Webマガジン幻冬舎: 宮田珠己 カミシンデン奇譚

『しゅみせん』(第四回)

 そんなわけだから、その夜、なぜだか家に持って帰ってきてしまった粘土の塊が、机の上でしゃべりだしたときはめちゃめちゃ驚いた。
 眠るために横になっていると、ちょうどベッドの隣にある机の上に、粘土が自分を見下ろすように立っているのに気づき、あれ、こんなところに置いたかな、と思った途端、それが、
「しゅみせんを知っているのか」
 と言ったので、ぼくはわっと飛び起きて、ベッドの外に転げ落ちた。
 まさかと思い、おそるおそる立ち上がって机の上に目を凝らした。部屋の電気は消えていたが、窓の外から街灯の明かりが入り、粘土を照らしていた。粘土はなんとなく人の形になっていた。
「しゅみせんを知っているのか」
 また言った。
 男の人の声だ。
 死神は粘土だったのだ。
 粘土は、人の形になってぐにゃぐにゃしていた。
 ぼくはあわてて、
「知らない。よく知らない」
 と答えた。声が震えた。
「よく知らないが、少しは知っているのだな」
 それには答えなかった。答え方によっては、何か怖いことをされるかもしれないと思ったからだ。
「おれは、しゅみせんから来た」
 ぐにゃぐにゃ粘土は、人の形になろうと努力しているようだった。腕のようなものが突き出たり、引っ込んだりした。
 ぼくはただうなずいた。
「本来こんな場所に来るはずではなかったのだ。おれの居場所はしゅみせんだ。いや、正確には、おれこそがしゅみせんなのだ。おれはしゅみせんの頂上、ぜんげんじょうを取り囲むとうりてんの岩山を成す土塊だった。それが風化による崩落で、岩山の一部がモゲて転げ落ちてしまった。しゅみせんは上へ行くほど広がっているから、崩落すると斜面を転がることなく、そのまま下まで落下してしまう。われわれは八万ゆじゅん落下して、大半は、かんすいに落ちたが、おれとおれのすぐそばで岩山を構成していた仲間だけ、なんせんぶしゅうに落っこちたのだ」
 何を言っているのか、よくわからない。
「しゅみせんが崩れたの?」
 ぼくは、おそるおそるたずねた。
「そうだ」
 粘土は三本足で立って左右にゆらゆら揺れている。なんだかシャツを脱ごうとする動作に見えた。
「どうして?」
「すべての山はいずれ崩れゆくもの」
 外を走る車のライトが天井に粘土の影を映し出し、それが壁を伝って大きく伸び上がった。が、粘土本体のほうはむしろ身を縮こめ、手足のようなでっぱりばかりになって、まるで海の生き物みたいにそれをぶらぶらさせている。人の形になるのはあきらめたみたいだ。
 ぼくは、大きく息を吐いた。すると気持ちが少し落ち着いた。
「と知ってはいたものの、それが自分だったときはやはりうろたえた」
「……」
「それだから……」
 急に声が女の人に変わった。
「帰る方法を仲間とともにずっと探してきたの。この町にしゅみせんへ通じる道があることはわかってたから、わたしたち、あの竹やぶの小屋を拠点に、ずいぶん探し回ったのよ」
 声は話しながらも、どんどん若くなっていく。
「この世界からしゅみせんに戻る道を見つけるのは大変なんだよ。だってしゅみせんは普通では見ることができない山でしょ。だけど、見つけた。ローソンの裏で」
「ローソンて、シンミドーのローソン?」
「そう。見つけたの。すっごくうれしかった。これでやっと帰れるって。それなのに、いよいよしゅみせんへ帰ろうって日になって、あんたにここに連れてこられたわけ」
「ごめんなさい。戻します。明日戻します」
「ごめんなさいじゃないわよ。もちろんそうしてもらわないと困る」
 声はまた男の人に戻った。
「日がずれるとだんだん道が塞がってしまうのだ。そうなると、また新たに探さなければならない」
 たくさんの手足が、レゲエの人の頭みたいにぶらぶら垂れ下がっている。気味が悪い。
