そうですねぇ……ラグビー中継がすごく楽しかったですねぇ。うまく自分にフィットしたというか。今は、ラグビー人気はちょっと低迷していますけど、80年代はラグビー人気が絶頂の時代だったんです。社会人は新日鉄釜石がV7、そして大学は早稲田と、平尾・大八木のいた同志社、大阪体育大学も強かった。新日鉄釜石の松尾が活躍していた頃は、ラグビーがスポーツ新聞の一面をバンバン飾っていましたからね。その後も、平尾・大八木が神戸製鋼に入社してどんどん強くなり、とラグビーの一番いい時代だったから、実況していても楽しいんですよね、やっぱり。

──ちょうど『スクール☆ウォーズ』も放送され(1984年10月〜85年4月)、ラグビー全盛の時代ですね。

菅野 あとは、相撲ですかね。「大相撲熱戦十番」(※4)という番組をウチが以前からやっていまして、僕も入社以来ずっと担当しました。北の湖、千代の富士、二代目若乃花、若嶋津、輪島、もちろんプリンス大関と言われた貴ノ花もいた、すごい人気の時代に、支度部屋に入れさせてもらったり実況させてもらったりと、貴重な体験ですね。当時大関だった増位山は、現役でありながら高級クラブでも歌う人気歌手でもありました。

※4
1973年から1987年まで、大相撲本場所期間中の17時台に文化放送とラジオ大阪とラジオ沖縄で放送されていた生中継スポーツ番組


──今の時代では考えられないですね。では、実況するのが特に難しかった競技は何になりますか?

菅野 苦労したのは競馬ですかね。「1年で覚えるように」と言われて、東京(競馬場)と中山に(競馬場)に1年間通ったんですが、先輩方の皆さんから心配されるほどに苦労をしまして、途中、競馬場に行くのも嫌になりましたね。

──何が難しかったんでしょうか?

菅野 競馬実況は、騎手の勝負服と帽子の色で馬群を追っていくんですが、向こう正面にいる間は大丈夫なんです。でも、第3コーナーのところで見えなくなるんです。先ほども言いましたけど、競馬っていうのはやっぱり、お金がかかっていますから。それに、3コーナーから4コーナーに近づいてくるところが競馬の面白い場面ですからね、第3コーナーで全部の馬が識別できないとダメなんです。それができるようになるまでに、1年以上かかりましたね。苦労しました。でも、競馬も実況できるようになった頃、ちょうどテンポイント・トウショウボーイ・グリーングラスの時代だったんです。

──いわゆる「TTGの三強の時代」(※5)ですね。

※5
1970年代後半に活躍した1973年生まれの3頭のサラブレッド(トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラス)のイニシャルから名付けられた総称。


菅野 今でもよく言われる「悲運の名馬」のテンポイント、「天馬」と言われたトウショウボーイ。トウショウボーイの写真や蹄鉄なんか今でも家に大事に飾ってありますよ。もう最高の時代ですよね。だから、競馬も苦労しましたけど、競馬記者会には他局の仲間たちもたくさんいて、当時は昼で競馬が終わった後はみんなで飲みに行って、「いい双眼鏡はこれだ」と情報交換をしたり、トラックマン(※6)とも情報交換をして、みんなで相談して双眼鏡をまとめ買いして値引きしてもらったりね。いい思い出ですね。

※6
競馬新聞の記者の総称。




実況アナウンサーは「今」と「これから」をしゃべらないと


数々の失敗談も笑顔で語る菅野アナ

数々の失敗談も笑顔で語る菅野アナ。「リスナーからのお叱りや反響? 来てるのかもしれないですけど、僕にまでは幸いというか届いてないですね(笑)」


──競馬はモニターじゃなく、ずっと双眼鏡を見ながらしゃべるんですよね。

菅野 そうです。最近は違いますけど、当時は朝早くにクレヨンを持って競馬場に行き、そこで勝負服を描くわけですよ。今思うと大変でしたね。塗り絵ですよ塗り絵。今はもうネットで全部プリントアウトできるから、塗り絵する人なんかいないですよね。ホント、簡単になりましたよ。あと、今ではラジオアナウンサーでもモニターが隣にありますからね。もちろん双眼鏡がメインなんでしょうけど、モニターを見てしゃべる人も結構増えているみたいですね。

──それは、競馬実況だけでですか? 他の競技でも。

菅野 野球中継でもそうなんです。僕らの頃も、もちろん放送席にモニターはありましたけど、絶対に見なかったですから。何かあった時だけ後から確認で見るくらい。そうしないとラジオの良さが消えちゃうから。自分の目で見て、自分の感覚で。それがもし間違っていたとしても、それがラジオなんだと。それこそが臨場感を生むんだと。僕らの世代はその考えで育ってきていますけど、今はもう、競馬でも野球でも映像がクッキリ出てしまうので、どうしてもそっちを見てしまう場合があるみたいですね。

──やっぱりそれは、「けしからん!」という想いですか?

