メモリークエスト2 読者からの依頼一覧

[お名前]もりもととみこ
[性別]女性
[欲しい記憶の時間]1983年4月
[国名]フィリピン
[都市名]サラエボ
[探して欲しい記憶の人名、物]ポートバートン
[探してほしい記憶の人物の性別]ジャーマンアイランドとそこに住む3名のドイツ青年(当時)

[探して欲しい記憶の詳細]
 フィリピンのパラワン島沖にある無人島を100年契約で借りて住んでいた3人のドイツ人と島のその後を調べてほしいです。
 当時フィリピンのルソン島にあったインドシナ難民の定住促進センターで日本語を教える仕事を終え、私と妹は別の定住促進センターがあるパラワン島を訪れました。センターの近くに安宿を借りたのですが、そこで知り合いになったフィリピン人の英語教師コーラから「無人島にいってきた、シュノーケルやビーチキャンプをして楽しかった」という話をきき、「よし、うちらも行くぞ」てことになったわけです。
 フィリピンは6000近くの島からなり、その中に小さな無人島もたくさんあり、その一つがポートバートンという町から船ですぐのところにある、そしてその町までは、ジープニー(ジープをど派手に飾り付けた車で、フィリピンで多くみられる乗合の移動手段)で約4時間で行けるということでした。またその無人島の近くに、ドイツ人が住み着いている島があるというので、それにも興味がそそられました。
 お昼前に市場の近くのジープニー乗り場にいくも、集客のために出発がかなり遅れ、その日のうちに島にはたどりつけないなど予定外の困難にみまわれた旅になりましたが、翌朝無人島での生活に必要な最小限の物資を船着き場の近くでそろえると、小さな漁船をチャーターして島に向かいました。島へは10分ほどでしたが、そこへ行くまでにラクダのコブのように木がはえた島があり、漁師によるとジャーマンアイランドだということでした。無人島に着くと、荷物をおろし、3日後の10時ころにまた島に迎えにくるよう漁師にお願いしました。島では持参した缶詰やパン、ココナツジュースなどを食し、朝晩は太陽とともに寝起き、昼間は木陰で休んだり、海でシュノーケルをしたりと自然とともに過ごしていました。ある日、人目がないのをいいことに、生まれたままの姿になって泳いでいたら、はるか向こうから小舟が近づいてくるのを発見。あわてて砂浜にもどり、Tシャツと半パンを身に着ける二人。
 船からはジャーマンアイランドに住むというドイツ人青年が二人おりてきました。日本人が二人無人島に来ているときき、バナナとコーヒーをもって遊びにきてくれたのでした。久々のコーヒーはとても美味でした。ドイツ青年二人はしばらくして帰っていきました。
 3日目の朝、頼んでおいた漁師が迎えにきてくれたとき、私たちはジャーマンアイランドに連れて行くようたのみました。手土産にと朝の漁でとれたらしい小魚を漁師から買い求めました。ジャーマンアイランドに着くと浜からオープンハウス形式の、ヤシの木でつくったリゾート風のコテッジがあり、ドイツ人青年が寛いでいました。私たちは魚を手渡し、皆で料理して一緒に食べました。この島には3人の青年が住んでおり、2人がこの島の主、あとの一人は居候とうことでした。2人は100年契約でこの島を借り、一年の半分をここで過ごしているということでした。
 島には電気もガスも水道もきていないけど、自家発電できけるオーディオセットがリビングに置いてあり、その夜は真っ暗な空に輝く満天の星をみながら、フィリピン産のアルコール度の高いウイスキーをのみ、彼らの一人が奏でてくれたギターを聞きました(腕はプロ並みにうまかった)。
 アルコールで頭はもうろうとなり、そのままコテッジで沈没。夜中に目を覚まし、トイレに行く途中の渡り廊下から砂の上にゲロを吐いたのを覚えてます。彼らは島で今後自給自足できるように井戸を掘りあてようとしていました。また、地元の漁師から漁のやり方を教えてもらったり、野菜の栽培を試みていました。「ヤシの木の茂るビーチと美しい海をみながらの南の島での生活は、外から見れば楽園のように見えるけど、いろいろな努力もいるのだよ。ベルリンでの生活も好きだから一年の半分はドイツに帰る」と青年の一人が話していました。
 島で1泊したあと、私たちは彼らのボートで岸まで送ってもらい帰りのジプニーに乗り込みました。
 ちなみに彼らがこの小さな無人島を100年間手に入れるのに要した費用は、「なあに、いざとなったらフィリピンの無人島に住めばいい。この程度の値段で島を100年間手にできるんだったら、私たちにだってまったく不可能な話じゃない」と思わせるほどの借地料だったのを憶えています。あれ以来、人生に対してけっこう楽天的になってしまったのは良い結果だったのかどうか。
 あれから28年。時間は流れ、フィリピンでは長期続いたマルコス独裁政権が倒れ、その後さまざまな状況の変化があったけど、今だに貧困から抜け出ていません。一方ドイツではベルリンの壁が壊され、東西ドイツは統一されました。
 当時青年だったあの3人は(うち一人はジョン・ボンジョビ似だったのですが)、今では中年オヤジになって、まだあの島に住んでいるでしょうか? それともとっくの昔に持ち主に返して、ドイツに帰ってしまったのでしょうか? 島には新しい建物が増えているでしょうか? 井戸は? 野菜畑は? それとも海水の上昇かなんかで、島自体が存在しなくなっていることも考えられるし。
 怖いものみたさで、ジャーマンアイランドと3人のその後の消息がとても気になりますので、是非お調べください。
 ちなみに島や彼らの写真はあるのですが、元青年たちの名前は忘れてしまいました。


高野秀行より返信


 不思議な依頼ですね。これまでの面白い依頼はもっと興奮したものですが、これは別に興奮はしません。もりもとさんの体験はとても具体的に書かれており、現実的です。でもどこか爽やかで、懐かしく、しみじみします。
 夏の昼下がり、浜辺の木陰で(ビールでなく)よく冷えたラムネを飲んでいるような気分になります。
 島を百年という単位で貸すというのが唯一ひっかかったのですが、それもフィリピンに詳しい知り合いに訊いたら、「ああ、よくありますよ」とのこと。フィリピンには島が何千とあり、ほとんど私有地なので、どうせ使わない島は外国人に高く貸しだしたりするんだそうです。
「とくにドイツ人は多いですねえ。中にはハーレムをつくっているやつもいますよ」なんて言ってました。
 だからとくにそのドイツ人を探す気にはならないのですが、この辺の島はいいですねえ。「探し物」すら邪道に思えてきます。私もそろそろ「ものすごい発見をしてやろう」といった俗な野望は捨て、無人島で魚でも捕って暮らした方がいいのかもしれません。
 まあ、そんな生活は三日で飽きて、「この辺に何か珍しい魚か動物はいない?」と付近の住民に聞いて回る様子が目に浮かびますけど。

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高野秀行からのメッセージ
『メモリークエスト』第一弾/全依頼26件
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高野秀行プロフィール

一九六六年東京都生まれ。辺境作家。早稲田大学探検部在籍中に執筆した「幻獣ムベンベを追え」でデビュー。

アジア新聞屋台村』『ワセダ三畳青春記』『腰痛探検家』(以上、集英社文庫)、『怪獣記』『西南シルクロードは密林に消える』(ともに講談社文庫)『世にも奇妙なマラソン大会』(本の雑誌社)、『イスラム飲酒紀行』(扶桑社)など著書多数。

高野秀行プロフィール