『ダイエット・パラダイス/私は美神(ミューズ)、ダイエットしてるの』
銀座、イイ女入門
銀座への架け橋
 1869年に正式に銀座という町名が与えられたのは、今で言う銀座一丁目から四丁目まで。それも中央通りを基準に西と東にひと皮分とのこと。
 現在の銀座八丁目からするとその面積は十分の一位になります。
 うちのお店には、銀座で代々商売をされているお客様も多い。その方達(自分の会社やお店が一丁目から四丁目までの区域に入っている)が「正真正銘の銀座」と胸を張る理由はコレか!
 では、銀座五丁目以降はどうなるの?
 銀座四丁目の交差点は「銀座の終わりで、尾張町の始まり」と謂われるかのごとく、銀座五、六丁目は尾張町一丁目、二丁目。七丁目は竹川町。八丁目は出雲町と南金六町。
 コレは江戸時代の藩の名前に由来するのだそうです。
 江戸に幕府が置かれた当初、銀座は浜と海だった。家康から家光にかけての将軍達は江戸の町づくりに専念。そこで、海を埋め立てて土地を作る作業に譜代大名の力を当てたのです。
 天下普請によって生まれた土地には、その大名の領地名が付けられた。それを分かりやすく整えようと、現在に至るまで大きく二回、町の区分や名称が改正された。四百年の歴史を経て、現在の銀座となったワケです。
 江戸時代の銀座はもともと海だったのか〜。
 そして江戸城の目の前まで入り江が入り込んでいたため、船で攻め込まれることを危惧し、埋め立て工事を始めたのです。
 川の多い江戸では水上交通が便利であったことから、現在の銀座の周囲には掘割が巡らされていました。汐留川、外堀川、京橋川、三十間堀川の四つの掘割で囲んだ地、それが銀座の原型です。
 それから約四百年の間にそれらは全て姿を消すこととなりますが、最初に埋め立てられたのは三十間堀川。
 昭和23年のこと。東京大空襲の際に、大量発生した灰塵の処理に充てられ、埋められたのです。その後、30年代に入ると昭和自動車専用道路建設のため外堀川が埋められ、京橋川、汐留川も続々と姿を消していきます。
 昭和34年にはこれらの掘割の箇所に高速道路が建設されました。
 これが日本で初めての高速道路。
「銀座は橋の街だった」とよく耳にし、確かに銀座の周囲には"〜橋"と呼ばれる場所が多いのですが、その四つの掘割にはいくつもの橋が架けられていたのです。よって、銀座へ足を踏み入れるには必ず橋を渡る。人々はいつしか、その橋こそに格別な思いを抱くようになったのだとか。
 橋は全部で12。多いときには30を超えたこともあるようです。
 菊田一夫原作の「君の名は」で有名な数寄屋橋に始まり、白魚橋(昭和通り)、京橋(高速道路)、城辺橋(外堀通り)、山下橋、土橋、新橋、蓬莱橋(昭和通り)、采女橋(首都高)、万年橋、三吉橋、三原橋等。
 その姿は消えてしまったものの、数寄屋橋には菊田一夫筆「数寄屋橋此処にありき」と刻まれた碑が建てられたり、新橋や京橋には大きな親柱が残されていたりと、橋を愛した人々の気持ちは今でも生き続けているようです。
檀 れみ
檀れみ プロフィール
5月18日生まれ。B型。牡牛座。東京都出身。桐朋学園短期大学部文科卒業。1999年より女性誌、WEBサイト等でライター活動を開始。主にファッション、ビューティー、娯楽ページ等を手掛ける。嶋田ちあきメイクアップアカデミー第1期卒業に伴い、一般の女性を対象にしたメイクサロン「メィユール」を主宰。2004年8月より銀座のクラブ江川にてホステスを始め、今年7月に幻冬舍より初の単行本、『ダイエット・パラダイス/私は美神(ミューズ)、ダイエットしてるの』を刊行する。

檀 れみの、銀座日記
http://ameblo.jp/remiremi/