前進する日もしない日も
第百十六回 映画館を出て
 映画館を出たのが午後6時過ぎ。渋谷の街はあいかわらず混雑していた。人、人、人。駅に向かう群れと、駅から向かってくる群れがスクランブル交差点で混ざりあっている。
 ぼんやりとさみしくて、友達をご飯に誘おうかと、一瞬、思ったけれど、ぼんやりとさみしい気持ちでぶらぶらするのもいいなと考え直す。 梅雨の晴れ間の涼やかな夕暮れ。 じゃまにならない程度に、ゆっくりと歩き始めた。
 時間はたえず流れ、人生はつづいている。だけど、場面は自分で切り取ることができる。
 いくつかの心配ごと。深刻なものもあるし、すぐに解決しそうなものもある。 でも、今、ここにいるわたしは、ここにいるわたしである。心配ごとを「ぼんやりとさみしい」の中に放り込んで、お散歩したってよいのである。
 どこかでアップルパイを買おう。さっき見た映画は『奇跡のリンゴ』。心はリンゴモードである。デパートの地下でアップルパイと、ついでに茄子を一袋買った。アップルパイは食後のデザートに。茄子は、ごま油で焼いて味噌汁に入れよう。
 買い物をしたら活気づいてきた。そうだった。お世話になった人にプレゼントを買おうと思っていたんだった。何にしよう? 歩いていたらひらめいた。折り畳み傘がいい。わたしも愛用しているアウトドアショップの超軽量傘。もうすぐ旅に出ると言っていたから、きっと役に立つだろう。赤いのを買ってプレゼント用の袋に入れてもらった。
 その後、本屋さんで単行本を1冊買う。日高敏隆さんの『動物は何を見ているか』。それから、なくなりかけていた化粧水と日焼け止めを購入。化粧水は3本まとめて買うと安いので3本。さらに、発売したばかりの自分の新刊を一冊買う。久しぶりの旅のエッセイ集。
 気がつけば、わたしのトートバッグはずっしりと重たかった。見た目もパンパン。肩も痛い。せっかく活気づいた気持ちもしぼんでしまった。
 もしかして、トートバックが大きいから、いつもこんなふうにまとめ買い物をしてしまうのではないか? だいたい、渋谷で茄子を買わなくたってよいではないか。 
 よし、ポシェットだ! 明日からは、荷物はポシェットだけにするんだ! 身軽に生きるんだ! そう決意してポシェットを買えば、また荷物。帰宅後、ためしにそのまま体重計に乗ってみれば、手荷物分が3.5キロだった。



益田ミリ『すーちゃんの恋』

益田ミリ(ますだみり)

1969年大阪生まれ。主な著書に「すーちゃん」シリーズ、『週末、森で』、『泣き虫チエ子さん1』シリーズ、『オレの宇宙はまだまだ遠い』などが、またエッセイ集に『47都道府県女ひとりで行ってみよう』『益田ミリ
銀座缶詰
』『ちょっとそこまで ひとり旅 だれかと旅』などがある。近著は『五年前の忘れ物』『キュンとしちゃだめですか? 』。


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