歓迎の気持ちは“塩"に託す

 塩で清めて家に入ることはあるが、塩で歓迎を受けたことはない。塩をなめてテキーラを飲むことはあるが、塩をなめてパンを食べたことはない。スロヴェニアではお客様を食事に迎える際、塩とひとかけらのパンを出して迎えるのだそうだ。
「昔、塩は貴重な物だったので、それをパンと一緒に出すことで、お客様に対し、歓迎の気持ちを現したんです」
 眼鏡をかけた小柄な日本人女性はパンと塩の載った木製の大きな皿をテーブルの上に置いて説明してくれた。彼女はスロヴェニア人店主の奥様らしい。
「塩はアドリア海産です」
 とつけ加えた。僕はスロヴェニアの国の位置だけしか調べてきていない。スロヴェニアが面している海は地中海ではなかったのか。地理に弱い僕は思わず、「えっ? どこですか?」と聞いてしまう。どうやら地中海とは、ユーラシア大陸とアフリカ大陸を挟んだ海全般のことを言うらしい。一方、アドリア海は、イタリア半島とギリシアなどがあるバルカン半島とを挟んだ海のこと。地中海の一部になる。太平洋と東京湾の関係みたいなものか。
 次に出された蕎麦粉の生地にたまねぎやチーズを載せて焼いたズリヴァンカなる料理にも驚かされる。スロヴェニアは蕎麦を食べる国なのか!? この店のホームページのメニューに蕎麦という文字を見かけたが、きっとスロヴェニア人が日本で蕎麦に出会い、蕎麦打ちを覚えたので試しに出している程度にしか思っていなかった。僕としてはスロヴェニア料理というよりは、キャラクターの濃いスロヴェニア人がレストランをやっていそうというだけで訪れる価値があると思っていたのだ。
 この店を見つけたのは偶然だった。スマートフォンに記入したメモを整理していると、「ハンガリー チャーハン」とだけ書かれたメモを見つけたのだが、何のことだか思い出せない。メモが保存された数ヶ月前の日付とスケジュール帳を見比べ、東京で京都在住のデザイナーと飲んでいた際のメモだと思い出したが、二つの単語が繋がる理由がわからない。京都で外国人がやっている料理店の話になったような気がするなぁと記憶をたどるが、曖昧なままだった。それを確認するためにわざわざ連絡するのも申し訳ない。ハンガリー人がやっている店で、最後に必ずチャーハンを出す……じゃなかったかなぁとパソコンに打ち込んでみる。「京都 ハンガリー チャーハン」と。ハンガリーカフェなるものはでてきたがチャーハンの文字は見当たらない。とりあえずハンガリーカフェの店主がハンガリー人だったら興味を持つのだが、店主がどこの国の人かが出て来ない。
 いったん、検索エンジンに戻り、「京都 外国料理 レストラン」で再度、打ち込んでみた。その時の上位に出てきたのが、このスロヴェニア料理店のホームページだったのである。クリックすると店の外観に描かれたかわいらしいイラストのトップページが現れ、扉にカーソルを持っていくと、夫妻のイラストが出迎えてくれる。さらにクリックするとバンダナを額にハチマキにしているスロヴェニア人店主の笑顔の写真が出てきた。映画「ランボー」のシルベスタースタローンを上品にした陽気なおじさんといった感じだった。
 しかし、実際はホームページの写真の印象とは違っていた。カウンターの向こう側のキッチンで黙々と料理を作る店主は、どちらかというとラーメン屋の頑固おやじに近い。

