2008年の夏、私たちは写真を片手に炎天下の中ゴビ砂漠を歩いていた。崖の淵で、右手に持った写真と目の前の風景を見比べていた。
「似ているけど、違うな……」
 その写真とは、ポーランドの調査隊が1960年代に撮っていたデイノケイルス発掘現場の白黒写真。

 デイノケイルスは、1965年にポーランド・モンゴル古生物学調査隊の一人、キエラン・ジャウォロウスカ博士によって発見された。発見場所は、モンゴルのゴビ砂漠に広がるネメグト盆地のアルタンウルという恐竜化石産地である。この恐竜化石産地は、アルタンウルという山の麓に広がる谷であるため、アルタンウルと呼ばれている。“アルタン"は“金の"、“ウル"は“山"という意味である。この産地からはティラノサウルスの仲間であるタルボサウルスを始め、多くの化石が発見されている世界でも有名な場所だ。
未知の恐竜を求めて 小林快次 KOBAYASHI YOSHITSUGU
 私たちは、デイノケイルスの発見場所を特定しようと、白黒写真を頼りにアルタンウルをさまよっていたのは、ポーランド・モンゴルの調査隊が、決して発掘場所の記録を残していなかったからというわけではない。私たち研究者が調査や発掘を行う時には、必ず産地や発掘の記録を残す。発見場所がどこであるか、化石がどのような状態で発掘されたか、どの地層から発見されたかなど、あらゆる情報を記録として残す。
 彼らももちろん、様々な記録を論文に残している。その中でも、発見場所を探すのに有効なのが、写真と地図である。現在は、GPSを使って誤差数メートルで位置を記録することができるが、当時描かれた地図は、正確さに欠ける。地図を頼りに、発見場所を探そうとしても特定の場所にたどり着くことは非常に難しい。それは、まるで宝探しのように、残されたヒントをもとにデイノケイルスの産地を探し当てる作業である。
 実は、一番信頼できるのは、彼らが残した地図ではなく、発掘当時写された写真である。写真に映り込んでいる地形をヒントに、私たちの目と足で探し出す方が、発見場所を見つける可能性が高いのだ。彼らが残しっていった地図をもとに、大まかな場所を特定する。そして、私たちは、写真と目の前の風景を見比べながら、デイノケイルスの化石産地を特定しようとしていた。
 そうはいっても写真からの特定は困難を極める。砂漠の風景は、どこもかしこも似ているからだ。特徴のある崖を見つけ出し、正しい角度からの立ち位置を探し、写真と見比べる。直感と体力を限界まで使う作業である。
 疲労と焦りのためか、所々から「見つけた!」という叫び声が聞こえる。そこへみんな集まって写真を見比べると、確かに似ているのだけれども、何かが違う。誰もが「ここじゃないか?」と納得するくらいの風景が何カ所もでてくるのだ。その時はどうするか? 私たちは、その付近に釘や板、石膏の破片や新聞、空き缶や空き瓶などが落ちていないか探してみる。もし、何も落ちていなければ、その場所はデイノケイルスの発見地ではないと判断する。

 恐竜化石発掘は、どのようにするのか。恐竜化石は、たいていの場合その一部が地表に出ている。その出ている骨の周りを掘り始める。すると、その骨が地中に埋もれていることがわかる。それと同時に、どの部分の骨か、どの恐竜の骨かが明らかになってくる。骨を丁寧に掘り出し、その周りを掘り込んでいく。化石は、みんなが思っている以上にもろい。化石化した骨は、言ってみれば“石"なのだが、保存状態によっては、手にしたとたんにボロボロと崩れていくものがある。そのため、私たちは、露出した骨を保護する。まずは、トイレットペーパーや新聞紙で、露出した骨を覆う。そして、麻の布を石膏に浸し、骨化石を周りの石ごと覆ってしまう。石膏に浸された麻布を何層かかぶせたら、乾くのを待ち取り出す。簡単に説明すると、このようにして骨化石は地面から取り出される。また、当時のポーランド・モンゴル調査隊は、化石を石膏で覆う代わりに、木の板で化石と周りの石を覆い取り出していた。そのため、発掘の時に、必ずと言っていいほど、新聞紙や石膏、木の破片などが化石産地の周りに散らばってしまう。また、発掘の最中に食事をしたり酒を飲んだりする。これらの残骸を探すことで、過去の産地を特定することができる。特に、新聞紙や空き缶などには、いつどの国が発掘したのかという記録まで残されているため、非常に有効な情報となる。

