連鎖する悪意
 レンジの中が、赤い絵の具をぶちまけたように真っ赤に染まっていた。
 ドロッとしたゼリー状のかたまりがレンジの中、天井や側面に張り付き、そしてゆっくり、ゆっくりと垂れ落ちていた
 レンジのトレイの上には、原型を留めていない肉の塊が湯気を上げて転がっているだけで、そこからは肉が焼ける香ばしい香りがした。私の周りにも真っ赤な肉の塊がそこらじゅうにボトボトと飛び散っていて、私の顔や服をまだらに赤く染めていた。状況を上手く飲み込めないまま、手を伸ばしたままの状態で固まった私の両手には、生温かいプニプニしたヒモみたいなものが、いくつも絡み付いていた。
 それはきっとウーさんの、腸や内蔵だった。温かかった。
 レンジで温められたのだろうか? それとも命の持つぬくもりか……。そのどちらなのかはわからなかったけれど、温かった。それはもう、哀しいほどに。
 そうやって、頭はグルグル動くのだけれど、体は固まったままピクリとも動かず、私はレンジの前にただ茫然と立ち尽くしていた。
 私は、自らの手で、大切な宝物を……私のすべてを…かけがえのない命を壊してしまった。
 なんであの時、あいつの言葉を鵜呑みになんかして、ちゃんと確認もせずにレンジを回してしまったんだろう?
 なんで回す前に、一度開けて中をちゃんと確認しなかったんだろう?
 冷静に考える事が出来ていたら、気付けたかもしれない。私が焦って平常心を失ってさえいなければ、ウーさんがそこに入れられているかもしれないという可能性に気が付けたのかもしれないのに。
 もう手遅れなのは分かっていたけれど、でもそれでも、そんな「たられば」が頭の中をグルグルと駆け巡っていた。
 私がバカじゃなかったら、ウーさんは死なずにすんだんだ。
 ウーさんを殺したのは紛れもなく私なんだ。
 自分のバカさ加減に気持ちが悪くなった。自分に対する怒りに手が震えた。面白くないのに笑っちゃいそうだった。
 悪意や暴力は連鎖する。自分の中で何かが壊れたような気がした。壊れちゃいけないような大切な何かが……。
 
 自分の中に芽生えた激しい殺意とともに、私はすぐにあいつを探したけれど、同時に激しい吐き気と眩暈に襲われ、景色がグルグルと回ったかと思うと、気付いたときには布団の上に寝かされていた。
 レンジの前で、そのまま気絶したのだろうか? そのへんはよくわからなかったけれど、とにかく私は台所じゃなくて布団の上にいた。
 目が覚めた瞬間、ズキッと激しい痛みが頭に走った。状況を飲み込もうと周りを見ると、最初に飛び込んできたのは目の前にある、あいつの顔だった。
 あいつは私に覆いかぶさり、また私の体に汚らわしい体の一部を挿し込んで前後に揺れていた。パコパコと情けない音が部屋に響いていた。
 気絶していたせいか、ついアクビが出てしまい顔に手をやると、動いた瞬間、顔や手がパリパリしてて、うまく動かなかった。そのパリパリした場所を軽く擦ると張り付いて固まっていた何かがペリペリ剥がれ落ちるのがわかった。手に付いたそれを見ても、真っ黒くて最初は何かわからなかったけれど、匂いを嗅ぐと鉄みたいな匂いがした。血だった。
 それでも私は、自分でも驚くほどに冷静で、下半身にもきっと痛みはあったはずだけど、それも何も感じなかった。
 目が覚めても暴れたりせず、まるで無抵抗な私に、あいつは少し驚きながらも、抵抗しないのをいい事に調子に乗って色々と要求してきた。
 私はそれを無視して、ただ天井をボーッと眺めていた。
 あいつはあいつで、自分の事で精一杯。オヤジだからか、腰を振るのが大変みたいでハァハァと、息切れしながら、でもボソボソ独り言のように私の耳元で私に話しかけてきた。
 その息がとにかく臭くて吐き気がした。
 けれど冷静だったせいか、その内容を今もクリアに覚えている
