先日、武道館で行われた「忌野清志郎ロックン・ロール・ショー」という、トリビュートコンサートを観に行ってきました。

 このところ毎年恒例のように行われていたのですが、今回もたくさんの豪華アーティストが参加してました。私もちゃっかりVTR出演。

 さて、そのコンサートで、たくさんのアーティストの皆さんの、それぞれの清志郎さんの歌を聴きながら感じた事がありました。

 それは、ミュージシャンというものは、優れた音楽的感性だけでは成り立たないんだなーってこと。

「特に自分のファンじゃないかもしれない、という可能性のあるオーディエンス一万人ほどの前で立って歌う」という行為。ハッキリ言ってこれにはもう一つ、別の才能もいるんだわ! ってことでした。

 緊張が取れないまま終わりました、という人や、(お察しいたします)という気にさせる人も確かにいらっしゃいました。

 や、その姿に、むしろかえって人間的な感じがするという、愛嬌のあるものだったのですが。

 しかしそれだけに、ちゃんと堂々、数秒で聴衆を自分の世界にさっと引き込んで、彼の世界を歌いきれる人物を見てしまうと、(わ〜! やっぱプロってすごーい!)と、感動させられるのでした。

 いったい何がどう違うんだ? と考えずにはいられません。

 通常の一人のミュージシャンのコンサートよりも、数名が参加するような、トリビュートコンサート的なカタチの方が、なんだか逆に「集中力」や「能力」「気」ってなものが、より浮き彫りに差が出てしまう、と思えたほどでした。

 気が弱い人ほど人の目を気にする、と言いますが、ハッキリ言ってこういう場所で、人の目にさらされながら、自分の視線でナチュラルにステージに立っていられる、というのはなかなかの偉業だと思うのです。

 どこかで、自分に決着をつけてきた、というような人間力がそなわってなければできない事だなあ〜と感じました。まるで武士道そのものですな。

 やはり場慣れや経験がモノを言うし、その一回一回を大切にしてきた人かどうかもまた、バレてしまいそう。

 歌で夢の世界に連れてってくれる人は案外、まずは現実を見るのに強くなければ、なれないものなのですな。

 ところでそんな私は昔からRCサクセションの大ファン。彼の声は、実は私は学生時代からず〜っと「芸」というよりもむしろ口ずさむ、という感じで、一人鼻歌のように長年なぞってきてました。

 忌野清志郎さんと矢野顕子さんの声だけは、どんなに似ていようが似ていまいが、昔からちっとも笑わせる気が起こりません。

 プロになっても、しばらく彼のモノマネはやってこなかったほど、わけもなくサンクチュアリなものが走ってしまうのでした。プロとしてはあるまじき、なのかもわかりませんが、私にはそれほど特殊にストイックな声になっているのです。

「週刊現代」なんかの連載を読むと、酒井さんも一人旅がお好きなようですが、私はこの二人に限らず、孤独な時間と向き合えているような(気がする)人間ほど好ましいなあ、と思えてくるのですが。

 孤独感って、あんがいパブリックに通ずるシンパシーが生じるものなのではないか、とも思えてきます。

 なあんて、今回はちょっとまじめに考えてしまった次第ですが、彼のストイックな部分、孤高なところだけを抽出したような「矢野顕子、忌野清志郎を歌う」というアルバムは、ハデさを取り払った裸の彼の姿が見えてきたりして、とてもおすすめの一枚です。

清水ミチコ

清水ミチコ
Shimizu Michiko

岐阜県生まれ。タレント。
新作ネタDVD『私という他人』、日記エッセイ『主婦と演芸』(幻冬舎)が発売中。

酒井順子
Sakai Junko

東京都生まれ。エッセイスト。
近著に『この年齢だった!』『下に見る人』『もう、忘れたの?』などがある。「週刊現代」「小説新潮」「別册文藝春秋」「週刊文春」などで、幅広く執筆中。近著に『泡沫日記』(集英社)、『そんなに、変わった?』(講談社)など。

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