前日は満席で入れず

 奥のテーブル席では3人家族が食事を楽しんでいた。会話の内容や「……じゃけん」という語尾から、広島近辺から京都に旅行に来ているのだろう。今日の予約は僕とその家族で終了のようだ。
 前日、予約しないで来店したのだが、いっぱいで入れなかった。地下鉄の終着駅から徒歩5分、大きな印刷工場や寂れた町にありそうなスーパーがあり、京都らしい街並みは感じられない場所にあるスロヴェニア料理店がそんなに人気のある店だとは思いもよらなかったのだ。仕方なく次の日にコース料理の予約をお願いし、その日は京都在住の親友の家に泊めてもらい、再度、訪れたのである。
 ホームページのイラストに描かれていた通りの外観で、一階は菓子とスロヴェニア雑貨を販売しており、5名程が座れるカウンター席のカフェも併設されている。階段の前で靴を脱ぎ、下駄箱に入れ、細い急な階段を上がると部屋の入口の前にスリッパが置かれている。まるで友人の家のリビングに遊びに来たかのようなスペースだ。カウンターを境にキッチンスペースと客席が別れており、15名も入れば、いっぱいになるだろう。テーブルと椅子は全て木製だが、お揃いではなく、一つずつ集めていったのだろうと思われる。カウンターに一番近い席に用意されていた僕の席は、一枚板の素朴なテーブルで椅子の足は低めだが、座った途端、空間にすっぽり収まったような心地よさがある。客席にはスロヴェニアの絵本や操り人形などが散りばめられるように飾られているが、ごちゃごちゃした印象にならないのは、レイアウトのセンスだろう。スピーカーから流れるヴァイオリンで演奏しているロックバンドU2の曲からも独自性が感じられ、夫婦ふたりで、この空間を、こつこつ積み上げて育ててきたことが想像できる。
「オネガイシマス」
 初めてスロヴェニア人店主の低い声を聞いた。出来上がった料理をカウンターの上に置くエンジのバンダナをまいた店主は、やはり苦虫を噛みしめた職人のような顔をしている。「日本はどうだい?」などとフレンドリーに聞ける雰囲気ではない。奥様に対しても「お願いします」という敬語にもピリッとした職人の空気を感じる。
 じゃがいもにレンズ豆を練り込み、オーブンで焼いたパイ。モロッコいんげんを上に載せ、最後にかぼちゃの種で作られたオイルを垂らしている。スウェーデン原作のアニメの主人公「ビッケ」を女性にしたような奥様の説明も優しく温かいが、客とスタッフの線引きがきちっとされている雰囲気を感じる。
 スロヴェニアのビールは日本に入れている代理店がないので、一杯目はチェコのビールをいただいていたが、次にスロヴェニアのワインを頼むことにした。
「次は豚肉なので、本来でしたら、赤なんでしょうが、スロヴェニアには肉にも合うしっかりした白ワインもあります。どうしましょうか?」
 もちろん、その白ワインをいただいてみる。出てきたローストポークの上にかかった豆のソースは見た目ほどしつこくない。そして、白ワインのコクのある甘味によく合った。隣に添えられた芽キャベツのソテーが、これまた美味しい。野菜も自分の畑で採れたものを使っているらしい。
 先客の家族が支払いを済ませ、呼んだタクシーが到着して帰っていき、客は僕一人だけになった。

スロヴェニアの芸術的な養蜂箱

 柱に何枚も飾られた小さな木に描かれた絵について尋ねてみた。
「よくぞ聞いてくれました」
 日本人奥様は嬉しそうに言って、マガジンラックに入っていた本を取り出し、料理の脇に置いて説明を始めた。スロヴェニア語で書かれた本は、宗教画や民話が描かれた木の板が並べられた作品集だった。
 スロヴェニアは養蜂が盛んな国で、ヨーロッパに養蜂技術を広めたと言われている。蜂は種類が同じでも仲間以外の巣箱に入ってしまうと攻撃を受け、殺されてしまう。巣箱に間違えて入るというのは彼らにとっては命に関わることなのだ。スロヴェニア人は蜂が色を見わける能力を持っていることを知っていたので養蜂箱の入口の色を塗りわけた。そうすれば蜂たちはその色を見わけて迷うことなく自分の巣に戻っていくことができる。そのうち養蜂家の中で遊び心が生まれ、養蜂箱に民話や宗教画を油絵で描き始めたのだ。もちろん画家ではないので決してうまくはない。しかし、味がある。作品集はその絵を集めたもので、客席に飾ってあったのは、そのミニチュア版だった。
 だから、その隣に蜂のお酒が飾られていたのだ。人類最古の酒と手書きのポップも添えられている。
「赤スグリで割ったアルコール度数低い方にしておきましょうか?」
 僕の赤い顔で判断してくれたのだろう。赤スグリの酸っぱさの中に蜂蜜の酒の甘さを感じる酒をいただいた。一緒にデザートのチーズケーキが運ばれてくる。
「スロヴェニアのおばあちゃんが作ると素朴なざっくりした感じになるんです」
 ボリューム感たっぷりだが、入っているレーズンの甘酸っぱさのバランスがよく、別バラでするすると入っていってしまう。
 失礼な話だが、スロヴェニアの料理については元ユーゴスラビアという印象だけで、裕福ではない国というイメージを勝手に抱き、保存食に近い酸っぱい料理ばかりだと思っていた。調べてから来店すればいいのにという意見もあるだろう。僕は海外を旅する時も到着する前にその国のことをほとんど調べていかない。調べるとしても現地に行ってから。これには反対意見が多いけど、できるだけその時の自分の状態で、その国の第一印象を感じたいので、おそらくこれからも旅の仕方を変えることはないと思う。もちろん調べてから来た方が、もっと深く知れることもあるかもしれないが、情報に影響を受けやすい僕は、どうしても事前に調べた情報になぞった味わい方になってしまうのだ。
 最後にハーブティーを飲みながら、奥様からスロヴェニアの国の話を聞いた。スロヴェニアはユーゴスラビアに所属していた頃から発展していた地域で、国になって早々に民主体制を整え、ユーゴスラビアから独立した他の国々より一足早くNATOやEUに加盟した。2008年にはEUの議長国にまでなっている。料理も昔からバリエーションが豊かな国として知られているらしい。西はイタリア、北はアルプスを含むオーストリア、北東にはハンガリー、南は海も含んでクロアチアといった国々に囲まれた地理環境もあったのだろう。
 料理を全て出し終わっても、スロヴェニア人店主はカウンターから出てくる気配はなかった。閉店の時間も迫っていたので後片付けをしているようだ。彼は学生で京都に来て、そのまま住みついて35年になるらしい。その間に奥様と出会い、結婚し、この店を始めた。未だに日本でスロヴェニアの料理店はこの店だけらしい。
「スロヴェニア大使館の方がおっしゃっていたので間違いないと思います。ただ、今年、東京にできるような話もされていました」
 スマートフォンに京都在住の親友からメールが入っていた。食事が終わったら連絡をくれと。この後、彼主催の飲み会に合流することになっている。客席で電話をかけてもいいか断ってから電話する。
「ひとりメシ終わった? スロバキアやったけ? スロヴェニアやったっけ? まぁ、どっちでもええけど…で、その店は何駅?」
 この店の存在を知らなかった親友からの質問に、「何駅だったかなぁ…」とつぶやきながら、ふと顔をあげるとカウンター越しのスロヴェニア店主と目があった。
「JR? 地下鉄? JRなら太秦。地下鉄なら太秦天神川」
 ものすごく流暢な日本語にも驚いたが、料理と向き合う時の顔とは違い、ホームページで見た優しい笑顔だった。
 その後、合流した親友の飲み会には東京で飲んだデザイナーも参加していた。「ハンガリーとチャーハン」について尋ねたら、そんなことを言った覚えはないけどなぁと怪訝な顔をされた。未だにあのメモの意味はわからない。ハンガリーとチャーハン。不思議な組み合わせだ。ハンバーガーとチャーハンだったのだろうか……。今となっては何でもいい。ともかく、謎のメモのおかげで、美味しいスロヴェニア料理店に出会えたのだから。
イシコWebマガジン幻冬舎
世界一周ひとりメシ in JAPAN