「あのね、一緒に暮らし始める前から、ハァ……ママには凛ちゃんの話を……ハァ……聞いてたんだよ。一緒に撮った写真も見せてもらってたし、ハァ……パパは最初から凛ちゃんの事が、凛ちゃんの事だけが、アッ……好きだったんだよー。だからママに近づいたんだよ、ハァンッ。ママにはもともと興味なんかなかったんだよ。パパが好きなのは凛ちゃんだけだよ。パパの凛ちゃんに対する想いは、ずっと変わらない。ハァッ、純愛なんだよ〜。パパはただ、アァンッ、凛ちゃんのパパになりたかっただけなんだよ〜。わかってくれる? わか……アーッ! イ、イグッ、出ちゃっ…アー…、あっ……」
 純愛とか、父親になりたかっただけだとか、綺麗事を並べながら、それでも腰を振るこの男がとても小さく思えた。
 私は冷静だった。
 心はとても静かだった、落ち着いていた。むしろ落ち着きすぎていた。
 抵抗しない私に、あいつは私が自分のことを受け入れてくれたとでも思ったのだろうか? ドクドクと、私の中に欲望を出し切って、フニャフニャになった性器を私の中に差し込んだまま、あいつはまだベラベラと喋り続けた。その口調はまるで幼い子供の様だった。
「小さい頃ね、ひよこが大好きでね。お祭りで買ってもらったひよこを大切に育ててたんだよ。とにかく小さい動物が大好きだったんだぁ。そしたらある日の学校帰りにノラネコがいて、とっても可愛いかったし、お腹が空いてるみたいだったから家に連れて帰ってあげたの。それでお家でミルクを飲ませてあげようと、ネコは家の中に置いて、ひとりで台所で冷蔵庫を探してたら、なくって、だからしょうがないから残り物のラップされてたシーチキンを出してそれを持ってった。そしたらもうノラネコはどこにもいなくて、窓から出たのか、どこを探しても、もういなかった。寂しかったけど、しょうがないからシーチキンを冷蔵庫に戻して、思い出したようにひよこを探したら、今度はひよこまでどこか行っちゃったみたいで、全然みつけられなかった。それから30分くらいずっと探してね。それでやっとみつけられたんだけど、みつけられても全然、嬉しくなかった。……だって足だけだったから。足の黄色くて堅い部分だけしか残ってなかったんだ。理由はすぐにわかったよ。僕が連れて帰ってきちゃった猫が、食べちゃったんだね、多分」
 まるで誰かに許しを乞うかのように、あいつは喋り続けた。ジュルジュルと私の乳房にしゃぶりつきながら。
 私にはもう、そんな事はどうでもよくて、ただボーッと天井を見つめていた。天井の板の模様がおばけみたいに見えて怖いなぁと思っていた。つい冷静になりすぎちゃって、逆に心ここに在らずって感じだった。
 そんな感じだったら、あいつの話に私は、一切相槌なんか打たなかったけれど。それでもあいつはひとりでも、話を続けていた。
「それからね、その日から、ノラネコをみつけると必ず捕まえて殺す事にしたんだ。生きたまま昆虫採集するみたいに、足を四本全部釘で打ち付けて動けなくして、包丁で腹を裂いて内蔵を引きずり出して体を空っぽにして殺すの。とくに胃袋は絶対に取り出して中に何が入ってるのかをちゃんと確かめたよ。赤ずきんちゃんを助ける猟師みたいな気分だった。狼のお腹からおばあちゃんと赤ずきんちゃんを救い出すように、お腹の中にいるひよこを助けたいと思ってた。でもね魚とか変な虫みたいなヤツはたくさんいたけれど、ひよこは一回もいなかった。どこにもあの子はいなかったんだよ。お腹の中からひよこを救い出せば、僕の罪は許されると思ってたのに……無理だった。だからそれからは、今度は冷蔵庫の中に卵が余ってるのを見つけると、布団の中に持ってって一緒に寝て、温めることにしたんだ。一つくらいはひよこになると思ったの。でもね、一回も成功しなかった、どんなに温めても卵は卵のままだった。