怒るバングラディッシュ人店主

 NPOに力を注ぐ人と聞いただけで、苦手意識を持っていた時期がある。崇高な理念を元に自分たちの考えが常に正しいかのように「べき」論を並べ、疑問を投げかけると、否定されたのだと勘違いされてものすごい口調で責められる。ぐったりしてしまうことが何度か続いたのだ。もちろん、その時期に出会ったNPOの方々がたまたまそうだっただけの話で、その苦手意識も今ではないんだけど。
「おかしいですよ。約束は守るべきです」
 店の扉を開け、中に入ったところで、声が聞こえた。バングラディッシュ人の姿と「べき」の助動詞。バングラディッシュ人が経営しているカレー屋が博多にあると福岡在住の友人から聞いた際、NPO活動も熱心にされている方だと言っていたことが頭を過り、NPOに苦手意識を持った時期も思い出してしまった。
 グレーのTシャツを着た大柄なバングラディッシュ人の店主は、無表情のまま、かなり強い口調で目の前に座る日本人男性を責めている。嫌な時に来ちゃったなぁと、一瞬、出ようかとも思ったが、入り口に近いテーブル席に座っていた店主の彫りの深い奥目と合ってしまった。
「いらっしゃいませ」
 決して、こびへつらわない感じで言うとすぐに立ち上がった。取り残された男性が座る気まずい空気が流れるテーブルの脇を通り、奥の二人がけテーブル席に向かう。テーブルの上にゲラと呼ばれる雑誌の試し刷りらしき物が置かれているところから察するともう一人の男性は編集者なのだろうか。水など飲み物が何も置かれていないので客ではないのだろう。ということは、客は僕だけ。
 席につくとキッチンとつながっているカウンターの上に大振りのワイングラスが6個程、ぶらさがっているのが目に留まる。どうやらワインはあるらしい。バングラディッシュの国教はイスラム教なので、お酒は置かれていないだろうと覚悟していたので意外だった。
 ワインがあるということはビールもあるのではとメニューを開く。バングラディッシュのビールはなかったが、日本のビールは置いてあり、それ以外に焼酎も日本酒もあり、もちろんワインもある。売りであるカレーは薬膳カレーとエビカレーと月ごとに変わる魚のカレーが中心。「辛くすることはできますが、甘くすることはできません」と添えられたメモが、まるで店主のことを現しているように思えた。
 ビールが運ばれてきた際、薬膳カレーを注文する。眼鏡をかけた編集者らしき彼を見ると修正用の赤いボールペンを握り、眉間に皺を寄せながらゲラを眺めていた。彼の頭越しに見える壁には、白い紙に「今月の魚のカレーは鯛カレー」と書かれていた。薬膳カレーの倍以上の値段で1800円。鯛が入っているからとはいえ、カレーとしては高い。いったい、どういったお客さんが、この店に来るのか想像がつかない。
 場所は博多の繁華街、天神から徒歩10分程度。警固交番という警察にふさわしい地名がついた派出所の前の横断歩道を渡り、イタリアから取り寄せたレンガで作った釜で焼いたピザを出すイタリア料理店、スーパー前に堂々と建つ無農薬専門の八百屋、頑固そうな親父が座っているコーヒー豆の焙煎屋など、こだわっていそうな店が立ち並ぶ商店街を抜ける。道はどんどん細くなり住宅街へと入り、そこからさらに脇道を入っていくと部屋番号の書かれたプラスチックのプレートが直接、ドアに貼ってある昭和の香り漂うアパートが現れる。アパート部分は2階で、この店は、その1階部分をリノベーションしたのだろう。木の温もりが感じられるような内装で、6つ程置かれたテーブル席と販売用のバングラディッシュの雑貨が並べられたスペース、そして、カウンターの奥がキッチンになっている。