イシコ Ishiko

一九六八年岐阜県生まれ。静岡大学理学部卒。女性ファッション誌、WEBマガジン編集長を経て、二〇〇三年(有)ホワイトマンプロジェクト設立。五十名近いメンバーが顔を白塗りにすることでさまざまなボーダーを取り払い、ショーや写真を使った表現活動、環境教育などを行い話題となる。また、一ヵ月九十食寿司を食べ続けるブログや世界の美容室で髪の毛を切るエッセイなど独特な体験を元にした執筆活動多数。著書に『世界一周ひとりメシ』(幻冬舎文庫)がある。

世界一周ひとりメシ in JAPAN
バックナンバー

第18回 遊牧民の血が騒ぐモンゴル人店主(東京都新宿区)
第17回 韓国料理店で刺身を食べる(大阪府大阪市)
第16回 ロシア流酒の呼び方と飲み方(福岡県福岡市)
第15回 辛くすることはできても甘くはできないカレー屋(福岡県福岡市)
第14回 インド料理激戦国日本で鳥栖に辿り着いたカレー職人(佐賀県鳥栖市)
第13回 世界一周してきてもウイグル料理の特徴を知らない(埼玉県さいたま市)
第12回 ぜったいひとりメシに向かないトルコ料理店(東京都荒川区)
第11回 謎のメモが導いた日本で唯一のスロヴェニア料理店(京都府京都市)
第10回 焼鳥屋でスウェーデン人が働く理由(東京都杉並区高円寺)
第9回 一妻多夫な生活を想像しながら(愛知県名古屋市)
第8回 アフリカの餅(東京都新宿区)
第7回 日本の国教がイスラム教になる可能性(静岡県静岡市)
第6回 ミャンマーの少数民族と怖い話(東京都新宿区高田馬場)
第5回 中国語でしか予約できない中華料理店(愛知県名古屋市中区)
第4回 年老いたドイツ人店主の料理店は果たしてぼったくりなのか?(東京都港区六本木)
第3回 美人姉妹のいるイラン料理屋でひとりメシ外交(愛知県名古屋市東区)
第2回 東京のリトルインディアは本当にインド人で溢れているのか?(東京都江戸川区西葛西)
第1回 “東京の大阪"でテレビの位置が気になるタイ料理屋に入る。(東京都墨田区錦糸町)

歓迎の印として出される塩とパン。この風習はロシアにもある。

蕎麦

スロヴェニアには蕎麦を使った料理が多く、塩バターをかけて食べる蕎麦がきもあるらしい。

パイに添えられたザワークラウトも美味しい。酸っぱいので酢漬けのイメージがあるが、塩をかけて発酵させる日本で言えば、漬け物のような製法。

ローストビーフ

ローストビーフ。スロヴェニアには豚肉料理が多く、豚の内臓に蕎麦と栗の実を加えたソーセージもあるらしい。

ワイン作りも盛んで、世界のワイン消費量はトップ10内に入る。

チーズケーキだけではなく、蕎麦の実を使ったケーキもあり、チョコも有名で、スィーツ天国。

スロヴェニアのビール

 19世紀からあるLasco(ラシュコ)とUnion(ユニオン)の老舗二大ビールメーカーがある。スロヴェニア人はワインをよく飲むが、ビールもよく飲むそうだ。全般的に軽い味のビールが主流。ビールの原料となるホップの生産が盛んな国としても知られている。

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