乗馬倶楽部で馬体についた泥を水で洗い流し、人馬ともにびしょびしょになって世話をしていた時、突然目の端に、倶楽部におよそ似つかわしくない着物姿の女性が映った。倶楽部での格好は礼儀としてきちっとはしているけれど、動きやすくて汚れても構わない服装と履物で来る人がほとんどなので、そこへ突然現れた着物にはびっくりしてしまう。
 誰だろう。たまに見学をしたいという人やここが乗馬倶楽部だとは知らずにふらっと入ってくる人達がいるので、そういう人が私や倶楽部スタッフの知らないうちに入ってきてしまったのかもしれない。そう思って見ると、ちょうど見ごろを迎えていた桜の木をバックに、着物姿の写真を誰かに撮ってもらおうとしているところだった。
 まあ、仕方ないかな〜と思いながらもよくよく見てみると、その人はなんと倶楽部のメンバーさん、私も親しくしている○○さんだったのでびっくり。馬の世話をいったんやめてその人の方へ行き、
「なんだ〜○○さんか〜、またなんで着物なんか着てるの?」
 と言うと背後から、
「と〜もや〜ん!」
 とはしゃいだ声が。振り返ると○○さんの次女が、ピンクの真新しいランドセルを背負い、これまたピンクでコーディネートされた、ふりふりフリルのよそ行きワンピース姿で駆けてきた。
「今日、小学校の入学式だったのよ〜、それで」
 と○○さん。ははあ、なるほど。お嬢さんの胸には「入学おめでとう」と書かれたリボンが飾られていた。
「すっご〜い、ピンクのランドセルだ!」
 と言うと、
「違うもん。ローズピンクだもん!」
 と訂正されてしまった。私の時代は男子は黒、女子は赤が鉄則だったのに……。時代は変わるのね。
「ごめん、ごめん。ローズピンクか〜。かわいいね。似合ってるよ〜!」
 と一応謝る私。そんなこんな言い合いながら、お嬢さんに手を引かれ、着物を着た○○さんの横に並んで、入学式と言えば桜でしょ〜の桜をバックにその子と家族にとっては一生の記念としてアルバムに貼られるであろう、思い出の一枚に一緒に納まった。
「お母さん、お着物でいいね〜」と言うと、照れたように「うふふ」とはにかむ姿がとても可愛らしい。
 私自身、入学式のことはほとんど覚えていないけれど、家の前で撮った写真を見れば新調した服に袖を通した時の喜びや、新しく開かれた未知の扉に一人で一歩踏み出さなければならないという緊張、期待、大人になった気がして嬉しかった気持ちをうっすらと思い出すことが出来る。
 それにしても、子供時代の写真を見る度に思うことだけれど、母が若い。現在の姿を見慣れている私にとってその若々しい姿は驚異的だ。だけど、考えてみるまでもなく、それは当たり前のことであって、母にもちょうど私の歳と同じ頃があったはずだ。写真に納められている母と今の私は一歳か二歳しか違わないなんて、改めて感慨深い気分になってしまう。

 今回の唯川さんの小説『今夜は心だけ抱いて』は、物語の核の部分から言ってしまうと、母と娘が体はそのままに中身だけ、意識だけが不慮の災難によって入れ替わってしまうという、これまでの唯川さんの小説にはない展開。そういえば似た設定の小説を、以前違う作家さんが書いて話題になり映画化もされたことがあるのに、唯川さんはどうしてこの展開を取り入れたのか? とその部分に差し掛かったところで本当に失礼かもしれないけれど、その効果がわからなくて勝手に心配になってしまった。
 けれど、ごめんなさい。この作品は、前にそういう展開で書かれた小説とは意味するところが全く異なります。これぞ唯川恵さんの小説と思える、ラストは切ない珠玉の恋愛小説でした。
 47歳の母親と17歳の娘が入れ替わるというストーリーですが、二人は15年前に夫婦の離婚によって離れて暮らし、それからというもの娘の美羽は子供心に母親に捨てられたと思い込んだまま成長します。母親を母親と全く認めずに、怨むくらいの気持ちで17歳まで過ごしてきました。一方、母親の柊子は離婚後も再婚をせずに、あまり売れるとは思えないロマンス小説の翻訳を生活の糧にしながら一人暮らしをしていました。
二人はある事情をきっかけに、ひょんなことから一緒に生活をしなければならない状況になります。そして、その生活がはじまって日も浅い頃、不慮のアクシデントに見舞われます。その災難から目覚めてみると、母娘が逆になっていたというわけです。そこからが恋愛小説が好きな方には堪らない唯川さんの世界。恋愛、人生をかみ締めさせてくれます。
「そうなのよ〜……そうなのかぁ〜? あぁ……そうなのよねぇ」と何度もうなずき、はたと疑問を覚え、考えさせられ、そして癒される。小説を読んで「癒される」というのもなんだかおかしいけど、そう思うのです。
『今夜は心だけ抱いて』、特に女性に読んでほしい作品です。読み終わったときの素敵な気持ち、是非味わって下さいね。
 それではまた次回に……。


黒谷友香

黒谷友香(くろたにともか)
黒谷友香(くろたにともか)1975年、大阪府生まれ。95年、映画「BOXER JOE」のヒロイン役で女優デビュー。その後、CM・ドラマ・映画・ 雑誌など幅広く活躍。主な出演作に03年「魔界転生」、04年「クイール」など。またこの秋、公開の映画「SHINOBI」では、美貌の毒婦、陽炎(かげろう)を好演。

今夜は心だけ抱いて
『今夜は心だけ抱いて』
唯川恵著
朝日新聞社刊
1,680円(本体1,600円)