 私たちは3日間、デイノケイルスの発見地を探し続けた。さて、なぜ私たちは、デイノケイルスの化石産地を特定しようとしていたのか。その理由は2つある。
 一つ目は、デイノケイルスが発見された地層を特定するためである。化石は、堆積物の中に保存される。この堆積物は、層状になって積もっていく。水の入ったコップに、最初に小石を入れ、その後砂を入れ、最後に泥をいれると、下から小石・砂・泥といった層ができる。下から上に向かって時間が新しくなるのも理解できるだろう。恐竜化石が入っている地層も同じように、堆積物に埋もれている。ただ問題は、どの層に含まれていたかということである。
 先にアルタンウルからは、たくさんの化石が発見されていると紹介した。ティラノサウルスの仲間のタルボサウルス、マイアサウラやパラサウロロフスの仲間のサウロロフス、大きな爪をもったテリジノサウルスなど、さまざまな恐竜が発見されている。もちろん、デイノケイルスもそうである。全て同じ化石産地アルタンウルから発見されているが、これら全てが同時に生活していたのかは、それらがどの地層から発見されたかを、特定しなければいけない。例えると、さっきのコップの中から、1円玉・10円玉・100円玉がでてきたとする。だからといって、これら三枚のコインが同時に投げ込まれたかというとそうではない。よく見てみると、小石の層に1円玉、砂の層に10円玉、そして泥の層に100円玉が入っていたとする。同じコップ(恐竜化石産地)に3枚のコイン(3種類の恐竜)が含まれていても、それぞれのコイン(恐竜)は別の時に埋もれたことになる。または、泥の層から1円玉と100円玉が入っていたら、その2枚はほぼ同時に投げ込まれたと考えることができる。
 言い換えると、同じ地層(層準)からデイノケイルスとタルボサウルスが発見された場合、これらの恐竜が同じ時間を共有していた可能性が考えられるのだ。これは、当時の生態系を知る上で非常に重要な情報であるが、当時のポーランド・モンゴル調査隊の研究では、情報が足りなかった。
 二つ目は、掘り残しがないか確かめるためだ。まるでハイエナのようではあるが、意外に掘り残されていることがある。発掘は、お金と時間がかかる。恐竜化石は、大きいこともあり、時間切れまたはお金がなくなってしまい掘りきれずに残して行くことがままある。私たちが追い求めているデイノケイルスは、肩の骨と腕、そして脊椎や肋骨などが発見されている。当時の発掘記録を見ると、まだ残りがあるのか、それとも掘りきったのかが明らかではなかった。当時発掘したポーランド人に聞いても、「多分掘りきったと思うけど……」と曖昧な答えしか帰ってこなかった。私たちは、わずかに残された可能性に期待し、デイノケイルスの発掘地を探していた。

 そしてある日、その瞬間がやってきた。
 何度も通りかかった崖。あまりにも何度も通り過ぎていたからか、みんなの頭からは除外されていた場所だった。それは、私たちのキャンプ地に近く、まさに灯台下暗しであった。初日にも候補にあがった場所の数メートル先で、確定したきっかけは、残された木の屑や釘であった。ポーランドの研究者が撮影した白黒写真をかざすと、目の前の風景とぴったりと一致する。そして、足下には木屑と釘が散乱していた。
「みつけたぞ!!」
 みんなが興奮して、その場に集まる。見つけた喜びと同時に、“こんな近くに……"というバツが悪い雰囲気が漂っていた。ともあれ、私たちは念願のデイノケイルスの化石産地特定に成功し、これからの作業に大きな期待を膨らませていた。
 これで、デイノケイルスの産地と層準が確定した。次のミッションは、掘り残された骨があるかどうかを確認することだった。
未知の恐竜を求めて 小林快次 KOBAYASHI YOSHITSUGU

著者近影:小林快次(こばやし よしつぐ)

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小林快次 Kobayashi Yoshitsugu

1971年福井県生まれ。
1995年アメリカ・ワイオミング大学地質学地球物理学科卒業。2004年アメリカ・サザンメソジスト大学地球科学科で博士号を取得。現在、北海道大学総合博物館准教授、大阪大学招聘准教授。モンゴルやアラスカ、中国、カナダなど海外での発掘調査や、恐竜展の監修など、恐竜研究の最前線で活躍中。

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