ナイジェリアの場所は知らないけれど

 アフリカの白地図にさらりと国名が書くことができる人にあこがれる。エジプトと南アフリカ以外の国はあやふやで、コートジボアールに至っては数年前まで中南米だと思っていた。
 ナイジェリア料理店の入った雑居ビル。幅の狭い階段をのぼりながら西アフリカの細かい国境線を思い浮かべる。近隣国のブルキナファソは訪れたことがあるのでナイジェリアが西アフリカだということはなんとなく憶えているが正確な位置はあやふやだ。
「イラッシャイマセ。マエニ キタ?」
 太い木の枝が取っ手の緑の扉を開けると、カウンター内に長身の黒人が立っている。人懐っこい笑顔だ。10名程が座れるカウンター席が店の中心で壁には酒が並び、照明も暗く、料理店というよりはバーに近い。
 この店は友人が見つけ、1ヶ月ほど前に連れてきてもらった。その時は鮨屋でかなり飲んだ後だったので、つまみはミックスナッツ程度でほとんど頼まずナイジェリアビールを飲んで帰った……はず。かなり酔っていたようで、帰りのタクシーに乗った記憶がない。翌日、聞いたところによると友人に送ってもらったらしい。よって、この店での記憶が危うい。ただ、ひとりメシで来やすそうな店だったということは憶えている。
 18時の開店に合わせてやってきたが、既にカウンターで日本人の客が飲んでいた。店主と一対一なら、ぎこちなくても多少は会話ができそうだが二対一ではタイミングを見測るのが難しい。しかも常連客のようで店主と親しげに話している。こうなると会話の中に入る難易度は高くなる。
 彼から2つ席を開けて座り、カウンターの上に置かれたクリアファイルに挟まれたメニューを広げる。アフリカの白地図も挟まれていて、ナイジェリアの位置が記入されている。コブのように出っ張っている西アフリカのちょうど付け根あたり。
「ナニ ニ シマスカ?」
 店主の被った帽子を見ながら、ナイジェリアのビールと羊の肉を焼いた「スヤ」を注文した。プリンなどを入れるココットを逆さにしたような帽子は民族衣装なのだろう。
 ナイジェリアのビールはいくつか種類があり、カウンターの上にもビール瓶が並べられている。黒ビールで知られるギネスがあることで、ナイジェリアは英語圏だったことを思い出す。有名なビールの醸造所は意外にアフリカや中南米などにあったりすると聞いたことがある。ギネスもナイジェリアで醸造しているのだろう。通常のビールも銘柄の横にナイジェリア産とガーナ産と書かれている。あれ? ガーナも英語圏だったのか。西アフリカはイギリスとフランスの縄張り争いの時代が影響していてややこしい。スマートフォンでアフリカの地図を出し、ついでに各国の言語も確認する。ナイジェリアの西側にあたるベナン、トーゴはフランス語圏だが、その西側のガーナになると英語圏になり、更にその西側のコートジボアールになると再びフランス語圏になる。やはり、ややこしい。

