絶望の希望
 人間という生き物は、一度タガが外れてしまうと、もう二度と元には戻れないのかもしれない。まさに、あいつがそうだった。
 あの日、私がレイプされた日を境に、あいつは私と一瞬でも二人きりになると、すぐに体を求めてくるようになった。胸を揉んできたり、キスしてきたり、あそこに指を入れてきたり――その姿はまるで、ただスリルを楽しむかのようだった。

 だからあの日から、私はお母さんがトイレに入る時や、お風呂に入る時、一人で買い物に行く時が、たまらなく恐くなった。
「いつもお母さんの目の届く場所にいなければ……」
 そう思っては、いつもいつも怯えながら過ごしていたのだ。

 あいつは本当に異常だった。
 あれからというもの、あいつは私の机やランドセル、ノートに書いたことまで隅から隅まで毎日チェックするようになった。私の男関係を異常に気にしてるようで、当時、初恋も知らない私に、好きな人なんかいるはずなかったけれど、そんな私に向かってあいつは、
「もしも凛ちゃんに好きな人が出来ちゃったら、パパ、その男の子のこと、殺しちゃうかも」
 なんて言ってきた。
 本気だと思った。くどいくらい毎日そう言い続けられてきたから。
「凛ちゃんの事をいじめるヤツがいたらパパに言ってね? 凛ちゃんをいじめるヤツはパパが許さないから!」
 そんなことも言っていた。
「いちばんいじめるのはあんたじゃん」
 自分のことをパパと呼ぶくせに、やっていることは完全に恋人そのものだった。

 そんな日々が続き、私は徐々に凌辱される時の痛みを感じなくなっていった。
 穴が広がってしまったのかもしれない。裂けても血があまり出なくなってきたのもあるのかもしれないけれど。
そんな風に体が慣れてきたというより、むしろ防衛手段として感情や感覚をなくすことで心が壊れるのを守る術を覚えたって感じだった。
 とにかく凌辱が始まると、プツンッて体全体から電源が落ちるように、感情や感覚がなくなって、心のない、糸の切れた操り人形のように全身から力が抜け、だらん、となった。
 そしてそのまま、ただ腰を振る相手の動きのままに……ゆさゆさ揺れていた。

 そんな状況を何も変えられないまま、残酷なほど時間は流れて私は四年生になった。
 四年生になってすぐ、私は絶望し、そしてその中に希望を見つけた。それは四年生になった最初の体育の授業の時だった。
 その日の体育の授業は、男子はいつも通り体操服に着替えさせられたけど、女子は着替えなくていいと言われて、ビデオ機器がある理科の実験の教室に集められた。授業が始まるとすぐに先生が黒い遮光のカーテンを閉めだして、そしてビデオを流し始めた。それは性交と生理と出産についてのビデオだった。そのビデオを通じて、私は生まれて初めて生理やセックスや受精や妊娠、そして出産について習った。
 その時、男子は多分、外でドッジボールか何かをやっていたと思う。カーテンを閉められていたからお互いの様子はわからなかったけれど、シーンとした教室の中に、ボールを投げあう音と楽しそうな男子の笑い声が聞こえてきた。
 ビデオを見てる間、私は、自分がこれまであいつに何をやられていたのかを理解し、額や首や背中から変な汗が吹き出してきて、とても気分が悪くなった。
 ビデオが終わると先生が、
「あなたたちもこうやって生まれてきたのよ。とっても美しい素晴らしい行為なの。愛し合う二人だけに許された行為なのよ。だけど、とっても大切なことだから結婚するまでしなくてもいいくらい、絶対に簡単にはしちゃダメ! 自分の体を大事にしなきゃダメよ」
 そんな言葉をたくさん言った。
 私は絶望した。
 熱く語る先生の言葉が体中に突き刺さり、頭の中をぐしゃぐしゃに駆け巡った。途端に自分が汚れた生き物のように思えた。自分の体中すべてが不潔に感じた。
 もうお嫁さんになれない……。
 本気でそう思った。
 私は絶望した。溢れそうな涙を必死で堪えていた。気分が悪くて吐きそうだった。ダラダラ脂汗が止まらなかった。目眩がした。
 心が壊れそうだった。
「生理が始まったってことは赤ちゃんを作れるようになったって証なのよ、血が出るから、ちょっと恥ずかしいと思うかもしれないけれど、そんなことはないの。とっても素晴らしいことなのよ」
 そんなどん底の私に先生が最後に言ったその言葉が、何か心に引っ掛かった。なにかこう、希望のようなものがその瞬間、急に頭に浮かんだ。
 ……てことは、生理がまだきていない私は、今、あいつに何をされても妊娠はしないんだな。
 そう思った。
 そしたら。それが少しだけ救いに思えた。
 そして同時にもうひとつ、あることに気が付いた。
 もし私に生理が始まったら、あいつは私の体を、もう求められなくなるんじゃないか? って。今みたいにセックスをしてきたら、いつかは妊娠してしまう。そしたらあいつだって、さすがにきっと困るはずだ。
 私が生理になりさえすれば、全てが終わる。
 この地獄のような毎日から抜け出せる。
 目の前がパァッと明るくなったような気がした。初めて希望が生まれた。もう少しの辛抱だ。と思えた。
 あの日から完全に孤独だった私に、初めて自分の支えになるものをみつけることができて、なんだか急に頑張れるような気がしてきたのだ。とにかくその時を待てばいいんだ。
 その当時から私は体が平均以上に大きかったから、普通の子たちはもう少し後でも、もしかしたら私だけは早ければ四年生のうちに生理がくるかもしれない。いや来月には来るかもしれない、それは明日かも。そしたら……。
 そしたら、全部終わる。

