工場地帯に突如現れる本場インド料理店の看板

 子供の頃、いや、30歳を過ぎるまで、カレーは家庭かキャンプ場、学食か食堂せいぜいファミレスで食べるイメージが僕の中にはあった。しかし、ここ10年程の間にカレー専門店が続々と増え、今では東京のカレー専門店を集めただけで1冊の本ができる。その中にはインド料理店のカレーももちろん含まれる。そして、インド人経営のインド料理店は全国的に増え、今や僕の住んでいる岐阜の小さな街の中にだってインド人経営のインド料理店があるくらいだ。だからというわけではないが、岐阜県と地味さ加減では似ている(と僕は思っています。佐賀の皆さんごめんなさい)九州は佐賀県の街にインド人経営のインド料理店があっても不思議ではない。
 本来、鳥栖市に降り立つ予定はなかった。その前に滞在していた長崎で朝食ビュッフェが有名なビジネスホテルは連泊できず、次の滞在先の博多で予約していたデザイナーズホテルもやはり人気があるようで前倒しで連泊することができなかった。同じ街で別のホテルに泊まる選択もあったが、それだったら長崎から博多に移動する間に別の土地で一泊しようと思い、ネットで検索するうちに鳥栖市のマッサージチェアが部屋にあるビジネスホテルに目が留まったのである。
 20代後半から30代前半にかけて、大道芸を持って全国を渡り歩いていた時期があり、この街にも子供ショーで訪れたことがある。地名は覚えていたが、街の様子は全く覚えていない。きっと夜に到着し、コンビニで買った夕食で適当に済ませ、翌日、ショーをして、その日のうちに、すぐ次の土地へ移ってしまったのだろう。ただ、少なくとも当時は駅前に、こんな立派なサッカースタジアムなどなかったはずだ。現在、J1に昇格したサッカーチーム「サガン鳥栖」のホームグラウンドである。
 ホテルのフロントで食べる場所を聞いていると、インド人経営のカレー屋の話が出た。
「歩いたらかなり遠いですよ」
 そう言われたが、こちらは時間が腐る程あった。せいぜい夕方から部屋でワールドカップ予選の日本戦を観ることを考えていたくらいである。
 シャワーを浴び、草履に履き替えてホテルを出た。外は、まだ昼間の太陽である。駅前のメインストリートを西に歩いていくと国道34号線に出て、そこを左に折れ、南に下って……とフロントで受けた説明通りに歩いていく。
 国道の上を交差する長崎本線の高架下をくぐると工場地帯が広がっている。
 ブリヂストンのロゴが入ったお揃いの赤い帽子をかぶり、作業着を着た6名ほどの若者グループが前を歩いていた。きっと工場の夜勤に向かうのだろう。会話をしながら歩く横顔は日本人ではなかった。このあたりは外国人労働者も多そうだ。彼らは道路脇に何やら見つけたようでグループごと立ち止まり、木の枝でつついている。まるで登下校の途中を楽しむ小学生のように。彼らは低木の枝にからまる蛇をつついていた。聞こえてくる言葉から察するとタイ人のようである。
 彼らを抜き去り、さらに歩いていくと突如、「本格インド料理」の文字とカレー、タンドリーチキン、ナンの料理写真が載った大きな黄色の看板がかかった店舗が現れる。道路に面してスタッフの作業を見せられるようなガラス張りの部屋も施されていた。蕎麦屋で手打ち蕎麦を打っている様子を見せるようにナンを作っている様子を見せることもあるのだろう。