だからそれからはレンジで卵を温めたりした。でもダメだったよ。何度やってもダメだった……。そうこうしてるうちに今度は卵のいくつかがレンジで温めたら爆発するようになった。触ったら、その瞬間、バンッ! て破裂するの。ドキドキしたなぁ……。初めて爆発した時は、興奮しすぎて大変だった。それからはそのたびにドキドキするようになって、ちょくちょくそうやって卵を爆発させてた。でも、それにもいつか飽きてきて、今度は小さい生き物や猫とかで同じ事をやるようになった。猫がブクブクに膨れ上がって、そして破裂するのをみたら異常に興奮するようになっちゃって、もう、止まらなくなっちゃったんだ。もうそれ以外では興奮しなくなってきた。猫や小さな生き物を解剖したり、命がグチャグチャに壊れる瞬間にしかドキドキ出来なくなっていったの……。ダメだってわかるってるんだけど。だからね、その快感を凛ちゃんにも味わってもらいたかったんだよ。ドキドキした? 命が壊れる瞬間って何よりも美しいよね? ドキドキしちゃうよね? 可愛いよね? ね? 思わず食べたくなっちゃうくらい可愛いよね? いいよね? わかる? ねぇ、わかる? 感じる? ん〜、あっ、あ〜」
 あいつは話しながら、猫を解剖する話のあたりから、息が荒くなってきた。
 そしてそれに反応するようにドンドンと私の中でまた性器が、膨らんできた。
 最初は懺悔かと思ったけれど、それは懺悔でも何でもなくて、ただあいつは可哀相な自分の話を私に聞かせる事で、同情させたり同調させたかっただけだと思う。いやもしかしたら、そんな可愛いものじゃなくて、ただ単に興奮したいだけだったのかもしれない。いや、そうに違いない。だって、あいつが話しながらまた腰を振り出し、復活した汚い性器で、私の中をグチャグチャと掻き回し始めたから。
 その時やっと我にかえった。
 あまりにくだらない話に、私は冷静になりすぎてしまって、怒りや殺意を忘れ、感情が麻痺していたんだけれど、このあたりから私は、適度に冷静になって忘れていた殺意と危機感を取り戻していった。
 うっかりしてた。
 昨日まで、あまりに平穏な日々が続いたせいで私は大切な事を忘れてしまっていた。
 一人で生活していたこの数カ月間で自分の身に起きた変化の事を、その重要性を、うっかり忘れてしまっていた。初潮が来た事を……。
「あいつが私の体に何をしようとも、このまま待ってさえいれば嫌な事はいつかは終わる」
 そんな風に思っていた数カ月前とは今は状況がまるで違う。今の私には女としての機能が備わってしまっている。膣の中に射精なんかされてしまうと子供が出来てしまう。だから、今すぐにでもアソコの中から、さっきあいつに出されてしまった汚れた精液を洗い流したい。今すぐにでも私の体の中から、あいつの汚らわしい性器を抜きたい。もう二度と中に出させたくない。それに私はまだ、ウーさんの仇を討っていない。
 頭の中では、そんな思いとともに色々なアイデアが駆け巡っていた。仇を討つための作戦。私はそれをあいつに悟られないようにした。
 好機を逃すまいとあいつの顔をよく見たら、さっきまでは全然気付かなったけれど、あいつの口の中が真っ赤なのに気が付いた。そして口の周りに生えているヒゲのせいで全然気が付かなかったけれど、よく見たら口の周りが不自然に黒かった。その時、さっきの手についたパリパリの血の事を思い出した。
 こいつ、もしかして何かを食べたの? 血だらけの何かを……?
 考えている途中でもう、疑問の答えに気が付いてしまった。ヒゲに混じって、やわらかそうで白い毛がいくつか見えたから。そんなの他に何があるだろう? そんなの他に誰がいるっていうの?
 こいつが食べたのは、まぎれもなく私の大切な大切な宝物の……ウーさんだった……。