菅野 どうなんでしょうね〜。僕らの世代からすると、間違ってもいいから、自分の目で見て自分の頭で考えたもののほうがいいんじゃないの? とは思いますけどね。まあ、競馬なんかお金がかかっているから間違えられない、というのはありますけど。でも、今でもそうだと思うんですが、ゴール板での「鼻差・首差・頭差」って、もう感覚の世界なんです。それは、モニターではわからない。絶対に「自分の目」のほうが確かなんですよ。そうじゃなきゃあの瞬間の実況はできないです。東京競馬・中山競馬は何度も通っていますから感覚でわかりますし、菊花賞では京都に、宝塚の場合は阪神競馬場に行きますけど、競馬場が変わっても、内と外の距離の感覚はそんなに変わらない。

──それはやっぱり、アナウンサーとしての鍛錬の賜物ですよね。

菅野 もちろん、これは馬体が離れていた場合であって、馬体が並んでいたら難しいところはあるんですけどね。だから、ゴール部分に関しては、今の実況アナウンサーも自分で見て、自分の感覚でしゃべっていると思いますよ。野球の場合でも、今でもあくまで補足的な意味でモニターテレビがあるだけだと思うので、基本はあくまでもラジオのアナウンサーは自分の目と頭の感覚で判断していると思います。

──そのほうが、ラジオの良さが伝わると。

菅野 そうですね。

──ラジオの良さ、とは具体的な言葉にすると何でしょうか?

菅野 言葉にするとなんだろうなぁ。「臨場感」と言ってしまえば当たり前なんだと思いますけど……。私が高校の頃、もう当たり前のようにラジオナイターを聴いていたんですね。その後そのまま深夜放送も聴く、というのがお約束の流れで。その頃からラジオナイターっていうのは「これからスポーツがはじまる!」っていうワクワク感があったんですよ。オープニングテーマが流れて、球場のノイズがだんだんと上がっていって、「今日は後楽園かぁ」「今日は巨人のピッチャー誰なんだろう?」って思ったりしてね。それこそ、小さい頃の運動会が始まる時のような。そういう良さがラジオ中継にはあったんです。それを聴いて「スポーツ中継っていいなぁ」「ラジオっていいなぁ」って思ってワクワクしていましたから。そういうものを感じさせるのが、僕はラジオのスポーツ中継だと思っているんですね。

──その感覚は、ちょっとわかります。

菅野 野球中継に限らず、ラグビーだって駅伝中継だって、「楽しいなぁ」と感じてもらうことが第一義だと思うんです。それを「臨場感」と言ってしまえばそれで終わっちゃうんですけど、そういうのが、僕は一番必要だと思います。通り一遍、キチッキチッと間違わずにしゃべることももちろん大事なことなんですが、それよりも何よりも、「これから野球始まる」というワクワク感を感じさせる。それがないと、いくらキチッとしていても、スタジオでしゃべっているようで、僕は聴きたくないんですね。

──それをやるためには、自分の目で見なければならない、と。

菅野 そうですそうです。あとは「取材」も大切ですよね。そういうのも、リスナーにとってはワクワクする材料になりますから。「あの選手、膝痛めてるの!?」とか、「そんな話を今、コーチからされているの?」とかね。だって、それは現場で取材をするからこそわかることですよね。もちろん「データ」っていうのも大切で、この前の対戦はどうだった、このピッチャーとの対戦成績はどうだ、っていうのも、意味はないとは言わないですし、過去の情報は必要なんですけど、実況アナウンサーは「今」と「これから」をしゃべらないと。だって今やもう、そういうデータは誰でも簡単に引っぱりだせるんだから。

──ケータイ、パソコン、様々なメディアですぐに調べられますよね。むしろそれは、家にいる方が充実していると思います。

菅野 そうですよね。だからこそ、これからのラジオは、アナウンサーがリアルタイムで、現場の臨場感や声を伝えて行くのが一番大切なんじゃないのかな、と思います。リスナーは、選手や監督にも話は聴けないわけですから。

──なるほど。

菅野 それともうひとつ、実況アナウンサーにはその競技そのもの以外で今、話題になっていること……政治的なこととかはもちろん触れなくていいんですけど、例えば季節の話題や歳時記にも触れて欲しいですよね。お盆だったら「民族大移動がはじまっています」とか。そういう季節のちょっとした話題をアナウンサーが解説者に振ってみて話を広げるとか、最近はそういうのが少ないかなと思います。昔はどのアナウンサーも、結構そういうことをしゃべっていたんですよ。まあそれは、私がとりわけ多いというのもありますが(笑)、やっぱり、そういう話題を含みながらしゃべったほうが面白いじゃないですか。まじめなだけの中継じゃ、自分がリスナーなら楽しくないと思うんですよね。



次号予告


後編では「ライオンズナイター」の歴史など...

後編では「ライオンズナイター」の歴史など、実況の今昔物語をお聞きします。


管野アナウンサーの実況の数々をバックに流しながらのインタビュー。どんどん飛び出してくる迷エピソードに会議室はなんども爆笑につつまれました。愛される実況、人柄ともあいまって、そんなことばが終始うかんでおりました。後編(10/15公開予定)、もっともっと盛り上がって、ちょっとしんみりするかも(?)乞うご期待!

「お前の目玉は節穴か」では、おもしろい取材企画を募集しています。ブログなどで具体的に企画をはじめているかた、道場破りもありです、ぜひお問い合わせください。プロアマ問いません。編集担当のツイッター @kaerubungei までどうぞ。

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