健康酒で記憶をなくしたことを思い出す

 ビールの大瓶が1本1500円というのは少々、高い気はするが、遠い国から運ばれてきたことやどっしりとした濃い味を考えると仕方ないかとも思う。一気に飲み干したグラスに二杯目のビールを注ぐ頃、座っていた客は帰ってしまった。どうやら7時から別の飲み会があるらしい。よし。これで客は僕一人である。
「この店は何年くらいやっているんですか?」
 グラスを片づけ、布巾でカウンターをさっと拭く店主に質問を投げかける。お見合いで「ご趣味は?」とぎこちなく聞く男のように。しかし、質問と同時に二人客が入ってきてしまい、自然に目線は扉に向く。
 スキンヘッドの細身の欧米人男性と小柄な若い日本人女性。欧米人男性と店主は知り合いのようだ。彼らは先程の客がいた席に座った。
 質問が宙に浮いてしまった心地悪さをまぎらわすようにグラスに口をつけ、目線を店内に散らす。カウンターの上には赤、黄、緑のセロハンが貼られた裸電球の装飾がぶらさがり、スピーカーからは打楽器中心のアフリカ音楽が流れ、モニターにはナイジェリアの女性たちが独特の腰つきで踊る様子が映し出されている。
 カウンター内の隅に置かれたガスコンロと湯沸かしつきの小さな流し台では、店主が、リズミカルにスパイスをふりかけた後、器に料理を盛り付けていた。
「ハナシ トチュウデ ゴメンナサイ。コノ ミセハ 10ネン ニ ナリマス」
 ビールの横にスヤを置きながら言った。質問をなかったことにしようと思っていただけに気恥ずかしさもあり、彼の答えに対し、ひきつった笑顔で曖昧にうなずく。会話がうまくつなげられない。それをごまかすように、焼いたラムとたまねぎが入ったスヤの器をのぞきこんでつまむ。ピーナッツ風味のスパイスとトウガラシがラムの臭みを緩和していて食べやすい。
 また一人客が入ってきた。
「オゴゴロ……ソーダ割りで」
 メニューも見ないで、さらりと言った。彼も常連客らしい。そういえば、前回、来た際、「オゴゴロ」なるナイジェリアの酒も飲んだ。ナイジェリアの木の皮や木の根などを漬けこんだ蒸留酒である。健康酒らしいのだが、かなりアルコール度が高く、それを何も割らずにショットグラスで一気に流しこんだと思う。一杯だったのか、二杯だったのかは憶えていない。うとうとし始めた頃、店主が店内に置かれたジャンベを叩いて演奏していたはず……少しずつ記憶が蘇ってくる。
 店主はジャンベどころではなく、カウンターの中で忙しそうだった。小さな冷蔵庫からジップロックに入った素材を取り出し、その上に置かれた電子レンジに入れて解凍する。家庭用ガスコンロの上に置かれた調理中の鍋を確認し、棚から「オゴゴロ」とカタカナで書かれた瓶を取り出し、ソーダ割を作る。
「今晩、8時から6名入れますよね?」
 また入口のドアが開き、中年女性が店内を物色するように聞く。いったい、この店の混み方は、どうなっているんだ、まだ6時台である。寄席で知られる末広亭近辺の新宿三丁目は繁華街だが、一本はずれると再開発が忘れられたような場所もある。そうなると人通りは決して激しくない。この店がある通りのように。それにも関わらず、これだけ混んでいるというのは意外だった。だから10年も続いているのだろうけど。
 店主は予約を記入しているであろうノートを見ながら首をかしげている。
「ヨヤク…… ハイッテナイ……」
 予約が入っていなければ入れるだけなのだが、彼の表情は曇っている。
「後で来るので、予約を入れたいなぁと思って…」
 彼女が補足したことで状況が飲みこめたようだ。
「ア〜、キョウ コレカラ ヨヤクネ?ダイジョウブ、ダイジョウブ。ココニ ナマエ ト デンワバンゴウ オネガイシマス」
 女性は予約名簿のノートに書きこむと、「お願いしま〜す」と言って出て行った。きっと8時になると店の奥の西アフリカのように出っ張っているスペースに置かれたテーブル席を彼女たちは陣取るのだろう。その席に6名も座ったら、彼は一人で対応できるのだろうか。でも、前回、来た時は日本人の女性スタッフもいたので、もう少ししたらスタッフが加わるのかもしれない。ともかく店主と会話ができる状態ではなかった。