建前じゃなく本音で言ってください

「この店は、はじめてですね?」
 テーブルにカレーを置くと店主は僕の表情を読み取るかのように凝視する。そして、カレーの説明を始めた。ご飯の上に載っているのは黒ごまではなく、黒クミンで美肌によく、カレーには19種類のスパイスが入っていて、食べると身体が温まり、汗をたくさんかいて身体にいいです……と。店主は、流暢な日本語で一通り説明を終えると再び編集者が座るテーブルへと戻る。座る寸前、サリーのような民族衣装を着た女性が店内に入ってきた。店主と一言、二言、ベンガル語(だと思う)を交わすと、またすぐに出て行ってしまった。きっと店主の奥様だろう。
 僕の注文したカレーを準備し、奥様と母国語で会話したことで、多少は感情が落ち着いたようで、店主の口調は穏やかになっていた。
「私も上から目線で言っているわけではないんです。私たちは本当に努力しているんです。それを理解してもらったから2ページもらうことができたと思っていました」
 バングラディッシュ人から「上から目線」という言葉が出るとは驚きである。そう僕が思ったことを編集者は口に出して言った。店主は無視して、黙ったまま雑誌のゲラに目を通していた。どうやら、2ページ使って、この店の紹介をすると約束したにも関わらず、できあがってきたページが1ページだったようだ。
「次は必ず。そうそう、先ほど、スパイスは19種類っておっしゃっていましたね。今、ここでは16種類になっているので直しておきましょうか? それと、円高で原材料が高騰しているにも関わらず、値段は据え置きということも付け加えておきましょうか?」
 編集者は2ページが1ページになったという話題をそらしながらも、店主の機嫌を損ねないように言葉を選んでいることが、こちらにまで伝わってくる。
「まだ時間ありますか?今、試作中のカレーのパウンドケーキがあるから食べて行ってください」
 店主は席を立ってキッチンの中に入って行った。小さな器に入れた一口サイズのパウンドケーキと水の入ったグラスを編集者に出した。その後で、僕のところにも食後のチャイに添えてパウンドケーキを持ってきてくれた。お礼を言うと、
「食べて感想をください。建前ではなく本音でお願いします」
 「建前」や「本音」がさらりと使えるバングラディッシュ人。ただ者ではない。いったい日本に来て何年になるのだろう……聞こうと思ったら、編集者が先に聞いていた。14年になるらしい。
「おいしい。カレーのケーキって聞いたら『えっ?』って思うけど、イメージと違いますね。これはおいしい」
 編集者は一口食べて感想を述べた。店主はカウンターの中でパウンドケーキをしまいながら、僕の方へ視線を移す。何か言わなくてはと思うのだが、その場で咄嗟に答えることが苦手な僕は言葉が出てこない。出てこないので焦ってしまい、さらに何も出てこなくなる。絞り出すような声で「美味しいです」としか言えなかった。それは建前ではなく本音だった。カレーと言うよりハーブを使ったパウンドケーキに近い……と今なら言えるのだが。
「ありがとうございます」
 店主は静かに言うと、このケーキを作るきっかけになった経緯を語り始めた。この店の常連客が夜中の2時に彼のところに電話をかけてきて、彼の会社が経営する店で、店主が作ったデザートを出したいと言ってきた。この店にはレモンパイなどのデザートメニューもある。店主は、新しいデザートを開発すると言って電話を切り、その日の夜中、徹夜してこのパウンドケーキを作り、翌朝、10時にその会社社長の元に届けた。その場で即商品化が決定したらしい。
「ここでも出すんですよね?値段決まっているんですか?それも情報入れておきましょうか? あっ、そうだ。次の号はスイーツ特集だから、そこで取り上げましょうよ」
 編集者は一気に口が滑らかになっていた。こんな調子で、この店を2ページ紹介しましょうと言ってしまったのかもしれない。
「まだ研究したいから、もう少し先にします。商品として出し始めたら、そのときに、また連絡します」
 店主の方が冷静だった。
 編集者の彼が出ていくのと入れ替わりで、会社帰りのスーツ姿の中年女性と若いカップル客が次々と入ってきた。
 「久しぶりですね」や「あの人元気ですか?」といった挨拶を店主が交わしているところを見るとどちらの客も常連のようだ。常連客に対しても淡々とした口調は変わらなかった。

