前進する日もしない日も
第百十五回 オーストラリア戦
「なんか、今夜、サッカーの大事な試合があるらしいですね?」
 打ち合せを兼ねてのレストランでの食事の最中、目の前に座っている仕事先の男性の発言に驚いた。男子の日本代表チームがワールドカップに出られるかどうかが決定するという、めちゃくちゃ大事な試合が、たった今、行なわれているのである。思わず「ええええーっ」という声をあげてしまった。
「大事も大事、超大事な試合ですよ!」
 わたしが前のめりになると、逆に驚かれた。
「マスダさん、サッカーとか興味ある人だったんですね?」
 いやいやいや、興味うんぬんより、ワールドカップ出場をかけた試合といえば、かなりのビックイベントではないですか。それを知らなかったあなたって一体……。
 早めの食事だったので、レストランを出た後でもまだ後半戦が見られる時間である。
「ね、ね、ここから国立競技場までタクシーで10分もかからないし、ああいうところで見られるんじゃない? 」
 それはいいアイデアだとタクシーに乗り込むわたしたち。運転手さん情報によれば、入場料を払うと競技場の中の大型ビジョンで観戦できるとのこと。
「わたしも以前、娘たちと見に行ったことがありますよ」
 年配の運転手さんが言い、それがすごく嬉しかった。今日はお仕事で見られないけれど、娘さんたちと観戦した楽しい夜もある。わたしが申し訳なく思うのは筋違いなのである。 降りる時、「楽しんできてください」と運転手さんが声をかけてくださり、
 「ありがとうございます!」
 わたしは元気よく答えた。
 国立競技場の入り口で1800円を払って中に入ると、青いユニフォーム姿の若者たちであふれ帰っていた。ちょうど後半戦がはじまるところだった。大型ビジョンなるものが思っていたより小さくて見にくかったけれど、初夏の涼やかな夜空の下、大声でだれかを応援するのは清々しかった。
「あ〜、オレ、来てよかったなぁ、楽しいなぁ」
 ついさっきまで、サッカーの大事な試合があるらしいですね? なんて言っていた彼も楽しそうだった。



益田ミリ『すーちゃんの恋』

益田ミリ(ますだみり)

1969年大阪生まれ。主な著書に「すーちゃん」シリーズ、『週末、森で』、『泣き虫チエ子さん1』シリーズ、『オレの宇宙はまだまだ遠い』などが、またエッセイ集に『47都道府県女ひとりで行ってみよう』『益田ミリ
銀座缶詰
』『ちょっとそこまで ひとり旅 だれかと旅』などがある。近著は『五年前の忘れ物』『キュンとしちゃだめですか? 』。


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