インド料理店の競争激化。佐賀にはまだ可能性がある

 店内に入ると小太りのインド人の中年男性が客席に座り、目の前には食べ終わったらしき汚れた皿が二つ程、置かれていた。客は誰もいない。きっとディナータイムが始まる前に腹ごしらえをしていたのだろう。
「いらっしゃいませ」
 白いシャツに黒いベストを羽織った彼はすぐに立ち上がり、窓際の席へ案内してくれた。その間に他のインド人スタッフが素早く彼の皿を片付ける。彼もやはり白シャツに黒いベスト。この店のフロア係のコスチュームなのだろう。
 メニューを見ると、この店にはインドのビールと供にネパールのビールも置いてある。
「インドとネパールは近いですから。この店はインド人と一緒にネパール人も働いています」
 流暢に日本語を操る小太りのインド人男性が店主だった。
 ネパールのビールが運ばれてきた際、いつものように、この店は長いのかどうかを聞き、その流れで日本に来てから何年になるのかを尋ねてみた。少しずつではあるが初めて入った店で、こういったことを聞くタイミングにも慣れてきた。大道芸と同じで数をこなせば、こなれていくものである。相変わらず聞く時に心の中で「よし、今、聞こう!」と気合は入れるけど。
 この店は4年、来日してから17年になるそうだ。長いですねと僕が言ったところで、キッチンにいたコックコート姿の若い男性から店主が呼ばれた。僕が座っている席からキッチンの様子もよく見えた。ヒンドゥー語は全くわからないが、ふてくされたような若い男性に対し、店主が怒っているように見える。店主の言葉に若者は返事をするわけでもなく、再びふてくされるようにフライパンに向かった。
「すみません。彼は、まだ入ったばかりでして。彼はネパール人です」
 店主は気まずそうに僕の方に向き直り謝った。やはり叱っていたようだ。言葉はどうしているのかと尋ねると、ヒンドゥー語とネパール語は似ていて、特に文字表記は似ており、日本人が中国語を漢字で想像できる例を用いながら説明してくれた。しかも、日本にやってくるネパール人は、一旦、インドで働いてから来ることが多く、彼もその一人で、ヒンドゥー語の会話にも慣れているそうだ。
 ネパール人の彼は、ベテランらしきインド人のコックに教わりながら、僕が注文したマサラパパドを作っていた。豆から作った薄焼きの煎餅に辛いソースで和えた野菜の具が載った料理である。店主に怒られた不満を詰め込んだのではないかと思うほど辛かったが、ビールにはよく合った。
 どこから来たのかを尋ねられ、岐阜から来たと答えると、店主は、岐阜に一日40万円売り上げるインド人経営のインド料理店があると言った。一瞬、僕の住む街のインド料理店が頭を過り、詳しい場所を聞いてみると、そこではなかった。岐阜県の中にもインド人経営の店は、いくつもあるらしい。彼が岐阜に詳しいのは、鳥栖市に店を出すまでは名古屋に近い春日井市にあるインド料理店で働いていたからだった。
 彼はインドのデリー出身で、デリーにいる時からインド料理店で働いていた。そこからドバイにあるインド料理店を経て、日本に渡り、東京、春日井のインド料理店で働き、4年前、佐賀に移って自分のインド料理店を持ったカレー一筋の人生である。それにしても、どうして佐賀だったのだろうか。
「日本は、今、インド人の店が多くて競争が激しいんです。日本で可能性のある場所を探しているうちに、鳥栖市にたどり着きました。ここには可能性が詰まっています。値段がちょうどいい不動産もありましたしね。本当は、もう少し小さい40席くらいの店が欲しかったですが」
 そう言って、60名程座ることのできる店内を見回した。テーブル席と座敷席の両方あり、アジア雑貨屋でよく見かける茶系の素朴なテーブルクロスで覆われ、ところどころの柱には象の顔を持つ神様ガネーシャのタペストリーがかけられている。レストランの有名口コミサイトの表彰状も飾られているところから察するとネット上では、かなりの有名店のようだ。

