契約
 夢かと思った。
 その出来事が私の日常からあまりにも逸脱していたから。私のこれまで生きてきた人生とは何の繋がりもない、起こるはずのない出来事。そんな夢を見れるだけの予備知識もなかったけど。ただ、なんとなく漠然と、夢だと思った。それぐらい、あまりにも実感がなかった
 ……でも夢じゃなかった。
 ひとしきり、子供なりに色々考えたあと、立ち上がろうとしたら……そしたら、下半身に激痛が走って立ち上がれなかった。
 アソコのあたりがズキズキした。その瞬間、「夢じゃなかった」ってわかっちゃって、そしたら涙がブァーッと込み上げてきて、どんなに我慢してもドンドン溢れて止まらなかった。
 そうやって布団の中で丸くなって声を殺して泣いていたら、ギーッとドアが開く音がして、誰かが部屋に入ってきた。もしかしたらお母さんかもしれなかったけど、なんか嫌な予感がして、だから恐くて布団の中で丸くなっていた。
 そしたら近づいてくる足音がやっぱり、お母さんぽくなくて「あいつだ」と分かった私は、怖くて逃げようとした。
 だけど、さっきのことが頭をよぎって、あまりの恐怖に体が動かなかった。
 あいつは布団の傍まで来て座り、布団越しに私の腰のあたりをさすりながら小さい声でこう言った。
「今日のことは、パパと凛ちゃん二人だけの秘密だよ? もしもママに話したりしたら……哀しむのは誰かなぁ? ママだよね? パパは凛ちゃんが悪いことしたからお仕置きをしただけだよ? パパだって本当はいやなんだよ? 分かってくれるね?」
 分かるわけない。そう思ったけれど、私は本当に怖くて、うなずくしかないと思って、泣きながら「はい」と言った。
 そんな私にあいつは言った。
「ごめんなさいは?」
 私はノドの奥が焼けるように痛くて、うまく声が出せなかったけれど力を振り絞って言った。
「ごめんなさい」
 だけどあまりの痛みと悔しさと涙で、うまく声にならなかった。
 まだ子供だったから……。善悪の区別とかうまくつけられなかったけれど、自分は悪くないって気持ちは揺るぎなかった。
 だけど同時に、大好きなお母さんを哀しませるワケにはいかないって、強く思いもした。たったひとりで私を育ててくれた、大切な大切なお母さんを自分のせいで傷つけちゃいけないって思った。

 だからあやまったのだ。
 悔しくて仕方なかったけどあやまった。
 あいつはずっと私の腰あたりを擦っていた。
 嬉しかったはずのその手の動きが、今はたまらなくいやらしく、嫌だった。恐かった。
 笑ってるお母さんの顔が目に浮かんだ。
 涙が溢れた。そのまま私は、強烈な睡魔に襲われて気絶するようにまた眠った。
 目が覚める頃には全部元通りだと思っていた。
 ……思っていた。

 だけど、それからの私の人生は地獄そのものだった――。