餅好きにはたまらない「ヤム芋の餅」

 トイレから戻ると水の入った銀色の器が目の前に置かれた。スナックでトイレから戻って席に着く際、ママがおしぼりを出してくれる光景を思い浮かべながら、器をのぞきこむ。
「テ デ タベルカラ」
 店主はそう言った後、注文していたエグシシチューを置いた。フィンガーボールである。つまり手で料理を食べた後、汚れた手を洗うボールなのだ。
 エグシとはメロンに似たウリ科の種を粉末状に潰した物で、トマトベースのスープに入れるとシチューのようなとろみが出る。これにヤム芋を餅にした「エマ」をつけて食べるのだと注文した際に聞いた。「エマ」は鏡モチのようにかなりボリュームはあるが、するすると食べられてしまい、餅が大好きな僕にとってはたまらない。ブルキナファソでも似たようなヤム芋の餅(「フフ(フトゥ)」と呼んでいた)を魚の煮込み料理やオクラのスープにつけて食べていた。これがあまりに美味しく、それがブルキナファソの滞在を1週間から3週間に延ばした理由の一つにもなった。
 「エソギエってどういう意味なんですかぁ?」
 欧米人男性と一緒に来ていた若い女性が店主に質問を投げかける。僕も店名に疑問をいだいていたので、これはありがたい。
 エソギエは彼の出身部族の名前で、王様からの贈り物という意味なのだそうだ。ナイジェリアでは英語名と部族名が二つあり、普段、彼は英語名の「ラッキー」を使用しているが、店名は部族名を使用している。
 また一人の男性客が入ってきた。
「イラッシャイマセ マエニ キタ?」
 僕が入ってきた時と同じ対応である。常連客には「マエニ キタ?」と言っていないので、来たかどうかの記憶があやふやな人にだけ言うのかもしれない。あるいは、棚の隅に置かれている「レストランサービス」の本にでも書いてあるのかもしれない。
 20代後半くらいの彼は、「初めてです」と答えると入口に近いL字型の角の席に座った。カウンターのはずれだが、店全体を見渡すにはいい席である。彼は店内の装飾や座っている人を順番に眺めていき、僕の食べている餅で視線が止まるのを感じた。
 ラッキーさんは声が大きいので、音楽が流れていても客との会話が聞こえてくるのが僕にとっては、ありがたい。オゴゴロのソーダ割を飲む一人客にスヤを出す際、野球の話をしていた。トイレに野球メンバー募集のチラシが貼ってあったことを思い出し、日本人のメンバーと一緒に写っていた黒人がラッキーさんだったことを確信する。野球のメンバーが、この店の常連客になっている可能性も高い。そう考えると最初に店に入った時に座っていた一人客も野球をやっているように思えてきた。
「どうして日本に来たんですか?」
「日本に来て何年目ですか?」
「この店は自分でやっているんですか?」
 先程、入ってきた一人客の男性は注文の合間にスマートに質問を連発した。臆することなく質問できることが、うらやましい。しかし、こうして僕が黙って飲んでいても、いろいろな方がいろいろな質問を投げかけてくれるので、ありがたい。僕の近くに座っている常連客からすれば何度も聞いている話かもしれないけど。彼はスヤをつまみ、オゴゴロのソーダ割をすすりながら、再びスマートフォンをいじっていた。
 ラッキーさんは来日してから既に15年が経つ。店は自分で区役所などの申請に行って、ほぼ自力でオープンさせたと一つ一つの質問に丁寧に答えていた。ただ、日本に来た理由だけは、はぐらかしていた。言いづらい何かがあるのかもしれない。
 ビザを取得するだけでも大変そうなのに店を出すなど想像を絶する。しかも、この店が10年目ということは、この店を始めたのは日本に来て5年目の時ということになる。知らない国で5年目にして店を出すなど早々、できることではない。明るい笑顔の裏には強い決意を胸に祖国を出てきた過去があるのだろうか。
 食後にオゴゴロのストレートとチェーサーの水をもらう。
「コノ オサケ ハ カタコリ ニ イイネ」。
 ラッキーさんのこの言葉が店内の客同士が話すきっかけになるかと一瞬、期待したが、特に何も変わらなかった。欧米人と日本人女性はなぜか合気道の話で盛り上がっており、初めて来た男性客は料理を写した後、ネットに投稿することに夢中で、オゴゴロのソーダ割を飲んでいる男性は通信ゲームでもしているのかスマートフォンをタップし続けていた。 
 そして、ラッキーさんは相変わらず、料理と飲み物の対応で忙しそうだった。
 オゴゴロを一気に呷ると泥臭い香りが口の中に広がった。その後でチェーサーの水を飲み、会計をお願いする。ほとんど質問はできなかったし、客と会話をしたわけでもないが妙に居心地がよかった。何よりアフリカの餅が食べられたからかもしれない。アフリカの餅が食べたくなったら、また来よう。
 釣り銭を受け取る際、「ごちそうさまでした」と言って、ラッキーさんの顔を見ながら、ふと思った。街でラッキーさんと会ってもわからないだろうなぁと。アフリカの白地図にさらりと国名が書ける人と同じくらい、黒人の顔の認識ができる人にもあこがれるんだよなぁ。
イシコWebマガジン幻冬舎
世界一周ひとりメシ in JAPAN

