「インドで迷子になった私を助けてくれた親切なおじさん」「タイで大喧嘩したけど、なぜか気になるアイツ」、あるいは「旅先で話を聞いたけれど、ついに食べることができなかった料理」などなど、時間を経た今となっては、もう一度、再会できる可能性はゼロに等しい「誰か」や「何か」……。
 あなたの記憶にこびりついて離れない大切な記憶を教えてください。どんな異国でも辺境地でも構いません。
 一年間の募集期間の後、応募された記憶の中から一つを選んで、ノンフィクション作家・高野秀行が実際に探しにでかけます!! 下の「応募する」ボタンから、ぜひご応募ください!
〜読者から依頼された記憶〜
ファイル 019:感激するほど親切な中国人
[お名前]Hiroko
[性別]女性
[探して欲しい記憶の時間]1991年8月
[国名]中国
[都市名]ハルビン
[探して欲しい記憶の人名、物]李美玉
[探して欲しい記憶の人物の性別]女性
[探して欲しい記憶の詳細] 
 大学生のとき、韓国のインチョン港から船で短期留学先の天津に行きました。
 外国人旅行者は私ひとり。船上で両替も出来ず、中国に着いたときは人民元は一銭もありませんでした。しかもタクシー等の交通手段もなし。女ひとりで心細く、夜も更けて途方にくれて……。
 そんな私を中国人用招待所に泊めてくれたのが、韓国への出稼ぎから帰国して船に乗っていた李美玉と、彼女を迎えに来ていたフィアンセの家族。当時外国人が泊まれなかった招待所に無理やり頼み込んで泊めてくれ、食事を食べさせてくれた上にバス代までくれました。一ヵ月後ハルビンにその家族を尋ねていきましたが、素朴で親切な中国人の家族に感動。厳しい中国生活で意地悪な中国人に山ほどあった中、李美玉家族の思い出がなかったら、すっかり中国人嫌いになっていたかもしれません。
 それから数年間文通していましたが、中国語でのやりとりだったのでこちらも筆が進まず、そのうち手紙が住所不明で返ってくるようになってしまいました。
 又会って是非お礼がしたいのですが、大きな中国大陸のこと、どこにいるのか。。。高野さんお願いします!

高野秀行より
 Hirokoさんより3年あとの1993年、私も短期留学のためインチョンから船で中国に渡りました。着いたのは天津ではなく煙台という町でしたが、私にとってもはじめての中国であったし、中国の港(しかもその頃)は何もなく、どうしたものかと思ったことを憶えています。ましてや、若い女の子がたった一人、夜になってしまったら本当に心細かったでしょうね。お気持ちはとてもよくわかります。
 私の場合、幸いなことに留学先に周囲には親切な人ばかりでした。町などで見知らぬ人たちからは不快なことをよくされましたが、大学に戻ると、先生や友人たちに信じられないほどよくしてもらいました。「同じ国の同じ人間か?」とその落差にも驚いたものです。
 Hirokoさんの場合はもっと厳しい状況だったようですから、李さん一家の「熱情」になおさら心慰められたのでしょう。
 是非お力になりたいとは思いますが、巨大なうえに大激変がつづく中国のこと、探し出すのは至難の業……かもしれません。
 とりあえず候補として考えさせてください。
メモリクエスト Backnumber 〜前号の依頼
ファイル 018:古今東西のエロ画をコレクションしていたインド系おやぢ
[探して欲しい記憶の時間]確か1992年
[国名]セイシェル
[都市名]首都ヴィクトリア
[探して欲しい記憶の人名、物]みやげもの屋(店名不明)のおやぢ(名前不明)
[探して欲しい記憶の人物の性別]男性
[探して欲しい記憶の詳細]〜依頼内容を読む
メモリクエスト Backnumber 〜過去の依頼
 以下の応募フォームから、あなたの「記憶」をご応募ください。
 これは! というものは、高野秀行がその記憶を詳細に取材した後、実際に探しに出かけます。
 その記憶の状況、人の姿形、場所、時間など、なるべく詳しく教えてください。

※ご応募いただいた記憶は、毎号、高野秀行さんのコメント付きで紹介させていただきます。また、高野さんの触手が動いた記憶については、さらなる詳細を聞きに取材に伺います。
集英社文庫HPにて旅日記連載中!高野秀行オフィシャルサイト