インド映画は嫌いです

 煙を巻き上げながら、鉄板にのったインド版つくね「シークカバブ」が運ばれてくる。かなり熱く、ふぅふぅ息を吹きかけながら、柔らかい肉の食感を堪能する。店主は、かなりおしゃべり好きのようで、僕がほふほふ食べている間もテーブル近くに立ったまま語り続けた。もちろん客が僕以外にいなかったということもあるのだろうが。人に見られながら食べるのは、少々辛いが、料理のコメントを求められるわけではなく、料理にまつわるエピソードを聞くだけなので楽しくもあった。デリーに住む87歳になるお母様の食事の話になった。ヒンズー教とチベット仏教が入り混じったような宗教の信者らしく、宗教上の理由からいっさいの動物の肉は食べない。それだけではなく、たまねぎ、にんにく、豆も種類によってはダメなのだそうだ。僕が食べていたシークカバブなどは、もってのほかである。
「私は肉を食べるので、デリーにいる時は母と別の鍋を使います。肉を調理した鍋で母の料理を作ることもダメなんです」
 カレー味のチャーハン「ビリヤニ」が運ばれてきた。シナモンがよく効いている。
「日本のお米を使っているので、パラパラしてないですけどね」
 店主が言う通り、チャーハンのようなパラパラ感はなく、少しだけカレーが残っている鍋に白いご飯を入れ、よくかき混ぜて取り出した感じだが、これはこれでうまい。サービスでつけてくれたひよこ豆のカレーも美味しく、僕の胃袋がもう少し大きければ、カレー一筋の職人が作る様々なカレーを食べてみたかった。
 飲み物をビールからウィスキーに変えた。インドはイギリスの植民地時代からスコッチウィスキーの製法で作っていて、ウィスキー生産量はかなり多い。僕が頼んだウィスキーのようにインドのブランドでも、生産はネパールといった物も多いらしい。水のことを考えたら、ネパールで作った方が美味しそうな気もする。
「私も日本では多少、酒をたしなみますが、インドでは一切、飲みません。肉は許してもらえますが、酒を飲んだら、家に入れてもらえませんから」
 故郷の話がよく出てくるが、デリーに戻ってインド料理店を出すことは考えなかったのだろうか。お母様もいるのだから。しかし、今のインドは嫌いなのだそうだ。日本でも格差という言葉をよく聞くが、それでもみんなスーツを着ているし、ぼろぼろのTシャツを着ている人など見かけない。インドの格差とはレベルが違う。お金持ちはさらにお金持ちになる現代のインドの社会構造に問題があり、金持ちは、みんなネパールに隠し口座を持ち、余剰金を入れてしまい、脱税は当たり前のことなのだと彼の語気はどんどん強くなり、最後に言い切った。
「そんな国でビジネスをしたくはありません」
 現在、彼は日本に帰化しようか迷っているそうだ。小学生の子供が3人おり、みんな生まれた時から日本なので、日本語の方が堪能だし、将来を考えると日本国籍の方がいいと思うと述べた。もちろん店を経営する上でも帰化した方が何かと便利なことも多いだろう。だからと言って、インド人の移住先としての日本は、そこまで人気があるわけでもないと言う。日本は物価が高いというイメージがあり、インド人にとって移住先の一番人気はカナダらしい。僕が大好きなインド人のプロレスラー「タイガージェットシン」もカナダ在住のインド人なのだと言ってみたが、「知りませんね」という一言であっけなく返されてしまった。粘り強く、偉大なインド人レスラーについて僕から説明をしようと思ったが、プロレス自体に全く興味がないようだった。
 そこで、数日前に観たインド映画の話をふってみた。すると、眉間に皺まで寄ってしまった。インド映画は嫌いで観ないし、そもそも映画自体が嫌いなのだそうだ。
「作ったお話で嘘ですからね。それだったら、ニュースやスポーツを観ます。今、起こっていることから学んだ方がいいです。その方がビジネスにも生かせますし。まぁ、子供たちはインド映画が大好きですけどね」
 ふった話題が二回続けて空振りに終わり、決して後味はよくないが、そろそろワールドカップ予選の試合開始時間も迫ってきたので会計をしてもらう。こうなったら三振覚悟でサッカーチーム「サガン鳥栖」の話をふってみた。インドはクリケットの国なので、店主はサッカーに興味がないことが予測できたが意外や食いついてきた。少なくともタイガージェットシンやインド映画よりは興味があるようだ。
 サガン鳥栖はJ1に昇格してから街に活気をもたらし、スタジアムを訪れる客も飛躍的に増え、店主も観に行くことがあるそうだ。
「本当はスタジアムで店のビラをまいたり、ゆくゆくはうちのブースも出して、いろいろな人に店の味を知ってもらいたいんですよね」
 彼にとってサッカー場はサッカーを楽しむ場所というより、ビジネスを広げる可能性の場所なのだ。
 店を出る際、彼の趣味を聞いてみた。「趣味」という日本語が一瞬、通じなかったように見えたので、「HOBBY」と言い直した。「あぁ〜」とうなずいた後、
「店を増やすことですね」
 と迷わず答えた。僕の発音が悪く、「HOBBY」が「HOPE」に聞こえてしまったのかもしれない。彼の頭は仕事のことでいっぱいだった。きっと「HOBBY」も仕事と答えるんだろうなぁ。
イシコWebマガジン幻冬舎
世界一周ひとりメシ in JAPAN

