うちの母は、自分の娘であるわたしに「あんた、もうすこし目がぱっちりしてればいいのに〜」と、ものごころがつく前からいい続けること百万回。奥二重ですみませんでしたね!

 うちの母のぱっちり二重への執着は、二十歳すぎまで自分が一重だったことによる。
 5人兄弟のうち母以外の全員が二重だったこともあり、一重に根深くコンプレックスを持っていたらしい。「毎日つまようじでまぶたにぐいぐいラインをつけて、やっと二重になった」と血のにじむような苦労話を語られたら、そりゃよかったな、というしかない。

 追加でわたしの鼻筋への不満発言もありました。注文の多い料理店並みに、自分の娘のルックスにダメ出しする母。人によっては、親から精神的虐待を受けていた、と引きこもりになってもしょうがないほどに、ひどいんじゃないでしょうか? そこは子どもながらに聞き流してましたけれども。
 ともかく、“わが子はどんな子でもかわいくてたまらない”という常識からはずれ、客観的美意識のまま接する親に育てられたおかげで、わたしは自分の容姿を錯覚する期間なくきてしまいましたよ。

 あ、のっけから暗い生い立ち話で失礼しました。今回は奥二重のハンデを持つわたしが、「実力以上の女子」のモテを考えたいと思います。

 ここで意味する実力というのは、もって生まれた外見とします。遺伝子通りの実力にモテ度が比例し、親がおもしろい顔であれば、その子はモテ人生アウト、という図式であれば世の中真っ暗です。しかし現実には、生まれつきの美人以外の、“雰囲気も込みの美人&カワイコちゃん”て存在しますよね。そこで平凡なルックスに生まれた場合、目指すべきは“実力以上の女子”だと考えたのです。

 さてお手数ですが、幼少時のご自分の写真を確認してみてください。どうです? 現在と比べてどのくらい違いますか?
 ちなみにわたしの幼少時の写真はモンゴル出身の力士似、つまり笑ってしまうレベルにぶさいくで、友人の何人かは素直に吹き出していました。モンゴル出身力士の実力がゼロ地点だとすると、これでもがんばった方といえるかもしれません。否、でももっともっと努力でなんとかできたはずなんです。

 というのも、わたしと近いレベルの実力“寅さん似”をゼロ地点とする友人が、現在“小西真奈美”にあと一歩のカワイコちゃんにまで伸びました。実際彼女は親戚に会えば必ず、「きれいになったね〜」と感嘆混じりでほめられるとのこと。何がきっかけかは覚えていないらしいのですが、10代前半からとにかくかわいくあることを意識し始め、表情も話し方も身ぶりもかわいく、を努めていくことで、黒目がちな寅さんから、同じ黒目がちでも小西真奈美へと実力以上を発揮しているのです。えらいわ〜。
 ところで実力以上になるために、ルックスうんぬんの前に、まず名前から変えるというケースもありますね。本名が自分の思い通りのイメージでない場合、別のかわいい呼び名を用意する。例えば、「ちかこ」→「チャコ」、「きよみ」→「キョン」など、本名よりかわいいイメージの名前で呼ばれることで実力以上になっていくしくみだ。
 この呼び名作戦を、そんな単純なことでとバカにするなかれ。
 「サコです☆よろしくお願いしまーす」と、某ジュエリーショップにお勤めのおしゃれ美人さんから挨拶をされ、サコという名前が彼女にぴったりだなと思っていたら、本名は「まさよ」だったこともあります。「サ」しか入ってないし。「まさよ」がよくないといいたいわけではないんですが、彼女は自分をクールな響きの「サコ」のイメージの方向へ持っていってましたね。メールの署名も「saco」、潔し。
 『遺伝子を書き換える勢いで実力以上を目指す☆』女子がモテ。この際、親に遠慮してなんかいられません。

 えー、ゼロ地点である幼少時の写真がすでにかわいかったアナタ、実力は保ち続けているでしょうか? 幼いころから「かわいいかわいい」と、もてはやされるのが当たり前で努力せずともモテる実力の持ち主が、実力以下でいることもあると思います。例えば天使のような美少女が、どぎついパンクファッションに走ったり、美形の女性にダミ声が多いのも、実力アップを放棄した結果だと推測されますし。元・モンゴル力士面のわたしなどからすれば、のどから手が出るほどのせっかくの実力、大事にしてくださいね。
『美の遺伝子にあぐらをかいている』