明るい食卓
 あれから、あの日から、お母さんは変わってしまった。…変わんないほうがおかしいよね。まるで心のない、人形のようになってしまった。「脱け殻」って言った方が近いかもしれない。
 お母さんは笑わなくなった。
 お母さんは何もしなくなった。
 お母さんは私を見なくなった。
 お母さんは私を見てくれなくなった。
 お母さんがダメになっちゃって、夕飯の準備を誰もしてくれなくなっちゃったから、私は学校の図書館で料理の本を見て、そのレシピをノートに写して、見よう見マネで料理をするようになった。図書館だし、別に写さなくても借りればよかったんだけど、なぜか子供心に料理の本を借りたっていう証拠を残すのがなんだか嫌で、恥ずかしくて、だから借りずにノートに写した。
 料理にかかるお金は、お母さんの財布から勝手に借りた。
 下手なりに頑張って作った。おいしくはなかったけど、頑張って作った。
 ゴハンは別々に食べた。
 お母さんやあいつが何時に食べ終わるのかがわからなかったから、朝いつもより早く起きて食器を洗ったり、片付けを済ませてから学校に登校するようになった。
 お母さんはあいつの後ろにいつもくっついていた。まるで小さい子供みたいだった。
 それでも、いつかは元に戻ってくれると信じていたから、しばらくの間はなんとか乗り切れた。少しの辛抱だと思った。思っていた。
 だけど状況はいっこうに変わらなかった。

 変わらないまま、三ヶ月以上が過ぎていた。
 そんなある日、いつもの下校中に、街でお母さんを見かけた。その時見たお母さんは、昔のまんまで社交的な普通の明るい人だったのに驚いた。
「元に戻ったんだ?」
 駅の前の広い場所で男の人と何か話してて、なんかとっても楽しそうだった。
「邪魔しちゃ悪いな」と思って、その時は、あえて声はかけなかった。でも、とにかくウキウキして、お母さんが元に戻ったお祝いをしなきゃ、と私は張り切っていた。
 張り切ってお買物して、張り切って料理を作った。お母さんがよく作ってくれた私の大好物の甘い卵焼きを。次に、キャベツとベーコンとトウモロコシをたっぷり使って、野菜スープを作った。
 ふんぱつしてお肉を買ってきてステーキを焼くことにした。出来たてを食べてもらいたかったから肉には下味だけつけて、いつでも焼ける状態にした。
 買い物した時、お肉屋さんが少しサービスしてくれて、ちょっと量を増やしてくれて安くしてくれて、肉を焼く用のラードもつけてくれた。
 準備は完璧だった。
 いつお母さんが帰ってきてくれても大丈夫な状態で、お母さんを待った。こんなに食事が待ち遠しいのはひさしぶりだった。
 リビングのテーブルの椅子に座って、まるで子供みたいに……、まぁまだ子供だったけどね。とにかく小さい子供みたいに足をブンブンふって、何回も時計を見ながらお母さんを待ったの。
 長い針が次に6を回る時までには帰って来るとか、短い針が7にくっつく頃には、もう一緒にごはん食べてる……そんな風に考えながら。
 お母さんが元に戻った安心感からか、気付いたら私は寝ていた。
 パッと目が覚めてビックリして、急いで時計を見たら時計は11時を回っていた。ビックリした。そんなわけないと思った。お母さんが何も言わずにこんな遅くなることなんて、これまでなかったから。
 何かあったのかな? って思った。ちょっとしたトラブルがあったのかな? って。
 その日はあいつも帰って来なかった
 変な胸騒ぎがした。
 怖かった。
 布団の中に入って何も考えないようにしようと思った。眠れたらすぐに朝が来てくれる。そう思ったから。だけどドキドキしてなかなか眠れなかった。「寝よう寝よう」と思ったけど全然眠れなかった。
 眠れないまま、とうとう朝になった。
 朝になっても誰も帰って来なかった。

 仕方ないから少し早いけど私は朝の支度を始めた。昨日作ったごはんを温めて食べた。ステーキは食べずにラップをして冷蔵庫に入れた。あの肉はお母さん用だから、いつお母さんが帰ってきてもいいようにしようと思った。
 そのまま学校に行った。学校が終わって急いで家に帰っがけど、やっぱり誰もいなかった。
 それから何日経っても、やっぱり誰も帰ってこなかった
 私はひとりになったのだ。