清水ミチコ様

 武蔵野の叔母さまが、渋谷の文化屋雑貨店に行くことを拒否された。……って、わかる気がします。私の実家は杉並区で、サザエさんちのような木造平屋の家で祖母と同居していたのですが、明治生れの祖母は、銀座方面に出向くことを「東京に行く」と言っていました。今でこそ武蔵野の人も「ここは東京」の意識があるかと思いますが、昔の武蔵野人は「ここは東京ではない」と思っていたようです。

 実家の近くには「西郊」という名の古い旅館があるのですが、それもこの辺りがかつては、東京の「西」の「郊外」だったから。本物の東京に住む人にとって、かつてこの辺りはちょっとした小旅行で行く場所であり、別荘を建てるような場所であったというのです。「東京」が示す範囲は、どんどん広がり続けているのですねぇ。

 今は亡き祖母は、たまに関東大震災の話をしてくれました。

「立っていられないような揺れでしたよ。四つん這いになっていました」

 という祖母の話を久しぶりに思い出したのは、「風立ちぬ」を見ていた時。映画の最初の頃、主人公が列車に乗っていて、関東大震災に遭うシーンがあったのです。

 映画は、ものすごい迫力で地震の尋常ではない揺れを伝えていました。私はそれを見て、「すっごく画が上手いなぁ!」と、感動していたのです。

 なぜそんなに感動をしたかというと、「風立ちぬ」は、私が初めて見たジブリ映画だったから。子供の頃からアニメというものにあまり関心がなく、同級生達が「アルプスの少女ハイジ」とか「フランダースの犬」を楽しんでいる様子を見ても、「ふーん」という感じでした。その手のアニメというのはどうもお上品すぎて、私は兄が買ってくる少年チャンピオンや少年サンデーの、「がきデカ」「まことちゃん」といったシモ関連のネタ満載の漫画の方が、ずっと楽しかったのです。

 そんなわけでアニメに親しまずに大人になった私。「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」といった作品がおおいに話題になったのは大学生の頃でしたが、「アニメでしょ」とスルー。「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」の話題にも、ついていけません。

 他人から「ジブリ映画を見に行こう」と誘われることもなく、「このまま一生、ジブリ映画を見ないでいるのだろうなぁ」と思っていたのですが、そんな私が「風立ちぬ」を見た理由は他でもありません、「招待券をもらったから」。

 ここまで清い身体で来たのだから、ジブリ処女を一生守りたい、という気持ちはどこかにありました。しかし、チケットをいただいたというのも何かのご縁。あっさりと映画は始まりました。

 映画館でアニメを見るという体験は、思い出せないくらい久しぶりのことでした。おそらく子供の頃、「東映まんが祭り」とかを見て以来なのではないか。

 だからこそ私は、まず「画がうまーい!」と、感動したのです。東映まんが祭りの時代と比べて、アニメーションの技術は飛躍的に進歩しているに違いなく、もう何だか実写映像みたい。「ここまでうまいなら、いっそ実写でいいんじゃないの? アニメで表現する必要があるの?」とすら思えたほどです。

 「ジブリ、すごいわ〜」と、その画のうまさに感動して涙が出そうになった私。その感覚は、今まで「ハワイに一度も行ったことがない」というのが半ば誇りであった人が初めてハワイに行って、その風の爽やかさに感動しているようなものだったのかもしれません。

 一つ気になって仕方が無かったのは、主人公である二郎さんの声です。何だかボーっとした歯切れの悪い声で、私にはアンガールズのどちらかの方の声にしか聞こえませんでした。二郎が子供の頃は、違う声優さんがハキハキとしゃべっているのに、大人になってから急にあんなに滑舌が悪くなるものなのだろうか……と、映画中ずっと、アンガールズの顔が脳裏から消えなかった。

 映画自体は感動的でした。終了後、涙を拭いながら同行者に、

「二郎さんの声って、アンガールズ?」

 と聞くと、

「違うよ、庵野秀明さんだよ!」

 とのこと。そういえば雑誌などで、庵野監督が声優に挑戦ということが、話題になっていましたっけ。その手の記事をたくさん読んでいたのに、すっかり忘れていた……。

 びっくりして涙も引っ込んだ私だったのですが、同行者の男性は、

「結局、やりたいことだけやってた男の話だったよね」

 と、あまり映画に共感していない様子です。これは悲恋のお話でもあるので、私としては目頭が熱くなりっぱなしであったわけですが、男性の見方はまた違うらしい。男のロマンの犠牲になる女性はいがちだけれど、男のロマンというのは同性にとって、イラつくところがあるものらしいのです。

 宮崎駿さんはこの映画をもって引退されるということでしたが、宮崎監督もまた、男のロマンを追求された方なのでしょう。しかし、あの圧倒的に緻密なアニメーションを完成させるには、どれほど多くの人が徹夜を続けたことか……という思いも、一方では募る。多くの人を感動させるような人は、同時に多くの人をイラつかせたのかもしれないなぁと思いつつ、私にとって最初で最後かもしれないジブリ体験は終ったのです。

酒井順子

清水ミチコ
Shimizu Michiko

岐阜県生まれ。タレント。
新作ネタDVD『私という他人』、日記エッセイ『主婦と演芸』(幻冬舎)が発売中。

酒井順子
Sakai Junko

東京都生まれ。エッセイスト。
近著に『この年齢だった!』『下に見る人』『もう、忘れたの?』などがある。「週刊現代」「小説新潮」「別册文藝春秋」「週刊文春」などで、幅広く執筆中。近著に『泡沫日記』(集英社)、『そんなに、変わった?』(講談社)など。

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