クレオパトラが食べたコロッケ?

 深酒が続いた。二日酔いではないが、慢性的な倦怠感を抱え、静岡駅の北口に出る。大学時代を過ごした静岡の日差しは相変わらず温かい。当時、「イッキ飲み」が流行っており、僕の人生の中で深酒が多かった時期。思い出すと、こみあげるものがある。気持ち悪さが。
 ロータリーに停まっていた病院行きの路線バスに乗り込む。病院近くにハーブにこだわる料理店があるのだ。未だ訪れたことのないエジプト、正式名称エジプト・アラブ共和国の料理を出す店らしい。先日、学生時代にアルバイトでお世話になった静岡のテレビ局の方と東京で飲んだ際、教えていただいたのである。あの日も深酒だった。
 静岡駅から北東に位置する城北地域は、昔は社宅が多かったと聞いたことがある。車窓から中部電力の社宅が見えたことで、ふと思い出し、同時に静岡県の電力会社分布地図も思い出す。静岡市の東に位置する富士宮市は、ちょうど中部電力と東京電力の境目で中部電力と東京電力の電柱が向かいあって立っている場所があるのだと富士宮出身の学生が言っていた。
 バスは住宅街の細い道を走り抜け、再び広い道路に出た。学生時代には通ったことがない場所である。料理店の最寄り駅のバス停名のアナウンスが流れ、咄嗟に降車ボタンを押したものの、こんな郊外に本当にエジプト料理店などあるのか少々、不安になる。フロントガラス越しに前方を見るとファストフードや紳士服チェーンの看板は見えるが、決して交通量は多くない。停車寸前、道沿いにツタンカーメンの絵が描かれた看板が見えた。それだけで安心感を覚えた。
 店の入口の脇に小さな窓口があり、その脇に据え置き型の灰皿がある。テイクアウトもできるのだろう。エジプト料理をテイクアウトする設定を思い浮かべ……いや、全く思い浮かばないまま店に入る。
 昼間だが照明が暗いせいか薄寒く感じる。入って左側にあるキッチンと右側の客席とは野菜の写真が貼られた背の高いガラスケースで仕切られ、キッチンの様子はまったく見えない。30名程度座れる客席では中年女性二人組がスープをすすり、若い女性二人組は料理を待っているようだった。全員、日本人客。
「イラッシャイマセ」
 イスラム教徒の象徴であるルーサリを被った若い外国人女性がキッチンから顔を出す。店内が一瞬、明るくなるような笑顔だった。
 ガラスケース脇のテーブルに座り、メニューを眺める。女性のルーサリ姿を見た途端、予測はしていたがビールなどのアルコール飲料は一切、置いていなかった。ビールはエジプト発祥の地ではなかったのか。まぁ、今日ならありがたい気もするが、どこか口寂しい気もする。料理を運び終わった日本人女性のスタッフにノンアルコールビールを注文し、エジプト料理が初めてなのでおススメを教えてほしいと言うとスタッフを呼びに行った。
 すぐに胸にツタンカーメンの写真をあしらったTシャツを着た外国人女性がやってきた。先程、キッチンから顔を出した女性だ。日本のお母さん的な雰囲気も持ち合わせているが、エジプト民族であることに間違いなさそうだ。エジプト民族のほとんどがアラブ人なのでアラブ人の可能性が高い。
 彼女が最初に勧めたのは、ひよこ豆と20種類の香草を使ったコロッケ「ターメイヤ」。クレオパトラも食べたという説もあるらしい、これで、まず一つ決まった。次に「シャウエルマ」なるケバブ料理を勧められたが、肉はあまり食べたくなかった。とりあえず、ターメイヤとご飯がわりに「エイシ(ピタパン)」と呼ばれる中近東で食べられるパンを頼み、その後、身体の調子を見ながら追加注文をするか……と思ったら、同じ米料理の欄にナスの文字が見えた。エジプト風ロールキャベツでキャベツの代わりにナスを使った「マハシ」という料理らしい。温かい野菜を想像すると唾液が出てきた。身体が欲しているのだろう。
「ジカン カカリマスガ、ダイジョウブ デスカ?」
 時間はたっぷりある。まだ午後1時30分だった。

酒、レイプ、殺人の中で一番、重い罪は何か?