二日続けて通ってしまう味と人柄

 翌朝、便が出た。僕は子供の頃から便秘症で、特に旅に出るとひどくなる。今回の九州の旅も到着してから3日程、便意を感じることは全くなかった。まぁ、いつものことなので気にしていなかったのだが、何の意識もなく、小用を足すために便座に座ったら、するっと放出されたのだ。ウォシュレットでお尻を洗い流しながら、先日の晩に食べたバングラディッシュのカレーを思い出し、「身体にいいです」とカレーの説明をした店主の顔を思い出した。
 翌日の昼食も同じ店に向かった。
「あれ?こんにちは。どうぞ。今、開けたところです」
 店の外の草木に水やりをしていた店主は、僕の顔を覚えてくれていたようだ。だからと言って、大げさに喜ぶわけでもなく、静かな微笑みだった。
 エビカレーを注文すると店主は言った。
「7、8分待ってください」
 5分もしくは10分ではなく具体的な数字だった。待っている間、壁に貼られた新聞の切り抜きを読む。写真には店主が写っており、空き缶を集めたお金でバングラディッシュに病院を作る活動を紹介した記事だった。店内には発展途上国の製品を適正価格で購入する「フェアトレード」の説明が書かれたパネルも貼られ、バングラディッシュ産のハンドメイドの鞄やストール、雑貨などが販売されている。こういった活動の全てを彼が代表を務めるNPOでやられているようだ。
 インドの東側に位置するバングラディッシュは、北海道と東北地方を合わせたくらいの小さな国である。そこに1億7千万人程度の人が暮らし、シンガポールのような都市国家を除けば、世界一人口密度の高い国だ。まだまだ発展途上の国で無村医も多く、そういった場所に病院を建てたいというのが店主の思いのようだ。
 驚くことにカレーが目の前に置かれるまで本当に7分の待ち時間だった。
「エビは皮ごと食べられます。そして、食べる時に一つだけ」
 店主は僕が着ていた白いシャツを指した。
「カレーが、はねないように注意してください」
 その心遣いに感動し、咄嗟に手を合わせて拝むようにお礼を言った。
 エビは殻ごと食べられる程、煮込まれていた。煮込んだだけで、これだけ柔らかくなるものなのだろうか。きっと聞いたら「企業秘密です」と怒ったように言われそうだ。でも、怒られている光景を思い浮かべると微笑んでしまう。僕は、すっかり店主のファンになっていた。
 開店してから30分足らずで、客席の半分以上が埋まってしまった。昨晩同様、常連客が多かったが、この店が初めての老人のグループもいた。彼らが「カレーの辛さ」について店主に質問していた。
「甘くはできません。だったら薬膳カレーがいいと思います」
 誰に対しても態度を変えず、店主は冷静に答える。どうやら彼らは店主の活動を紹介した新聞で、この店のことを知ったようだ。カレーを待っている間、バングラディッシュの雑貨を興味深そうに選んでいた。
 店主はカレーを出す際、グループの中で一番高齢そうな女性の老人の歳を聞いた。なんと93歳だった。93歳がカレーを食べることに驚いたが、この店のカレーだったら食べられそうな気もする。
「私の作ったカレーを食べた最高記録は、92歳です。それをあなたは超えました。後で写真を撮ってください」
 相変わらず淡々とした静かな微笑みだった。それを聞いて、93歳のおばあちゃんは笑った。こちらは満面の笑顔だった。店主の言った最高記録は本当かどうかわからない。たとえ嘘でも、店主の人柄が出た優しい嘘だった。
「嘘じゃありません」
 って怒られそうだけど。
イシコWebマガジン幻冬舎
世界一周ひとりメシ in JAPAN

イシコ Ishiko

一九六八年岐阜県生まれ。静岡大学理学部卒。女性ファッション誌、WEBマガジン編集長を経て、二〇〇三年(有)ホワイトマンプロジェクト設立。五十名近いメンバーが顔を白塗りにすることでさまざまなボーダーを取り払い、ショーや写真を使った表現活動、環境教育などを行い話題となる。また、一ヵ月九十食寿司を食べ続けるブログや世界の美容室で髪の毛を切るエッセイなど独特な体験を元にした執筆活動多数。著書に『世界一周ひとりメシ』(幻冬舎文庫)がある。

世界一周ひとりメシ in JAPAN
バックナンバー

第18回 遊牧民の血が騒ぐモンゴル人店主(東京都新宿区)
第17回 韓国料理店で刺身を食べる(大阪府大阪市)
第16回 ロシア流酒の呼び方と飲み方(福岡県福岡市)
第15回 辛くすることはできても甘くはできないカレー屋(福岡県福岡市)
第14回 インド料理激戦国日本で鳥栖に辿り着いたカレー職人(佐賀県鳥栖市)
第13回 世界一周してきてもウイグル料理の特徴を知らない(埼玉県さいたま市)
第12回 ぜったいひとりメシに向かないトルコ料理店(東京都荒川区)
第11回 謎のメモが導いた日本で唯一のスロヴェニア料理店(京都府京都市)
第10回 焼鳥屋でスウェーデン人が働く理由(東京都杉並区高円寺)
第9回 一妻多夫な生活を想像しながら(愛知県名古屋市)
第8回 アフリカの餅(東京都新宿区)
第7回 日本の国教がイスラム教になる可能性(静岡県静岡市)
第6回 ミャンマーの少数民族と怖い話(東京都新宿区高田馬場)
第5回 中国語でしか予約できない中華料理店(愛知県名古屋市中区)
第4回 年老いたドイツ人店主の料理店は果たしてぼったくりなのか?(東京都港区六本木)
第3回 美人姉妹のいるイラン料理屋でひとりメシ外交(愛知県名古屋市東区)
第2回 東京のリトルインディアは本当にインド人で溢れているのか?(東京都江戸川区西葛西)
第1回 “東京の大阪"でテレビの位置が気になるタイ料理屋に入る。(東京都墨田区錦糸町)
バングラディッシュのカレー

バングラディッシュのカレーはスパイスを豊富に使うが、作る人によって違う。具材は魚、肉(豚以外)、卵、豆と種類も豊富。日本同様ライスにかけて食べることが多い。

バングラディッシュもチャイの文化

バングラディッシュもチャイの文化。イスラム教徒なので、仕事後の一杯は酒ではなく、チャイ屋台でチャイという男性が多い。

バングラディッシュ
のビール

バングラディッシュの国教はイスラム教なので、国産のビールはなく、ビールが飲める飲食店は少ない。ただ、外国人専用の酒屋でパスポートを見せて購入することは可能。

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