イシコ Ishiko

一九六八年岐阜県生まれ。静岡大学理学部卒。女性ファッション誌、WEBマガジン編集長を経て、二〇〇三年(有)ホワイトマンプロジェクト設立。五十名近いメンバーが顔を白塗りにすることでさまざまなボーダーを取り払い、ショーや写真を使った表現活動、環境教育などを行い話題となる。また、一ヵ月九十食寿司を食べ続けるブログや世界の美容室で髪の毛を切るエッセイなど独特な体験を元にした執筆活動多数。著書に『世界一周ひとりメシ』(幻冬舎文庫)がある。

世界一周ひとりメシ in JAPAN
バックナンバー

第18回 遊牧民の血が騒ぐモンゴル人店主(東京都新宿区)
第17回 韓国料理店で刺身を食べる(大阪府大阪市)
第16回 ロシア流酒の呼び方と飲み方(福岡県福岡市)
第15回 辛くすることはできても甘くはできないカレー屋(福岡県福岡市)
第14回 インド料理激戦国日本で鳥栖に辿り着いたカレー職人(佐賀県鳥栖市)
第13回 世界一周してきてもウイグル料理の特徴を知らない(埼玉県さいたま市)
第12回 ぜったいひとりメシに向かないトルコ料理店(東京都荒川区)
第11回 謎のメモが導いた日本で唯一のスロヴェニア料理店(京都府京都市)
第10回 焼鳥屋でスウェーデン人が働く理由(東京都杉並区高円寺)
第9回 一妻多夫な生活を想像しながら(愛知県名古屋市)
第8回 アフリカの餅(東京都新宿区)
第7回 日本の国教がイスラム教になる可能性(静岡県静岡市)
第6回 ミャンマーの少数民族と怖い話(東京都新宿区高田馬場)
第5回 中国語でしか予約できない中華料理店(愛知県名古屋市中区)
第4回 年老いたドイツ人店主の料理店は果たしてぼったくりなのか?(東京都港区六本木)
第3回 美人姉妹のいるイラン料理屋でひとりメシ外交(愛知県名古屋市東区)
第2回 東京のリトルインディアは本当にインド人で溢れているのか?(東京都江戸川区西葛西)
第1回 “東京の大阪"でテレビの位置が気になるタイ料理屋に入る。(東京都墨田区錦糸町)
マサラパパド

チャナ豆やひよこ豆など豆の粉にスパイスを混ぜ込んだインドの煎餅「パパド」に、野菜などにスパイスを混ぜ込んだ「マサラ」を載せるから、マサラパパドと呼ぶ。

シークカバブ

トルコ料理の「シシカバブ」の方が馴染みはあるが、実は、インドの「シークカバブ」がなまったのだと言われている。ちなみに「シーク教徒」のシークは弟子の意味で、シークカバブのシークは串の意味で綴りも違う。

ビリヤニ

本来、ビリヤニは手で食べた方が美味しい……となぜかミャンマーで教わったことがある。ヨーグルトをかける食べ方もある。

ネパールのビール

第2回でインドのビールは紹介したので、今回はネパール。ネパールは飲酒に関する年齢制限は法律で規制していない。国産ビールは、ネパールアイス、エベレスト。ムスタンがある。ヒマラヤ山脈の麓の水を使っていると聞くだけで美味しく感じられるし、実際に美味しい。

ネパールのビール
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