 その授業を境に、私は強くなった。
 何をされても我慢できるような気さえした。
 私は変わった。絶望の中にある希望をみつけることが出来た。私は変わった……。

それからも、そんな私の変化を知ってか知らずか、あいつは私の初潮が未だないのをいいことに、セックスのたびに、毎回私の中に精液をぶちまけた。それはもう嫌で嫌でたまらなかったけれど、今の私には無害だとわかっていたから、何とか耐えることができた。
 犯された日はお風呂に入るのがすごく嫌だった。お風呂に入るたびに大概、ドロッと、あそこから白い固まりが出てきたから。それをキレイにする時がたまらなく嫌だった。お湯に触れた精液は、塊のように指にくっついてきては、なかなか取れなかった。
 もちろんいつも、犯されてすぐにトイレに行って拭いていたが、でも奥の方に残ってるやつはどんなに息んでも出てこなくて拭き取ることはできなかった。だからやっぱりお風呂の時に、シャワーとかを使ってキレイにするしかなかった。

 あきらめからだろうか?
 私はいつしかそんなことに慣れてしまっていたのかもしれない。
 生理がくれば、みんな終わる。そんな希望がみつかったお陰で、とにかく今だけはやり過ごそうとか、あきらめようとか、そんな気持ちでいっぱいで、実感はなくなっていた。自分の身に起こっていることが、まるで他人事のように思えていた、大変なことが起こっているはずなのに、大したことではなく思えていたみたいで。
 とにかくよく覚えてないけれど、いつの間にか、そのことを軽く考えるようになってしまっていた。だが、そんな自分のせいで、甘さで、私はとんでもない目に遭ってしまうことになった……。

 それはある日のことだった。
 理由は覚えていない。毎週火曜日はお母さんの帰りが遅い日と決まっていて、だから私はその日も、お母さんが帰ってくるまでの間、あいつに凌辱された。
 お母さんが帰って来ると、何事もなかったかのように三人でゴハンを食べた。
 だけどあいつに凌辱された日は、いつもママの顔を見るのが何か恐くて、だから私は火曜日はいつも決まって、下を向いたまま無言でゴハンを食べていた。

 私がゴハンを食べ終わるとお母さんが突然、
「凛、たまにはひさしぶりにお母さんとお風呂入る?」
 って言ってくれて、あいつとふたりっきりにならなくてすむのと、とにかくお母さんが大好きだった私は嬉しくてたまらなくて、ゴハンの前にあいつに何をされたかもすっかり忘れて、浮かれながら「うんっ!」って答えて、そのまま、うっかりお母さんと一緒にお風呂に入ってしまった。
 今思うと、事件は起こるべくして起こったんだと思う。軽率な私のせいで。

 浴室に入ると私たちは、簡単に体を洗って、それから向かい合うようにして湯槽の中に座った。
「学校はどう?」
 お母さんは私に沢山話し掛けてくれた。
「んとねーんとねー」
 私たちは、そんな風に、無邪気に沢山お喋りをした。

 楽しくて仕方なかった
 嬉しくて仕方なかった
 私はお母さんが大好きだった

 あいつがこの家に来る前の、あの平和で楽しかった我が家が、まるで戻ってきたみたいだった。
 私は、とてもはしゃいでいた。
 私はとても浮かれていた。
 その瞬間だった。お母さんの言葉か何かに私が体全体を使って笑った瞬間だった。
 背筋がゾッとして、体が凍りそうなくらい一気に血の気が引いた。
 とても嫌な予感がした。
 ブブッと、オナラが出るみたいに、あそこから何かが勢い良く出てくるのがわかった。それは、湯槽の中をユラユラと漂いながら、ゆっくりとゆっくりと水面へ上がってきた。時間が止まったような気がした。
 精液だった。
 時間が止まったような気がした。

 その、白い固まりはあいつの精液だった。