 エジプトは暑い国なので、辛い料理をイメージしていたが「ターメイヤ」は全く辛くなかった。コロッケのように外はさくっとしているが、中は大豆ハンバーグに似た柔らかい食感である。香草のクセはクレオパトラが食べていたと聞くと深みのある歴史の味に感じられるから、料理の説明に添えるエピソードの大切さを改めて知る。特に僕のように影響を受けやすい人にとっては。
 円盤のような形をした薄いパン「エイシ」を半分に割り、空洞になっている中にターメイヤを入れ、サンドイッチのようにして食べてみる。香ばしいエイシにターメイヤは、よく合う。
 テーブルの隅に二つの壺が置いてあるのが気になり、蓋を開けてのぞいてみる。一つはトウガラシベースのタレのようで、もう一つはにんにくの香りがする。
 「それをつけると美味しいですよ」
 流暢な日本語で声をかけてくれたのはスキンヘッドの外国人男性だった。決しておしつけがましくなく、自然に僕の空間に入り込んできた。黒いシャツにジーンズ姿。ハリウッドの黒人俳優エディ・マーフィーをアラブ人にしたような彼が店主だったのである。
 彼の言う通り、トウガラシベースのタレをつけるとさらに美味しくなった。このソースは彼がハーブをブレンドして作ったオリジナル。エジプトはハーブを使用するのが盛んな国で、コーヒーショップでは、体調を聞いてからハーブをブレンドしてお茶を作ってくれるのだそうだ。
「私はハーブを使った料理店を日本でやりたかったんです。やるんだったら徹底的にね」
「徹底的」という言葉が出るほど日本語を使いこなし、また、妙に話しやすい空気を醸し出すので、こちらもついつい質問を投げかけてしまう。彼はエジプトで生まれ育ったアラブ人で静岡に来たのは20年程前。静岡をあえて選んだ訳ではなく、たまたま選んだ日本語学校が静岡にあっただけのことで、それからこの街が気に入ってずっと住んでいる。
 この店自体は、できてまだ一年だが、ここの料理を食べると体調がよくなると口コミが広がり、リピーダーも多くなった。遠方からも客が来るようになり、東京のエジプト料理屋を営む人たちまでもがやってくる。ハーブは地元の農家と契約して作ってもらい、手に入らない香辛料はエジプトまで買いつけにいくなど、彼の言う通り、「徹底的に」こだわっている。ただ、こだわり過ぎるため、繁盛店にも関わらず、未だに儲からないとも嘆く。その割にどこか余裕が感じられるのは彼が、この店とは別に中古車屋を経営しているからなのかもしれない。
 トウガラシのタレをつけたターメイヤには、ノンアルコールとはいえ、ビールがよく合った。アルコールが飲めないイスラム教徒は食事中、水、もしくはグアバかマンゴージュースを飲むのだそうだ。料理に合うビールがあったらいいのに……と言うと逆に質問をされた。「酒」、「レイプ」、「殺人」の中で一番、罪が重いのは何だと思いますかと。「レイプ」と「殺人」のどちらかと言われると難しいが、「酒」が一番、軽いことには違いない。しかし、こんな質問をするということは……
「酒です」
 僕が答える前に彼は言った。彼の見開いた目に吸い込まれそうになる。酒で酔うと人間はおかしくなる。そして、レイプも殺人も犯してしまう。だから元凶となる酒が悪いのだと。

神道とイスラム教は似ている?

「マハシ」が運ばれてきた時には既にランチタイムの閉店時間を過ぎていた。僕は勘違いしていた。この店は終日、営業している店だとばかり思っていたのだ。すでに女性客は帰り、客は僕だけになっていた。
 エジプト風ロールキャベツと書かれていた「マハシ」は、イカ飯のイカがナスに変わった感じにも思える。この料理もハーブがよく効いていて身体が喜ぶ味だった。特に深酒の翌日には。
 奥様は入口にカーテンをかけ、着々と閉店の準備を進めていた。アルバイトの女性の手の甲に別れの挨拶と感謝を込めたキスをして、お礼を言い、先に返す。ランチタイムのギリギリの時間に入ってきて、時間のかかる「マハシ」を頼んだことが申し訳なく思えてきた。
「シュジン ガ イマスカラ ユックリ デ ダイジョウブデス。ワタシハ ハイシャ ノ ヨヤク ガ アルノデ サキニ シツレイシマス。コレ サービスデス」
 マハシを慌ててかきこもうとする僕に彼女はそう言った後、米と生クリームのデザート「ロズブラバン」を出してくれた。
 店主も僕のテーブル席に座ったので、お言葉に甘え、もう少し話を聞かせていただくことにする。イスラム圏の食事を意味する「ハラール」について尋ねてみた。アルコールや豚肉がダメなのはもちろんだが、鶏肉でも血抜きをしなくてはいけないそうだ。そこから日本の宗教の話になった。
 僕の自宅には仏壇と神棚がある。あまり意識はないけれど仏教系の信者であると同時に神道系の信者ということになる。家に仏壇や神棚があるかないかはともかく日本では9割以上の人々が、神社にも寺にもお参りに行く。これは外国人から見ると不思議に映るらしい。「どっちを信じているの?」と外国人から聞かれたことは一度や二度ではない。
「日本というのは、昔は神様と仏様は一緒だった(神仏習合)んだけど、途中から神様と仏様は分けるようになった(神仏分離)歴史があるんですよね」
 と言い始めるが、相手が納得する答えまでたどりつかない。
 彼と日本の仏教と神道について話し始めた際、いつもの展開を予想したが、全く違う展開になった。日本人の神道の教えはイスラム教に通じる部分があるのだと言うのだ。イスラム教も神道も偶像崇拝じゃない共通の部分から理由を述べ始めてくれる。彼が淡々と述べる宗教論は吸い込まれていくような心地よさはあるが、僕の知識不足もあり、途中から、よくわからなくなってしまった。ただ、日本人がイスラム教徒になれば、とてもいい信者になれると彼が思っていることだけはよくわかった。
 一日5回もお祈りする習慣は面倒じゃないのかなぁと言うと彼は、一回につき3分もかからないと言い、一日たった15分足らずのお祈りで神様が守ってくれるなんて素敵なことではないかと主張した。不謹慎だが、昔、英語教材を売っているおばちゃんから、一日15分の勉強で英語が話せるようになると言われた日のことを思い出した。
 彼の腕時計のアラームが鳴る。15時を告げていた。お祈りの時間が刻まれているのだろう。米の粒々の食感が心地いいデザート「ロズブラバン」の残りをさらえると席を立ち、清算を済ませだ。
 彼の話を聞いているうちに静岡駅を降りた時の倦怠感は吹き飛んでいた。ハーブの効果が既に効いているのかもしれない。店を出るとテイクアウト用の小さな窓を再び見る。入る時とは全く違い、テイクアウトで訪れる気持ちがわかる気がした。
 さて、これから久しぶりに学生時代の仲間たちと静岡の繁華街「七間町」で飲む約束をしている。今日も深酒になりそうだ。そう思うとまた気持ち悪くなってきた。
イシコWebマガジン幻冬舎
世界一周ひとりメシ in JAPAN