イシコ Ishiko

一九六八年岐阜県生まれ。静岡大学理学部卒。女性ファッション誌、WEBマガジン編集長を経て、二〇〇三年(有)ホワイトマンプロジェクト設立。五十名近いメンバーが顔を白塗りにすることでさまざまなボーダーを取り払い、ショーや写真を使った表現活動、環境教育などを行い話題となる。また、一ヵ月九十食寿司を食べ続けるブログや世界の美容室で髪の毛を切るエッセイなど独特な体験を元にした執筆活動多数。著書に『世界一周ひとりメシ』(幻冬舎文庫)がある。

世界一周ひとりメシ in JAPAN
バックナンバー

第18回 遊牧民の血が騒ぐモンゴル人店主(東京都新宿区)
第17回 韓国料理店で刺身を食べる(大阪府大阪市)
第16回 ロシア流酒の呼び方と飲み方(福岡県福岡市)
第15回 辛くすることはできても甘くはできないカレー屋(福岡県福岡市)
第14回 インド料理激戦国日本で鳥栖に辿り着いたカレー職人(佐賀県鳥栖市)
第13回 世界一周してきてもウイグル料理の特徴を知らない(埼玉県さいたま市)
第12回 ぜったいひとりメシに向かないトルコ料理店(東京都荒川区)
第11回 謎のメモが導いた日本で唯一のスロヴェニア料理店(京都府京都市)
第10回 焼鳥屋でスウェーデン人が働く理由(東京都杉並区高円寺)
第9回 一妻多夫な生活を想像しながら(愛知県名古屋市)
第8回 アフリカの餅(東京都新宿区)
第7回 日本の国教がイスラム教になる可能性(静岡県静岡市)
第6回 ミャンマーの少数民族と怖い話(東京都新宿区高田馬場)
第5回 中国語でしか予約できない中華料理店(愛知県名古屋市中区)
第4回 年老いたドイツ人店主の料理店は果たしてぼったくりなのか?(東京都港区六本木)
第3回 美人姉妹のいるイラン料理屋でひとりメシ外交(愛知県名古屋市東区)
第2回 東京のリトルインディアは本当にインド人で溢れているのか?(東京都江戸川区西葛西)
第1回 “東京の大阪"でテレビの位置が気になるタイ料理屋に入る。(東京都墨田区錦糸町)

日本でいうバーベキューのように焼いた料理を総称して「スヤ」と呼ぶ。ピーナッツやトウガラシをまぶして焼くことが多い。

ヤム芋の餅

西アフリカではキャッサバやヤム芋を餅状にした物が主食の一つ。エグシシチューのような煮込み料理につけて食べる。ナイジェリアはヤム芋生産量世界一位らしい。

オゴゴロ

オゴゴロの度数は37度と47度の二種類。

ナイジェリアのビール

ナイジェリアにはビールメーカーが多い。全般的にコクのあるビールが多く、代表的なブランドはスターとグルダー。ナイジェリアのギネスはヨーロッパなど他の国で飲まれるギネスよりアルコール度数が高い。

ナイジェリアのビール
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