「今から戻したほうがいいですか」
「いや、今でも明日でもかまわない。どうせ道は夕暮れでなければ見ることができない」
「夕暮れ……」
「そうだ。それも太陽が地平線にくっついている短い時間だけしか見えない。
 しゅみせんは、本来ならこの世界のどこからでもその姿が見えるぐらい、そのぐらい巨大な、この世にあるすべての巨大なものよりもずっと巨大な山だ。
 だがふだんは、光の進路を曲げることによって、この世界からは見えないように調整されている。光だけではない。磁力も何もかもが進路を曲げられているから、誰ひとり近づくことも、その存在を知ることもできない。グーグルアースでも見ることができないのだ。
 ただ、同時に調整しようのない光の特性によって、朝と夕方、太陽が水平線や地平線を離れてしまわない間だけは、その姿を現す。おぼろげにではあるが、よくよく注意していればはるか天までそびえるその姿を見ることができるだろう。そしてそのとき、この世界としゅみせんとの間に道が開くのだ」
 粘土の話はややこしかった。ぼくには半分も意味がわからなかった。
「とはいっても、朝は、光の風がしゅみせんからこちらの世界に向けて吹くために、それに逆らって近づくことは容易ではない。逆に夕暮れ時は、光の風がしゅみせんに向かって吹くからチャンスなのだ」
「あの……、質問いいですか?」
 思い切って聞いてみた。
「なんだ」
「死んだ人は、しゅみせんにいますか?」
 粘土はすぐに答えなかった。
 とまどっているのか、いくつも垂れ下がった手足がぶるぶるっと小刻みに震えたかと思うと、一気に引っ込み、その後にゅっと二本足で立ち上がった。手は出てこなかったが、てっぺんに頭のようなものができ、目の場所に小さなふたつの穴が開いた。穴だけで目玉のない頭部が、前後に揺れながら成長していく。
 しばらくして、
「いる者もあればいない者もある。そもそもしゅみせんは、さんかいのうち、よくかいにそびえる山に過ぎん。しゅみせんの頂上はたいしゃくてん、さらにその上空には、やまてん、とそつてん、らくへんげてん、たけじざいてんが存在し、地上と合わせてよくかいを形成しておる。よくかいのさらに上には、しきかいとむしきかいがあり、地上の下には地獄と餓鬼の世界があり、これら全部でさんかいとなる。仏の世界はそのさんかいよりも上にある。人は死ねばこのどこかに生まれ変わる。しゅみせんだけとは限らないのだ」
 と答えた。やっぱり粘土の説明のほとんどは何のことやらわからなかったが、人は死ぬと生まれ変わるというところだけは聞きとれた。
 体に比べて不自然に大きくなった粘土の頭部がだんだん人の顔に似てきた。とはいえ、目玉も鼻の穴もなく、人間にはほど遠い。
「死んだ父さんは何に生まれ変わるんでしょうか」
「そんなことは、おれにはわからん。おれはしゅみせんを構成する土塊に過ぎないのだ」
 声が低いしゃがれ声になり、一気に歳をとったようだった。ちょうど死んだ父さんぐらいの年齢だ。ぐらぐらする頭部に、なにやらまがまがしいものを感じて、ぼくはまた怖くなってきた。死神がいよいよ本性を現しそうな気配がする。
「もう生まれ変わったでしょうか」
「生まれ変わるには、少なくとも四十九日過ぎなければならん」
 あの顔だ、とぼくは思った。棺のなかの父さんの顔、あの感じに似ている。同じではないが似ている。あの顔も粘土のようだった。
「父さんに、会いに行けますか」
 どうしてもそれだけは聞いておきたかった。
「死んだ者に生きたまま会いにいくことはできない」
 粘土の顔は言った。
「一緒にしゅみせんに行くのはだめですか」
「命あるものは、しゅみせんへの道を通ることはできない。おれは土塊だから通れるのだ。だからお前が父さんに会うことはできんが、しゅみせんの姿を見ることは、よくよく注意しておれば叶うだろう」