イシコ Ishiko

一九六八年岐阜県生まれ。静岡大学理学部卒。女性ファッション誌、WEBマガジン編集長を経て、二〇〇三年(有)ホワイトマンプロジェクト設立。五十名近いメンバーが顔を白塗りにすることでさまざまなボーダーを取り払い、ショーや写真を使った表現活動、環境教育などを行い話題となる。また、一ヵ月九十食寿司を食べ続けるブログや世界の美容室で髪の毛を切るエッセイなど独特な体験を元にした執筆活動多数。著書に『世界一周ひとりメシ』(幻冬舎文庫)がある。

世界一周ひとりメシ in JAPAN
バックナンバー

第18回 遊牧民の血が騒ぐモンゴル人店主(東京都新宿区)
第17回 韓国料理店で刺身を食べる(大阪府大阪市)
第16回 ロシア流酒の呼び方と飲み方(福岡県福岡市)
第15回 辛くすることはできても甘くはできないカレー屋(福岡県福岡市)
第14回 インド料理激戦国日本で鳥栖に辿り着いたカレー職人(佐賀県鳥栖市)
第13回 世界一周してきてもウイグル料理の特徴を知らない(埼玉県さいたま市)
第12回 ぜったいひとりメシに向かないトルコ料理店(東京都荒川区)
第11回 謎のメモが導いた日本で唯一のスロヴェニア料理店(京都府京都市)
第10回 焼鳥屋でスウェーデン人が働く理由(東京都杉並区高円寺)
第9回 一妻多夫な生活を想像しながら(愛知県名古屋市)
第8回 アフリカの餅(東京都新宿区)
第7回 日本の国教がイスラム教になる可能性(静岡県静岡市)
第6回 ミャンマーの少数民族と怖い話(東京都新宿区高田馬場)
第5回 中国語でしか予約できない中華料理店(愛知県名古屋市中区)
第4回 年老いたドイツ人店主の料理店は果たしてぼったくりなのか?(東京都港区六本木)
第3回 美人姉妹のいるイラン料理屋でひとりメシ外交(愛知県名古屋市東区)
第2回 東京のリトルインディアは本当にインド人で溢れているのか?(東京都江戸川区西葛西)
第1回 “東京の大阪"でテレビの位置が気になるタイ料理屋に入る。(東京都墨田区錦糸町)

ひよこ豆はエジプト料理にはよく使われる。ターメイヤの向こうに見えるエイシに挟んでサンドイッチにして食べるのがおススメ。

エジプトの家庭料理のマハシ

エジプトの家庭料理のマハシ。ナスの代わりにピーマンやズッキーニの中に米を詰めることもある。

米を使ったデザート 「ロズビラバン」...

エジプト人は甘党が多い。写真の米を使ったデザート 「ロズビラバン」以外にも、お餅のようなデザート「マルバン」や甘いケーキ「バスブーサ」などもある。

エジプトのビール

エジプトはビール発祥の地で、古代エジプトでは、どの家庭でもビールが作られていたことが壁画の記録などからわかっている。現代のエジプトは9割がイスラム教徒なので飲む人は少ないが、キリスト教徒や外国人観光客向けに国内でもいくつかのメーカーが生産している。代表的なエジプトのビールメーカーは「ステラ」。

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