 翌日、学校から帰ると、ぼくは台所からとってきたレジ袋に粘土を入れて、シンミドーのローソンへ向かった。シンミドーは、町の西側を走る広い国道のことで、中央には鉄道も走っていた。
 ローソンの駐車場に行くと、そこにはすでにいくつかの土塊が落ちていた。あの竹やぶの作業小屋のところに落ちていたものと同じかどうかはわからなかったけど、ぼくはそこに、自宅から運んできた粘土をそっと置いた。
 それらの土塊は、まったく同じ山から来たというように、そっくりの色合いだった。
 こうして散らばった土塊を眺めてみると、ぼくは昨夜自分の部屋で起こったことが、どうにも本当らしく思えなくなってきた。
 粘土がしゃべるなんてことがあるだろうか。自分は夢を見ていたのではあるまいか。その証拠に、昨日の夜さんざん粘土としゃべっていながら、最後はどんな話で終わったのかよく覚えていない。
 ぼくは粘土の前にしゃがみこみ、「しゅみせん……」
 と、ためしに小さな声で言ってみた。
 まわりに人がいたので、長々としゃべるのは危険だった。変な人と思われる。
 粘土の返事はなかった。
 夢だ。やっぱり。
 粘土がしゃべるなんて、ありえないのだ。
 すぐに立ち上がって、ぼくはあたりを見回した。誰もぼくを見ている人はいなかった。
 どどどど、と重たい音をたてる大きなバイクが、ローソンの駐車場に入ってきた。黒い服を着た男の人がヘルメットをはずし、降りてくる。
 その瞬間、この世界はひとつだという考えが、ぼくの頭の中に突然降ってきた。
 世界はひとつしかないのであり、そんなことは当たり前であって、父さんが生きている世界などないのだ。
 あの棺のなかの恐ろしい顔は、父さんが顔面を強く打って死んだために形が変わっていたせいだった。竹やぶの道が縮んだように感じたのも、怖くなって駆け抜けたせいだった。
 そんなことは最初からわかっていた、とぼくは思った。
 粘土を見張っているのが気恥ずかしくなり、ぼくは持っていたレジ袋を燃えないゴミの箱に押し込むと、ローソンに入って意味もなく中をうろうろした。自分はローソンに用があってここに来たのでなければならないと思った。だが、買いたいものは別になく、そもそも財布なんて持って来ていなかった。いちおう、雑誌を手にとってみたり、ジュースの冷蔵庫を眺めてみたりした。
 父さんが死んでまだ九日しかたっていない。けれどももうずっと昔から父さんはいなかったような気がした。ずっと自分はこうだったと思った。父さんがいようがいまいが、自分はずっとある。何も変わらないし、変わっていない。人はいつか必ず死ぬものだし、肝心なことは、自分が死んだのではないということだ。
 ローソンを出る頃には、粘土のことなどバカバカしくなっていた。
 死神とかいって、アホじゃなかろうか。
 蹴飛ばして帰ろうと思ったら、誰かがよけたのだろうか、どの土塊も見当たらなかった。
 シンミドーを走る多くの車の向こうに、夕焼けが見えていた。太陽は、シンミドーの向こう側にそびえる大きなマンションにさえぎられて見えない。
 町の側をふり返ると、一瞬、うっすらと大きな大きな山影が、夕焼け雲のなかにそびえ立っているような気がした。
 が、それは山にしてはあまりに高く、空のてっぺんさえ突き抜けてそびえて見え、そんな山など現実にありえないから、雲を山と見まちがえたにちがいない。そう考えて、ぼくは二度と見上げようとしなかった。

 

 

 

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宮田珠己(みやた・たまき)

作家。1964年生まれ。著書に『東南アジア四次元日記』『わたしの旅に何をする』『晴れた日は巨大仏を見に』『ふしぎ盆栽ホンノンボ』『ポチ迷路』『ときどき意味もなくずんずん歩く』『なみのひとなみのいとなみ』『スットコランド日記』『スットコランド日記 深煎り』などエッセイ多数。よみものウェブにて『日本全国津々うりゃうりゃ』webちくまにて『四次元温泉日記』 を連載中。